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2020.05.17

「ウイルス」について

 「ウイルス」について。というより、「ウイルス」という言葉について。つまり、ほとんどどうでもいい話題である。ブログ向きってやつ。先日「ウイルス(virus)をラテン語で何というか?」(参照)というつまんない話を書いたがそれ以上につまんない話である。
 まず単純に「ウイルス」でググる。すると、「約 473,000,000 件」。次に「ウィルス」でググる。すると、「約 128,000,000 件」。つまり、Googleは、「ウイルス」と「ウィルス」を別の言葉とみなしているようだ。同一の言葉であれば、表記の差なので、日本語に厳密には正書法はないとしても、どっちが一般的かというと、「ウイルス」ではあるのだろうが、「ウィルス」もけっこう普及している。
 と、言いたいところだが、検索結果を見ると区別されていない。では、検索数の差は何? よくわからない。そこで、「"ウィルス"」で検索しなおす。「約 119,000,000 件」。なぞであるが、検索結果に「ウィルス」は反映されやすくなっている。
 まず、目につくのが外務省。「各国・地域における新型コロナウイルスの感染状況」にこうある。グラフのキャプションで、「新型コロナウィルス国別感染者数の推移」。表題と表記が違っている。たぶん、データ部分と表題を書いた部署が違って、表記の統一がされないのだろう。外務省では。
 検索して気がついてちょっと驚いたのだが、時事通信に《「美容サロン向け」美容サロン版ガイドライン 新型コロナウィルス感染対策講座 開設》とあった。時事通信がこの表記で統一しているわけはないなと調べをすすめると、他にも見つかる。どうやら、広報的な文章の場合は、そのまま表記を修正せず掲載しているようだ。
 他、メディアを当たってみると、「ウイルス」と「ウィルス」の表記の揺れはなさそうなので、校閲が通っているのだろう。
 さて、昭和な私は覚えているのだが、私が子供の頃は、「ビールス」という言い方もあった。英語なら「ヴァイラス」なので、ドイツ語からの外来語だろう。国語大辞典を当たると、外来語としてドイツ語とあり、「ビールス」の表記もあるので、当初は「ビールス」であったようだ。福永武彦の1956年の用例もある。青空文庫を検索すると、1960年の外村繁の『澪標』に「ビールス」の用例がある。
 戦後のどこかで、「ビールス」から「ウイルス」に切り替わったのだろう。なお、大辞泉では「ウイルス」の項目に「ラテン」とある。たしかに、現時点ではそう言ってもいいのではあるのだろうが。
 経緯について面白い話が見つかった。『情報管理』という雑誌に『学術用語の表記の基準よもやま』という記事があり、そこにこうある。

virusの日本語表記は、「ヴィールス」「ウイルス」「ビールス」「バイラス」「濾過性病原体」などいろいろである。昭和35年4月に日本新聞協会から新聞でも「ビールス」と「ウイルス」の二様の表記が行なわれるのは、読者にとって迷惑であり、新聞用語懇談会でも検討した結果、学術奨励審議会学術用語分科審議会が表記を決定されたいとの依頼があった。

 それでどうなったか。《『「ビールス 」を主とし、「 ウィルス」をも許容す》
 つまり、その関連であれば、主の「ビールス」が、現在の「ウイルス」に入れ替わった時点あるいは年代がありそうだが、わからない。Ngram Viewerが日本語に対応していない。
 そういえば、新聞協会としてはこれを学術用語として見ていたのだから、そのままウイルス学会を調べると、関連情報が出てくる。『 日本ウイルス学会について』より。

「VIRUS」と書いて昔は日本語でいろいろな読み方をしました。ビールスやヴィールスが普通に使われた読み方で、昭和24年12月に「ヴィールス談話会」が発会し、昭和26年3月には「VIRUS」1卷1号が発行されています。そうして今のような日本ウイルス学会が設立されたのは1953年すなわち昭和28年5月のことで大阪大学で第1回の総会を開いて正式にスタートを切りました。以来50年以上にわたり、毎年日本のどこかでウイルス学の進歩を促進する目的で学会が開かれてきました。もちろんこれからも日本ウイルス学会が毎年開催されることになっています。

 シンプルに読むと、学会の成立が、「ウイルス」表記と同一ようにも思えるため、1953年に「ウイルス」という表記の起源がありそうにも思えるが、どうだろうか。
 小林標著『ラテン語の世界』を読むと、京都大学医学部ウイルス研究所開設時に京大の言語学者・泉井久之助の意見を取り入れたらしいことが伝聞として書かれている。
 同研究所の設立年を調べると、1956年だが、立案は、京大の『【部局史編 3】第23章: ウイルス研究所』を読むと、《そして昭和28(1953)年にウイルス研究所を設立することが決定し》とあり、学会と同年になる。しかし、同書には興味深いことが書かれていた。

その所名「ウイルス研究所」については当初文部省は「国立大学附置研究所の名称にカタカナを冠したものはない」と難色を示したが、名古屋大学に「プラズマ研究所」が設立されるに及んでようやく承認した。

 「ウイルス」という呼称について、学会名が先か研究所名が先かだが、学会は当初、「ビールス」であったようなので、研究所が原点ではないだろうか。なお、「ウイルス」か「ウィルス」かについては、2012年になっても第1356回放送用語委員会で議論されていた。概ね、決まってないと見ていいだろう。
 とはいえ、元がラテン語であるなら、V字は母音なので、「ウィルス」という表記はありえないだろう。イタリア語ならありえるが、イタリア語からの外来語とは以上の経緯からも考えにくい。
 ということは、そもそもラテン語からそのまま日本語に入った外来語として珍しいのではないだろうか。Wikipediaに『カテゴリ:日本語 ラテン語由来』の項目があるが、元素名とか以外にはなさそうだ。

 

 


 

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