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2020.04.16

「国家の重⼤局⾯」で複数の声はどのように可能なのだろうか?

 昨日、厚⽣労働省のクラスター対策班の北海道⼤学‧⻄浦博教授は、⼈との接触を以前の八割まで減らさないと、COVID-19の流⾏終息までに、⼈⼯呼吸器などが必要となる重篤患者は約85万⼈となり、また、その49%にあたる約42万⼈が死亡する、という推計を発表した。⻄浦教授は「今は国家の重⼤局⾯にさしかかっている。今のままではまずい」とも述べていた(参照)。
 驚くべき惨事の予測であり、しかも、感染症の専門家の予測なので、科学的に正しいものだろうと、まず思うが、驚きという印象に詳細が知りたいという思いも伴う。
 どのような推計かという点については、新型コロナクラスター対策専門家のTweetにある(参照)。
 説明を聞いていて、素朴な疑問が3点浮かんだ。
 ①R0=2.5の設定根拠は欧米での感染爆発からの推定値なのだが、なぜ日本の値を推定値に取らないのだろうか? おそらく、日本の推定値がわからないからだろうが、であれば専門家が推定すればいいのではないか。その日本の推定値がむしろ、日本の現状を説明するものであり、未来予測の基礎になるものなのではないか?
 ②実際に抑制するのは数理モデル上は60%だが、夜の街というハイリスクを抑制するためには、「少し多めに」ということでもう20%の抑制が必要だ、というのであるが、その20%というのはどうも数理モデルから出ているというより、専門家の勘のようにも思える。または20%についてなんらかの詳しい説明があるとしても、一義的な数理モデルによるのではなく、別の系のモデルに拠るのだろう。いずれにせよ、プライオリティは低いとなると、その数値は、政策のマターなのではないだろうか? もしそうなら、その政策についてのアカウンタビリティはどのように保証されているのだろうか? ここにこだわるのは、政策のマターであれば、その抑制によって被る社会経済的な損失が、感染症の専門家ではなく、政策的に決定されるべきだからだ。
 ③これでいったん感染爆発を抑え込んでも、周期的に感染拡大は発生すると思うが、そうした周期性については、どうなのか? 毎回、同様の行動制限を行うのがよいのだろうか?
 という疑問が浮かんだのだが、誤解されないように、と願うのだが、それを私はブログで声高に主張したいわけではない。率直に言えば、その疑問は、飲み込んでいる。主張する気はない。なぜかというと、そうした疑念を市民が提示する意義や価値がよくわからないからだ。
 そして、もう一つ、疑念を飲み込むのは、そういう疑念の主張をして、自分がバッシングされるのはやだなあという思いである。私は戦時下にいて、戦争が負けるとわかっていても、たぶん黙って過ごしていただろうという臆病な人間である。
 ただ、それでも原則的にではあるが(アーレントの言うように)、社会というものには、常に複数の意見が存在すべきなのではないかという思いもわく。特に、今回の西浦教授の説明には、「今は国家の重⼤局⾯」という言葉が出てくるのだが、それはほぼ欧米圏(フランスや英国や米国)における「戦争」のメタファーのようにも聞こえて、慄えるものがある。
 そんな思いでいてランセット掲載のエッセイ"Offline: COVID-19—bewilderment and candour"を共感して読んだ(参照PDF)。
 前半はCOVID-19の現場からのメッセージが興味深い。次のコメントはその中核にある。

As deaths accumulate, the early message that severe acute respiratory syndrome coronavirus 2 causes mostly a mild illness has been shown to be dangerously false.

  死が累積するにつれ、SARSコロナウイルス-2が引き起こす病気の大半は軽度であるとする初期のメッセージは、危険なほどに虚偽であることが示されてきた。

 後半の「戦争」のメタファーが興味深いものだった。

War metaphors are powerful political and emotional instruments that grip public attention and are widely understood. They create a sense of fear, threat, and urgency: we are engaged in a fight against an evil enemy. A war means that sacrifices have to be made—in the case of COVID-19, restrictions to our freedoms. And, in a war, there is a sense that we have to unite, to forge an unprecedented alliance, to look forward not back, to create one national effort.

戦争のメタファーは、世間の注目を集め、かつ広く了解されている強力な政治的にして感情的な道具なのである。それは、恐怖、脅威、緊急性の感覚を作り出す。それは、「私たちは邪悪な敵との戦いに従事しているのだ」という感覚だ。戦争が意味するのは、犠牲の必要性であり、COVID-19の場合は、私たちの自由への制限である。そして、戦時に感覚が強いることは、団結せよ、前例のない同盟を形成せよ、後ろではなく前を向け、一つの国家的な努力を作り出せ、ということだ。

For those who believe now is not the moment for criticism of government policies and promises, remember the words of Li Wenliang, who died in February, aged 33 years, fighting COVID-19 in China—“I think a healthy society should not have just one voice.”

現在は政府の政策と約束を批判する時期ではないと信じている人々は、COVID-19と戦い、2月に33歳で中国で亡くなった、李文亮の言葉を思い出してほしい。「健全な社会というものは、ただ一つの声だけを持つべきではないと思う」。

 おそらく、複数の声を許容しつつ協調するにはどうしたらよいのかという問いなのだろうが、そこに答は見いだせそうにはない。

 

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