ドラマ『この声をきみに』
なんとなく見た。NHKの2017年のドラマ『ドラマ この声をきみに』。放送当時さほど気にもかけてなかったし、オンデマンドで見始めたときも、それほど期待していたなかった。が、とてもよかった。感動もしたし、いいドラマだったというのもあるが、それ以上に、人の声というものと、人の関係というものを考えさせるいいドラマだった。
話の表層はそれほど複雑ではない。36歳の冴えない数学教師が家庭を顧みず妻から離婚を言い渡され戸惑うなか、ひょんなことから、朗読教室に通い、朗読というものと人の言葉の力に触れ、またそこでの人間関係や、若い女性講師と関わっていくことになるというもの。ネタバレはなしだが、当然の予想の展開を概ね外すものではない。が、昭和のドラマだっただら、昭和的な家族のハッピーエンドを描いちゃったかもしれないとは思った。そこは微妙に違った。単純なようで、複雑な情感をもたらすいいエンディングだったと思う。
というあたりで、余韻もあり、この3月続編的な舞台『この声をきみに~もう一つの物語~』が予定されていたが、新型コロナウイルス関連で潰れたようだ。映像メディアにはなるらしい。そういえば、もとのNHKのドラマのほうも、DVDになっている。
冒頭、「なんとなく」と書いたが、朗読ということは気になっていた。
自分の人生、気になってやり残していることがいくつかあり、その一つの合唱は昨年から始めた。そうした気になっていることのすべては、残りの人生でこなすことはできないだろうが、そのもう一つに朗読はある。小説や詩などを朗読として読んでみたい。そんなこと簡単なことのようだが、たぶん、難しいのだろうという直感はある。まあ、朗読というのが気になっていたのだ。
ドラマは、朗読の本質というか、あるいは声の魅惑というのを、とても上手に、まさに魅惑として伝えていた。そもそもこのドラマ、穂波孝を演じる竹野内豊の声を聞かせたくて作ったんじゃないか、しかも、『この声をきみに』という冴えないタイトルもまさにこの言葉を彼に一言言わせるためのものだったんじゃないかと思う。というくらいに、うまく当てていた。
江崎京子演じる麻生久美子も、その声もよかった。声だけでとても多くのことを伝えていた。朗読教室の主催である佐久良宗親演じる柴田恭兵も、結果的によかった、とひねくれた言い方になるのは、そこはあまり期待していなかったからだ。老いた柴田恭兵というものをドラマの数回、なんか居心地悪いような気持ちで見ていた。東京キッドブラザースのまさにキッドが老いているというのに、うまく馴染めなかったのだ。
このドラマのもう一つの魅了は、本だ。朗読と声というのの本質的な魅了に加え、絵本や詩集の美しさ、そこからさらに、そもそも本というものの美の感覚があった。それはとても懐かしい。手入れされた古書店の懐かしさでもある。ああいう書店が今でもあるのだろうかと思って、憧れのような気持ちで潤んだ。
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