「すてき」は死語か?
「すてき」という言葉を聞かなくなって久しい。自分も使わない。ためしに、「まあ、すてき」と口に出してみると、なんともいえない、もにょ〜んとした感じがする。これは、もう死語なんじゃないか。なぜ死んだのか。と考え、まあ、完全に死んだわけでもなく、この微妙な「もにょ〜ん」感に生きているのかもしれないが、それはたぶん、受け手の感覚で、そうした感覚なく自然に使っている人もいるだろう。
ニュースとかではどう使われているのかと、検索すると、おや? 日経新聞(2020/4/19 15:16)より。
金氏から「すてきな手紙」 米大統領、関係良好と強調
【ワシントン=共同】トランプ米大統領は18日の記者会見で、北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長から「最近すてきな手紙を受け取った」と語り、良好な関係を維持していると強調した。内容や詳しい時期は明らかにしなかった。
この検索過程で聯合ニュース(2020.04.19 22:09)を見かけた。
「トランプ氏に手紙送っていない」 北朝鮮が親書発言を否定
談話は「米メディアは18日、米大統領が記者会見でわれわれの最高指導者から『すてきな手紙』を受け取ったと紹介する発言を報道した。米大統領が過去に交わされた親書を回顧したかどうかは分からないが、最近わが最高指導部は米大統領にいかなる手紙も送っていない」と主張した。
タイムスタンプから見ると、この「すてき」の用例は、共同を聯合が拾ったようにも思える。
オリジナルは何か調べてみた。Daily Beast(参照)より。
Trump had said during a coronavirus press briefing on Saturday that “I received a nice note from him recently. It was a nice note. I think we’re doing fine.”
「すてきな手紙」は「a nice note」だったようだ。ちょっと気になったのは、これ、普通、こう訳すだろうか? 参考までに自動翻訳にかけてみた。
Google翻訳
トランプ氏は、土曜日のコロナウイルスの記者会見で、「私は最近、彼から素晴らしい手紙を受け取った。 いいメモでした。 私たちはうまくやっていると思います。」
Bing翻訳
トランプは土曜日のコロナウイルス記者説明会で「最近彼から素敵なメモを受け取った。それは素敵なメモでした。私たちはうまくやっていると思います。
DeepL
トランプ氏は土曜日のコロナウイルスのプレスブリーフィングで「最近彼から素敵なメモを受け取った」と発言していました。素敵なメモだった。私たちはうまくやっていると思う"
みらい翻訳
トランプは土曜日のコロナウイルスの記者会見で、「私は最近彼から素敵な手紙をもらった。いいお便りでした。うまくいっていると思います。」と言った。
意外と「素敵な手紙」が多い。共同がこうした自動翻訳を使ったとも思えないし、DeepLあたりは、Deep Learningを使っているだろうから、コーパス的に「素敵な手紙」が出てくるのが自然なのかもしれない。
ただ、気になるのは、2点。まず、「すてき」ではなく「素敵」という表記だが、これはコーパスの反映だろう。共同は用語規範にしたがって、開いているはずだ。もう一点は、繰り返されている「a nice note」に同訳語を当てている自動翻訳とそうでないのがあることだ。この近い文脈というか隣接した文脈で訳分けしているのは、なぜだろうか?
ところで、「a nice note」の元来の意味だが、これは画像検索してみるとわかりやすいが、日本語でいうと「手書きにメモ」ということで、Letterではない含みがある。トランプさんとしては、「公式じゃないけど、いい感じのコメントは得ているんだ」ということだろう。外交文脈としては「親書(Letter)」の授受があったかなかったかが話題になっていて、ここでは、Letterを避けたのではないか。
話が英語にそれたが、日本語の「すてきな手紙」は、私の語感からすると、変な感じがする。この変な感は、「すてきな女性」「すてきな男性」とかにもあるだろう。たとえばこういう会話があるとする。
A「彼はどういう感じの人でした?」
B「すてきな男性でした。」
A「お付き合いなさいますか?」
さて、Bはその男性と付き合うだろうか? まあ、たぶん、しないだろう。「すてき」にはそういう語感があると思う。
そういえば、主婦と生活社の雑誌『すてきな奥さん』が刊行されたのは1990年4月。「元気ミセスの暮らし充実マガジン」が生まれたのは30年前である。この時代の生活経験の記憶のある自分としては、バブル時代ですこし経済的に安定した当時の若い主婦層で、まあ、だいたい私と同い年くらいの女性だろうか。
昭和期では、1960年に坂本九が歌った『ステキなタイミング』がある。原題は『Good Timin'』。そして、1962年にガイ・ウォーレン作曲『素敵なフィーリング』。原題は『That Happy Feeling』。インストゥルメンタルで流行したが。曲調がアフリカンなのが当時受けたのではないか。これらが当時の日本では「すてき」だった。
昭和後期に「すてき」は一般社会に定着してはいた。当時の「すてき」の語感は、「まあ、すてき!」というあれである。そして、現代では、「まあ、すてき!」という言う人はいないだろう。と思って、言語の現場として、Twitterを検索してみると、意外にもそれなりに用例が見つかる。「すてきな週末」「すてきな一年」「すてきな友達」など。なるほど。これらは、同じく昭和後期、1969年から連載の『暮しの手帖』に『すてきなあなたに』という人気エッセイがあるが、この語感の連続にも思える。
ちなみに、「すてきな週末」を他の類語として「すばらしい」で言い換えてみると、「すばらしい週末」となるが、若干変な感じがする。「よい週末」はありだ。
どうやら「すてき」はまだ死語というわけでもなさそうだが、意味合いは微妙な感じがするし、なぜ、この微妙感が生まれてきたのか気になる。
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