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2020.04.27

散歩で線路脇に茶の新芽を見かけたので少し摘んで烏龍茶にしてみた

 昨日はいい天気なので、適度な運動と日光に当たろうかと散歩した。広い公園を抜けて、足を伸ばし、もとより運行本数の少な路線の脇を歩いていたのだが、ふと雑草のような自然のままに伸びた茶の木を見かけた。新芽が美しい。組織的に植えられたものでもなさそうだ。鳥の糞から種が落ちたのだろうか。雑草と見なしてよさそうなので、10本ほど一芯二葉に摘んでハンカチに包み持ち帰った。ぽきっとする手摘みの感覚が心地よい。手のひらに載せて、わずかというくらいの量である。茶摘み歌を歌うほどもない。
 帰宅して洗い、小さなザルに入れて振り、水気を飛ばし、日干しにした。夕方には少ししなれてきたので、軽く手揉みして、一葉づつ伸ばした。就寝前には半分ほど発酵し、案の定、花のよい香りがする。
 一晩して見ると、発酵は進み、香りも芳しい。少し発酵がいってしまったかもしれないなと思いつつ、もう一度葉を伸ばし、琺瑯のミルクパンに入れ、弱火で炒るというか、熱を加えて発酵を止め、乾かす。できあがり。
 さて、煎れて見るか。全葉なので少し煮出すようにして、数分置く、水色が淡いが茶色になる。いかなる茶になりしや。この二杯分ほど。反煎茶の茶碗に茶を注ぎ、飾りとしてきれいな一芯二葉を一つづつ入れる。では、一口。
 うまい!
 自画自賛は恥ずかしいが、これは、うまい。想像以上にうまい。
 昔、中国茶に凝ったことがある。そこから、原初の茶はどのようなものだったか、日本人はどのように茶を飲んでいたか考えたものだ。
 当時、懇意にしていた台湾の茶商から、レア物の包種茶のようなものをいただいたことがある(というか買ったと言ってもいいが、いいお茶というのは金で買えるものではない)。文山包種茶ではない。似たものに禅茶というのがある。あれは、淡いながらも香りが高く深みがあってうまかった。この手作り茶は、あれに近い。
 もう一つ思い出した。東方美人である。昔、『美味しんぼ』という漫画で至高の紅茶というのがあって、結果のわからぬ連載時に、紅茶仲間と何だろうかと話題にしていた。私は東方美人に決まっているだろうと言った。結果は、キャッスルトンのFFかなにかだった。あれも美味しいが定番だな、筆者、お茶の嗜好はなさそうに思えた。
 東方美人にもいろいろある。台湾でいろいろ買ったものだ。銀芯の含有が多いほうがいいとされている。それもそうかとは思う。余談だが、茶好きの一部に銀芯を尊ぶ人もいるが、私はちょっとどうかなと疑っている。
 いずれにせよ、包種茶と東方美人の中間のような、フレッシュで花の香り、若芽の苦味のあるいいお茶ができた。
 人類がお茶を飲むようになったのは、この葉を摘んでおくと、花の香りがすることに気がついたからではないか。たぶん、最初のお茶は烏龍茶であろう。そこから、発酵の調整やビタミン補給やカフェインの志向などでいろいろと種類が別れてきたのだろう。
 それにしても、茶の若芽を摘んで一晩してこの至高のお茶ができるなら、と思ったが、まあ、それは生きていたらの話である。茶は一期一会。来年、あるいは再来年、散策して茶畑の茶ではない雑木の新芽に出会えたらなら、また作ろう。

 

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