アニメ『ゆるキャン』
アニメ『ゆるキャン』が面白かった。が、どう面白かったのかと言うために、実に、奇妙な感覚を強いられる。
優れた作品か?と問い直して、やはり、もにょる。それほど優れた作品ではないけど魅力的、とでも言いたい気もするが、そうでもない。絵もそこそこきれいだし、コンセプトとかキャラもいい、と言えばば、それもそうなのだが、それでも、もにょる。友情? 女子トーク? まあ、そういう何かではない。
学習漫画『キャンプ入門』というのでもあれば、それに近い気もするし、特段、深いコンセプトがあるわけでもない。
なんというのだろうか。
まず……、私はびっくりしたのだった。
女子高生が一人で冬にキャンプってするのか? 昭和な私には、ありえねーと思ったのだが。危険じゃないのか。いや、危険じゃないし、別に女性高校生が一人キャンプに行ってなにが悪いわけでもない。ただ、昭和時代にはそれは実質無理だったのではないか。いい時代になったなあと思った。私は老いたな。
次にびっくりしたのは、キャンプ場というのは、ようするに民宿みたいなものだなということ。知識としてはさすがに知っていたが、まざまざまとチェックイン・チェックアウトとか、トイレと水場とか、風呂まであるのだなあというのは、ため息が出る。私のイメージのキャンプというのは、もっと、なんだろ、なんか、原始時代のような何かだ。トイレとか水場とか、ないというか。
そう、いろいろびっくりしたのだった、このアニメで。
そもそも、なんでキャンプに行きたいのか。答えは、行きたいから、それだけなのだ。なぜ山に登るか?そこにうんたらとかいう修辞すら、もう要らないのだ。
そしてキャンプで何をするかというと、おいしい飯を作って、きれいな風景を見て、遊んで、うーむ、キャンプみたいじゃないかというか、それがキャンプなんだなあ。
用具も、ホームセンターとか洋ドラとかで見てて、ある程度は知っていたが、いろいろ進歩しているものだなとも思った。
つまり、見ている私も、ソロキャンプに行きたくなった。山梨もいいなあ。
で、まあ年齢とか病気とかでまあ無理だろうなとも思った。
アニメというか、物語のほうに戻すと、志摩リンという少女のソロの感覚がとてもよかった。自然に向き合って、一人でいたいというのは、なんだろ、痛いほど共感する何かだった。ぼうっと焚き火もしたいなあ。
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