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2020.03.05

[書評] 大宅壮一の「戦後」(阪本博志)

 三島由紀夫が一風変わった自殺したのは、1970年11月25日のことだった。自著にも書いたが私はその日のことをよく覚えている。中学一年生なのだからということもあるし、『潮騒』はすでに小学校6年生のときに既読で、彼のことをすでに知っていたせいもあるだろう。そして中1のときの若い国語教師は三島のファンでもあった。
 その日の3日前、大宅壮一が死んでいる。その前月、テレビ対談収録後、息苦しさから入院し、心不全で亡くなった。70歳である。つまり、1900年の生まれだった。葬儀は28日、青山葬儀所で「マスコミ合同葬」であった。67年に「大宅壮一東京マスコミ塾」を開き、8期で480名の塾生を送り出していた。つまり、彼こそが戦後から60年代までのマスコミそのものだった。
 三島の死から、大宅の死から、今年で半世紀になる。50年。どうなったか。
 鶴見俊輔はこう言っていた(本書孫引き)。

 五十年たってからの学者たちは、昭和時代を研究するのに今日の学者の学問的評論でなく大宅のエッセイを利用するだろう。

 しかし、そうはならなかった。本書『大宅壮一の「戦後」』はこう受け止める。

 それから五〇年になる今日、彼がつくったとされる「一億総白痴化」「駅弁大学」といった流行語を除いては、鶴見が予測した事態にはなっていない。この状況のなかで顧みられることさえ少ない。戦後昭和とくに三〇年代に対する近年の注目の集まりを考え合わせると、これは不思議にすら思える。

 なぜだろうか?
 私は、人々は、三島を忘れ、大宅を忘れたのだと思う。
 それがいいことか悪いことかわからない。私が本書を読んだのは、本書の指摘に反して、私が最近大宅壮一をよく回顧するからであり、そして、本書の言う「不思議」を思うからだ。
 こう言ってもいいだろう。なぜ、私たちは大宅壮一を忘れたのか?
 その命題は、本書では、私が読んで受け止めた範囲では含まれていなかったように思う。本書にはある種の求心性は感じられなかった。既出の多元的な論考をまとめたものだからかもしれない。むしろ、その言葉を借りれば、《新たな大宅壮一研究を志向するものである》ということで、本書の三分の一を占める注もその意義でもあるだろう。
 だが、大きなテーマ性は感じ取れた。 
 少し迂回したい。私が大宅を思い出すのは、まさに現代こそが、「一億総白痴化」「駅弁大学」の完成形態だからということもあるが、ただの完成というより、その結果、まるで戦後のような物言いづらい言論の空気が満ちていることだ。なんでも軽薄なイデオロギーに帰着して正義を偽装し、次には他罰に勤しむことが強いられる、この息苦しい言論の空間のなかで、大宅的な「無思想の思想」とでもいったものが、どうありうるのかという問いかけである。
 それこそが、本書としての表題である《大宅壮一の「戦後」》であろう。それは、日本的と冠したいのだが、知識人というものへの違和感が関連しているだろう。

 (前略)大宅が「自分の歩んできた道を真剣にかえりみて慄然とした」のは、「前衛的知識人」からの転向のみによるのではないであろう。転向だけではなく、プロパガンダにかかわったという事実も含めて、大宅は慄然としたのではないだろうか?

 本書は、大宅の戦後期の沈黙を「したたか」とする。確かに、そうした面はあるだろう。が、それは戦争賛美的なプロパガンダのみならず、そもそもが、思想の表現をイデオロギーに還元してしまうありかたそのものへの違和感もあるだろう。

 

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