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2020.03.28

令和2年3月28日土曜日

 暗がりのなかで時計を見たときは4時台だったが、もう6時は回っているだろうと思った。カーテンを少し開くと外は存外に明るい。が、昨日の天気予報どおり、曇りのようだ。外の気温は肌寒いくらいだろうかと気になり、軽装に着替えて家を出て、軽く体操をする。生暖かいとまではいえないが、十分春になったと思える空気だ。
 3月下旬、それも土曜日。しかも、この週末は、「不要不急」の外出は自粛せよということもあり、家人は寝ている。私一人朝食を取るのに物音を立てるのもどうかと思い、モーニングのある喫茶店に向かう。いつもなら7時には開いていたはず。今朝は、休業であってもしかたあるまい。あるいは開店時間が変わっているかもしれない。はずれならそれはそれでいい。この朝、少し散歩してみたいのだ。少し遠回りに桜の見える道を選び、公園を回って出かける。
 歩きつつ、さて、喫茶店のモーニングを食べに行くというのは、「不要不急」に反するだろうかと、ぼんやり考える。都知事の言うところでは、それは4つ。「特に用事がないのに外を出歩くこと」「密閉された場所に出向くこと」「人と接触するような行動」「大人数で集まったりすること」。よくわからないな。「人と接触するような行動」というのは何であろうか。不倫はいかんというのも含まれるのだろう。
 桜は満開である。いや、もう盛りを過ぎたころだろう。ちらほらと花びらが風に舞っている。風が強くなれば、花吹雪となるだろう。今年の花見は、先週に済ませておいた。花見といっても花を見つつの散歩であった。青春の思い出詰まる古刹を訪れ、川沿いに続く四部咲きの桜並木をとぼとぼと歩き続けた。
 今朝は街に、さすがに人は少ない。広い車道に出るが車の通りも少ない。空っぽのようなバスがすーっと抜けていく。お盆で東京が空っぽになるときよりも少ないだろうか。死んだ街というほどでもないが、異質な静けさが味わえる。鳥の声がよく聞こえる。この異質さは、昔、国鉄ストライキで延々と続く線路を歩いた時に似ている。あれは秋の終わりではあった。
 そして公園が見える。そこ運動場があり、入り口に、同じユニフォームの若者が6人ほど集まって喋っている。円陣を組むというほどでもないが、随分と身を寄せている。開場時刻を待っているのだろうか。練習か試合か。いずれにせよ、中止にはならなかったのだろう。よかったな。それにしても、若者というは、あんなふうに、実はなんの目的もなさそうに、つるんでいるものなのだ。全世界どこでもそうだ。そういうものだ、と思い、欧州での感染状況を想像する。
 喫茶店はすいていた。先客は二人。モーニングを取ってる中年男たち。休みの日という雰囲気もない。私が注文を待っていると、間もなく二人とも席を立つ。これから仕事だろうか。比較的広く、明るい喫茶店を私が貸し切りということになった。
 サンドイッチをつまみ、コーヒーをのみ、手帳に思いつくメモを書きながら、外の駐車場を見ていると一台白い車が入り、若夫婦らしき男女が出てくる。私の貸し切り状態は終わりかと見ていると、彼らは注文後、所在なくその椅子に座り、それから呼ばれて紙袋を受け取った。テイクアウトである。出ていった。そういえば、「スーパーや薬局などに食品や日用品などを、買いに行くこと」は自粛されていなかったのだ。彼らは車で家に戻って紙袋を開き、朝食とするのだろう。
 私も長居する気はないが、気がつくと小一時間過ぎていた。同じ道を通って帰る。陽がふと差して曇る。運動場前にたむろっていた若者の姿はなく、中も閑散としていた。中止だったのだな。さて、今日はどのような日になるのだろうか。

 

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