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2020.02.23

人を呪縛する内的な為替ともいうべきものについて

 話のネタとしてよく知られていることだが、都道府県で世帯あたりの預貯金の現在高(定期性預貯金)がもっとも多いのは、香川県である。香川県民は、貯金しまくっているらしい、とネタは続く。統計局で詳細を見ると、定期性預貯金の割合では秋田県がもっとも高いので、やたら貯金するのは、秋田県民と言えるかもしれない。が、貯蓄年収比で見ると、香川県がトップに出てくる。統計年の差や統計の見方の差はあるだろうが、概ね香川県民には貯金する傾向があるとは言えそうだ。なぜなのか?
 香川県にはなにか秘密があるのだろうか?
 他に、香川県の奇妙な特徴といえば、糖尿病が多いことだ。糖尿病死亡率が2018年にワースト3位。香川県の糖尿病は安定的に上位をキープしている。なぜなのか?
 うどん、だろうか?
 うどんの消費がもっとも多いのが香川県だと言われている。「言われている」というのは、「うどん・そば」の消費は統計値があるが、うどん単独はよくわからないからだ。だが、概ね、そう見てよいだろう。
 うどんの食べ過ぎで糖尿病というのはわからないでもない。どうやって因果関係を導くはわからないが。
 だが、うどんの食べすぎで貯金しがちだ、というのは、わけがわからない。もし関連があるとすれば、うどんは比較的安価だから、食費が減った分だけ、貯金するのではないか?ということだ。
 そう、説得力はぜんぜんない。
 そもそも、そうした考え方自体がおかしい。間違っていると言ってもいいだろう。偉そうに言えば、疑似相関とかになるのだろうか。
 だが、気にはなっていたのだ。
 なので、稲垣えみ子さんの『魂の退社―会社を辞めるということ。』でこの問題の解答案が提示されていたのを読んだときは、ある種、衝撃だった。

 

 彼女の考えだとこういうことらしい……何か買いたいものがあるというとき、人はそれぞれ、この価格なら買えるという基準のようなものを持つ。偉そうに言えば、行動経済学的な行為である。
 で、あるものの価格を見て、稲垣さんの洞察によるだのだが、香川県民は、「この価格なら、うどん何杯食えるかなあ」と考える、らしい。うどんで換算するらしい。で、「この価格なら、うどんを何杯か食ったほうがいいな」と考えて、買わないことに至りやすい。
 もちろん、話のネタではあるが……マジに受け取るなよ。
 だが、うどん換算の信憑性はネタとして、行動経済学的にも、人は、「内的な為替」とでも感覚を持つとは言えるだろう? というか、行動経済学にこの概念がなさそうなのが、不思議にも思える。ある?
 で、人はどのように、「内的な為替」を形成するか? と考えを延長していて、はっと気がついたことがあった。「内的な為替」は、「内的な複式簿記」とでもいう感覚と結びつきやすいのではないか。例えば、本好きが、学術書買って散財したら、少し食費を削っておこう、といった(痛い話ではあるな)。これは、通常は、なけなしのお金のやりくりと理解されているが、むしろ、「内的な複式簿記」の感覚ではないか。
 そこで、話は飛ぶ。
 私は、マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(通常、プロ倫)という小難しい本を愛読書としているのだが、この本の要諦を卑近に言うなら、どけちになって金を貯めるほど、天国に行けると思っていた人が、結局、金を貯めて資本主義を導いた、ということだ。いや、正確には、どけちになるのではなく、散財で満たせる世俗の快楽を抑制できることで、その人が神から天国行きに選ばれていることの心理的な証になるのではないか、ということだ。まあ、いずれにせよ、貯金が強いられる心性になる。これがプロテスタントの倫理である。これが資本主義の精神(ガイスト)に史的に変化する。資本主義という幽霊(ガイスト)と言ってもいいかもしれない。
 と、いうのが、プロ倫の理解ではあるというか、私も生前にお会いした大塚久雄先生的な理解でもあるのだが、実際に同書を愛読しててひっかかるのは、複式簿記の脅迫観念なのである。この点については、30年も前になるが、同じくプロ倫愛読者と徹底議論して、だよねと、合意した点でもあるが、複式簿記の歴史とは別だが、これをある宗教的な熱狂(つまり倫理)で行ったのはプロテスタント商人ではなかろうか?
 自身が義人である(天国に行ける人である)ことは、倫理の複式簿記の結果として内的に理解され、それは内的な為替感覚につながっていたのではないか? つまり、例えば、「ここで劇場に行くと、娯楽として悪人性を出費してしまうだろうな、やめとこ」的な。
 まあ、お前は何が言いたいんだといったブログ記事になってしまったが、人というのは、なんらかの内的な為替感覚を持っていて、それが単一システマティックに、複式簿記的に整理されていると、消費行動から生き方(倫理)まで呪縛してしまうのだろうなという話である。
 (あともうちょっというと、現代日本人は長期にデフレ生活をしていて、この内的な為替感覚が変わってしまったんだろうな。)

 

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