あなたの時間を吸い取る「果てしないプール」
世の中がおかしなことになってきた気がする。というとき、おかしいのは自分のほうかもしれない、とも思う。が、とりあえず自分にとっては、世の中がおかしいという感じはする。
具体的には、2つ思う。1つは、新型コロナウイルス騒ぎである。感染症自体より経済的な波及や社会心理の側面が大きな問題になってしまった。もう1つは、ネットである。端的な例でいうと、Twitterが気持ち悪い。
とかいうと、おまゆう、の類だが、これもそう感じる自分がいる。これに関連していることだと自分では思うのだが、街なかで中年から初老スマホゾンビが増えたと思えることも、気持ち悪い。なんでこんな爺さんがスマホ見ながらぼんやり歩いているのだろう、危ないなあと。スマホ見るのはいいけど、立ち止まるか、座れよ。
この2つをあえて1つの問題意識にまとめる必要はないのだが、それらの根にあるのは、情報のありかたではないだろうか。スマホ経由で入ってくる情報というもの自体が大きな問題なんじゃないか。
というあたりで、自分を振り返ってみて、「Twitterが気持ち悪い」ということはどういうことか考えてみた。いや、考えてみようとして、なにか思考がぼんやりとする。一体全体、これはどういうことなのだろうか? この状態がけっこう長く続いていた。
その出口のヒントのように思えたのは、『時間術大全――人生が本当に変わる「87の時間ワザ」』という本だった。
これは、一昔前のGTD、Getting Things Done(仕事を完遂)の本だろうと思って敬遠したのだが、読んでみたら、読み方にもよるのだろうけど、その正反対な内容だった。この本については、別途書評を書きたいと思っているのだが、まず印象的だったのは、SNSアプリをやめなさいということだ。ここまでの文脈でいうなら、 Twitterをやめなさいということだ。気持ち悪いなら見ることないじゃないか。とも言えるのだが、現実そういかないでいたのはなぜか? そしてどうしたら、やめられるのか?
同書の答えは、前者についてはそれが「無限の泉」だからというものだ。無限に人の時間(人の関心といってもいいだろう)を食っているものだというのだ。だらだらとSNSをすることで一日の時間とエネルギーが消費されている。ああ、それだね。
やめかたについては、同書は的確に示唆していた。意志でやめるのは無理だ、というのが大前提。であれば、その先は、システム的に対応する。簡単にいえば、スマホからTWitterを削除する、である。え?!と思ったが、まさにそれだ。スマホの電源は通常切っておくという提言もあった。
ただ、同書は、こうした一見極端な提言をしつつ、極端にこだわることもないとしている。要は、こうしたものは意志でやめるのは無理なので、簡単にやらないようにする仕組みが必要ということだ。
「無限の泉」はTwitterと限らない。SNSツールは全部それだし、ネットサーフィンもそうだろう。同書には触れていないが、Amazonのショッピングもそうだろう。そして、同書では、Netflixも「無限の泉」に入れていた。
ところで、「無限の泉」というのは変な日本語である。原語はどうなっているのか、原書にあたったら、”Infinity pool” だった。「インフィニティ・プール」である。日本ではそれほど普及していないのではないかと思うけど、ビルの屋上とかにある縁が見えないプールである。そのプールのなかにいると、まるで端のない海でもいるような錯覚をもたらす。井の中の蛙、大海を幻視する。
つまり、そういう錯覚をもたらす仕組みが”Infinity pool”であり、『時間術大全』がこの言葉で言っていることは、時間の縁が見えないようにする仕組みとしてのSNSアプリやオンライン動画である。こうしたアプリは、時間的に終わりがわからないような錯覚をもたらすのであ る。
さて、Twitterをやめるかな? と考えてみた。
まず、インフィニティ・プールとしての使用はやめることにした。同書が勧めるように、スマホの画面から外した。ついでにいろいろアプリを削除した。通知を重要な連絡以外はオフにした。やってみてわかったのだが、電池の保ちが改善した。そろそろスマホも買い替えかと思ったが、使う頻度が下がれば買い換える必要もないな。
同書の提言は、インフィニティ・プールを排除することで、気力のある時間を作る点にあるが、実際に、インフィニティ・プールを減らしてみて思ったことは、退屈だった。我ながら、スマホやiPadをいじらないと退屈なのである。
で、どうしたか?
本を読んだり、音楽をまとめて聞いたりした。散歩もした。そして、「ああ、高校生時代とかこうだったな」と思い出した。40年以上も昔、スマホとかなかったしな。
情報やコミュニケーションを自分の主体の側に取り戻していく必要があると思う。どう取り戻すかは難しいが、奪うものの阻止には着手できた気がした。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント