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2020.02.17

新コロナウィルスでわかったこと

 新コロナウィルスでわかったこと、いや、正確に言えば、新型コロナウィルス騒ぎでわかったことだが、どうやら世の中にはニュースと言うものはないんじゃないだろうか。

 もう何日前からだろう。あるいは数週間前からだろうか、毎日見るNHK7時のニュースが、ほとんどニュースと言えるものではなくなってしまった。30分間のニュースだが、新型コロナウィルスの騒ぎとスポーツニュースと天気予報を除くと、残りはあと5分ほどだろうか。そこでは地方の話題やスケジュール通りの出来事の報告といった話で終わる。逆に言うのなら、新型コロナウィルス騒ぎとスポーツニュースと天気予報がなければ、いったいNHKのニュースは30分間に何を伝えるのだろう。

 もちろん、新型コロナウィルスの話題が重要であることは間違いない。経済活動などに波及する要素についても重要だろう。横浜寄港のクルーズ船は各国でも重要な話題にもなっている。しかし、あえて言うのだが、国内の新型コロナウィルスの騒ぎそれ自体には、それほどニュースの価値があるとは思えない。新型コロナウィルスの危険性を過小評価したいのではないが、例えばマスク不足に関する騒ぎなど、新型コロナウィルス予防という観点では科学的にほとんど意味がない。かなり大雑把な意見になるが、現状では市民がこの伝染病に対して予防できることといえば、通常の季節型インフルエンザの予防と変わりがない。新型コロナウィルスと季節型インフルエンザが同じものであるとは言えないが、市民にできる対応は同じであると言っていいだろう。殊更に「正しく恐れる」といった表現をしたところでニュース的な意味があるとも思えない。

 こうしてみると、実は私たちの社会にはもうニュースが不要になっているんじゃないだろうか。と、言ってみて、そんなはずはないのになぁと思う。では、一体何が本当のニュースなんだろう。

 そういえばこの間、追いやられたニュースの中で比較的目立った話題と言えば、米国民主党の大統領選挙候補の話題があった。本来なら、このブログでは、その辺をもう少し詳しく書けば良いだろうし、これまでは書いてきたのだが、結論だけ先に言えば、話題が先行するだけの大統領候補は選挙戦の最終的な場面まで生き残ることができない。言うまでもないが、大統領選挙には資金や組織が必要になる。つまり、民主党の総力戦になるのだが、すでに前回の大統領選挙の時点で米国民主党はこの点で割れている。同じことが日本の政局の野党勢力についても言えるのだが、まぁつまりはそういうことだ。米国の政局に話を戻せば、トランプ大統領の弾劾についても、放言になるが茶番だった。重要性は、市民社会ではなく、党派性に帰着するだけだ。

 いったいどうしたことなのだろうともう一度考えてみると、私たちの社会が必要とするニュースとは何かと言う合意が見えなくなりつつあるのだろう。ここに分断された私たち個人個人について言えばその職業柄や専門領域において重要なニュースは発生している。そしてそうしたニュースは、テレビでなくてもインターネットを主体的に検索すれば、十分に得ることができる。そうしてみれば、ニュースと言うものが、ブロードキャスティングのメディアにもはや対応しないと言う時代になったのだろう。

 市民社会の分断化が、ある種の話題の重要性の中において統合されることはもう無いのかもしれない。

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