新ミニマリストの時代か?
「ミニマリスト」という言葉が少し前に流行っていたような気がする。音楽や芸術のそれではない。簡単にいえば、倹約生活といったものだ。貧乏暮らしを楽しくと言ってもいいのだろうが、それだと昭和っぽすぎるのだろう。新時代のミニマリストの御教組もいろいろいる。そうした御教組ニーズ、というのも変だが、あるのだろう。
確かに、身の回り、いろんなものが増えすぎた。そしてそれらは結局のところ、人の時間と関心を奪っている。カール・マルクスの時代は、人々から搾取するものは労働だったが、現代では時間と関心だろう。どんな金持ちでも、1日の時間は限られているし、一人の人が持ちうる関心対象にも限度がある。つまり、時間と関心こそが希少性でもある。そういうふうに思い至る人が増えているのも、新ミニマリストの背景かもしれない。
先日、スマホ・アプリを減らす話を書いたが、これらの機器は新しい搾取の道具でもある。実際少し減らしてみたら、退屈が増えて、ぼんやり静かに物を考えるようになったというか、こんなものの無い時代を思い出した。
朝日新聞の記者だった稲垣えみ子さんも、昨今のミニマリストの御教組の一人と言っていいんじゃないか。彼女は、震災・原発事故をきっかけに電気を減らす生活を始め、つまるところ残ったのは4つ、電灯とラジオと携帯電話とパソコンだったらしい。携帯電話はスマホと同じ、というかガラケーもなくなったから、要するにミニマリストでもスマホは手離せないし、パソコンはライター業務用だろう。ラジオはだらだらとうるさい道具にもなる。
とあげつらうようだが、彼女としては、冷蔵庫も洗濯機も要らないことに気がついたというのが天啓であったようだ。炊飯器も要らない。おおよその家電機器は要らないという気づきが新ミニマリストたるところだろう。
僕も歳取ったなと思うのだが、冷蔵庫の無い時代を知っている。夏のある日、父と一緒に自転車をついて氷屋に行った。氷屋というものがあった。洗濯機のない時代も知っている。思い出すと異世界だな。風呂も薪で焚いていた。
昭和の三種の神器とも言われていたなと思い出し、冷蔵庫と洗濯機ともう一つは何だっけ。度忘れ。白物家電だったが、と。
答えは、白黒テレビ。白物家電とも言いがたい。私の家に来たのは5歳ころだったろうか。鉄人28号のアニメ見た。小学生前だった。幼稚園の帰りのバス待ちで地面に並んで座らされたので、地面に鉄人28号の絵を描いていたのだ。それから、鉄腕アトムのアニメを見た。オバQも。などなど。
当時の評論家・大宅壮一はテレビが家庭に普及する以前に一億白痴化と言った。1957年。私が生まれた年だった。私自身も一億白痴化時代の申し子だったな。
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