« 嫌うことの自信 | トップページ | マイナスの生産性に取り込まれているかもしれないこと »

2020.02.26

果たされなかった夢の残骸を人生の後半でどうするか?

 『死者の記憶をもつ子供たち』という番組をアマゾンプライムかHuluで見た。最初、ナショナル・ジオグラフィックも奇妙な番組を作るなあと思ったが、勘違い。ナショジオではなかった。
 前世の記憶を持つ子供というのは、いつの時代も話題になる。かく言う私も前世の記憶のようなものがわずかにあり、なんだろと不思議に思っている。死後の生まれ変わりみたいなものを期待するのは、天国を期待するのと同じだし、天国を期待する人間には地獄が待っているだろう。生まれ変わりを期待する人間には果てしない退屈が待っているのだ。
 番組は、つまらなかった。タイトルを勘違いしていた。前世の記憶から生まれ変わりの真相、という話というより、前世で悲劇的な死を迎えたというトラウマを抱えた子供たちというテーマだった。番組は興味を誘うように前世や生まれ変わりをほのめかすが、普通に見ていると、トラウマを抱えた子供が、歴史的に有名な悲劇事件を借りてそのトラウマを表現しているようにしか見えない。それもつらいことだろうし、こうした事例は少なくないのだから、頭ごなしに前世も生まれ変わりもないと言ったところで、当のトラウマは解消されない。
 さて、つまんないもの見ちゃったなと思ったのだが、前世や生まれ変わりはさておき、それを望んでしまうのはなぜだろうと思った。まあ、天国とか望んでもいいのだろうが。
 生まれ変わりとかを望むのは、Re:ゼロとかなろう系のラノベじゃないが、人生をリセットしてやり直せたらという思いがあるからだろう。若いといろいろ、転生的な夢も楽しいのだろうが、そう、人生の後半になると、これはしんどい。
 果たされなかった夢の残骸を人生の後半でどうするか?
 そんなの、諦めるしかないんですよね。
 答えは出ているのだが、感情とかがそれで落ち着くわけでもない。ああ、自分の人生ってなんだろうとか悔やむ。
 こうしたとき、いつも思いうかべてしまうことが2つ。秋葉原無差別殺人事件で殺害された若い女性が、「え?私の人生これで終わってしまうの?」と言ったという話だ。それと、北海道だったか、ヘリコプターで見たらSOSと石を並べたところに降りたら白骨死体というあれだ。
 普通にある朝起きて、普通に街を歩いていたら、突然人生は終了しました、とか、誰か助けに来てくれないかなと希望をもちながら死にましたとか、人生の真実というのはそういうものなのだろう。
 うー、暗くなるなあ。
 明るく考えるなら、とりあえず、生きているなら、できる範囲で果たされなかった夢の残骸を人生の後半で回収というか再構築してもいいだろうし、むしろ、そういうふうに考えたほうがいいのだろう。(で、多くの人にとって、それは「本当の恋愛」、とかいうものだったりするのだろうな。)
 でもまあ、限界はあり、最初のほうの話に戻るが、多くの人が人生を終えるとき、いろいろ悔いを残してしまうから、前世だとか転生だとかいうことになるのだろう。『100万回生きたねこ』は思いを遂げて死ねたわけだし。
 前世も転生も、実際はないわけだが、こうした残念な思いは、文化遺伝子とでもいうのか、文化に刻まれていて、そうした文化的に継承された情念・情報で人は人格を形成するわけだから、広義に言うなら、現在生きている人間というのは、そうした過去の時代の人々の悔しい思いが結実した産物かもしれない。天国も前世も信じないマルクス主義者も、今生の悔いを残しても、人類の未来に幸福な共産主義の実現を夢見て、死ぬのだろう。
 世の中には、我が人生悔いなしとかいう人もいるし、それが何か良いことのようにも受け止められているふうでもあるが、それも、それほどいい話でもないような気がする。
 普通の人間だと、人間も生物だから、人生とかいっても、子供を産んで育てれば、それなりに役割は終えた感があるものだが、それも、それほど答えにはなっていない。子供をもてば人生の意味は充足されるというものでもないだろう。
 で、どうしたらいいか?
 果たせなかった夢や後悔をできるだけ、小さくしていくのが後半生の課題かもしれない。とりあえずは、一日一日の充足があればそれ以上のことはなかなか望めもしないものだ。ということは、今日を精一杯生きようという陳腐な話になるのだが、そうくさしたものでもなく、人は一日を漫然と生きてしまう。気をそらすものに溢れているからだ。
 ということで、あるなら、一日の気をそらすものを整理していくというのが、いい、ということになる。(スマホ見てんじゃねーよ。)

 

|

« 嫌うことの自信 | トップページ | マイナスの生産性に取り込まれているかもしれないこと »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 嫌うことの自信 | トップページ | マイナスの生産性に取り込まれているかもしれないこと »