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2020.01.02

日産自動車元会長・カルロス・ゴーン被告の国外逃亡

 年末、日産自動車元会長・カルロス・ゴーン被告の国外逃亡という珍事というか、洋ドラのような話を聞いて、そう、まさに、洋ドラのように面白いなあと思ったのが、第一印象である。いやあ、まじでそういうことがあるんだなと。もちろん、保釈中に国外逃亡という事例が今回初めてというわけではないにせよ、これはさすがに面白すぎるだろう。
 で、面白ろがっていていいのかだが、日本の国法に対する挑戦であり、日本国としては真面目に向き合っていかなくてはならないのは確かだ。が、現実問題、もう済んでしまったことであり、まあ、レバノンという国を考えれば、昭和な人の思いなら当然というべきか、もうどうとなるものでもない。ゴーン被告はもう晴れて自由の身というに近い。
 さて、呑気なブロガーとしてこれをどう思うかというのを簡単に書いておきたい。というか、それなりに、正月でもあり、この問題をどう考えるべきか、と、おせち料理をつまみながらぼんやり考えたのである。
 私の個人的な結論は、逃げていいんじゃないの、である。いや、そんな無責任なこと言っていいかというと、そこは個人的な意見である。たかがブログの放言である。
 ゴーン被告は、日本の国法が不当だというのだから、「不当」な法に従わなくてもいいのではないか。
 不当だと思われる法なら従わなくてもいいのか? いいのではないか。
 ただ、警察力というか暴力装置といての国家の持つ暴力機能によって、大抵の場合は逃れることができない。逆に言えば、この暴力を出し抜けるなら出し抜いてもいいのではないか、というのがゴーン被告の思いだろうし。
 そこで、『ソクラテスの弁明』や大学時代の原書購読でやった『クリトン』における、ソクラテスを思う。ソクラテスの場合は、自身は無罪だと考えていたが、アテネの法が不当だとは考えていなかった。弁明という手続きをもって、自分の無罪を勝ち取るべきであり、それが可能でないなら、法に従うとして、毒杯を仰いだ。
 ゴーン被告は、自身が無罪だと思っているうえに、日本の国法が正しいとも思っていない。ソクラテスとは違う。
 まして、彼は日本人ではない。生まれた主権国家の保護を受けるべきだろう。
 それと、そもそもゴーン被告が捕まったのは、日本の検察の奸計っぽい印象もある。彼が日本に滞在していない状態で、逮捕の懸念があることが伝わっていたら、彼は日本にはいなかっただろう。個人的な思いで言うだけだが、日本の検察、上手に捕まえたなあ、それがそもそもラッキーすぎたよな、と。
 日産自動車元会長・カルロス・ゴーン被告の国外逃亡の、ネットの反応を見ていると、日本国に批判的な人、日本の司法制度に批判的な人は、今回の件で、日本の司法の問題が国際的に明らかになるといった点にのみ注視して、実際のゴーン被告の逃亡の是非に意図的に無関心を装っているかに見える。
 他方、日本国を支持する人のみならず、そもそも保釈中の国外逃亡は良くないんじゃないの、たとえ日本の司法に問題があるとしても、この逃亡とは別問題じゃないの、という議論も多く目にした。
 つまり、私はそのどちらでもない。
 では、私は彼を無罪だと思っているかというと、わからない。法に照らさないとわからない。なので、ゴーン被告が自身が無罪であるというなら、そして日本の法が信頼できないというなら、そもそもフランス国家の関わる企業の問題でもあるのだから、フランスの法で照らしてみればいいのではないか。そこで、無罪が弁明できたなら、私は彼が正しく、日本の司法には問題があるなあと納得する。まあ、ゴーン被告抜きに、日本の司法に問題はあるとは思うが。
 フランスとしても彼を告訴する気はあったみたいだし、ゴーン被告の夫人もフランスで裁かれるべきだと言っていた。
 なので、こうも言えるだろうと思う、つまり、ゴーン被告が、フランスの法なり、自身が信頼できる法に服することで自身の義を示そうとしないなら、なーんだ、こいつはただの悪党じゃはないか、と。そう思うことにする。
 ざっと見て、3か月くらいなんら法に服する態度がなければ、世の中、金のある悪いやつは悪いことしほうだいなものだなと納得するしかないだろう。
 なので、しばし様子見。

 

 

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