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2020.01.04

[書評] 馬鹿ブス貧乏で生きるしかないあなたに愛をこめて書いたので読んでください。(藤森かよこ)

 著者の藤森かよこさんは、リバタリアンのアイン・ランドの研究者なので、彼女の思想を藤森さんの生き方に重ね、現代日本という文脈に合わせた一般向けの書籍だろうなと期待して読んだ。が、半分くらいまではアイン・ランドは出てこない。出てきたときはさすが研究者だなと思うようなとんでもない逸話が出てきてびっくりした。
 というわけで、前半は、概ね、知的な65歳の現代女性で、いわゆるリベラル的な圏内の呪縛のない、言い方は悪いが、現実的なおばちゃんが、実際には8割がたを占めるであろう馬鹿ブス貧乏女性に、本当に愛を込めて書かれた教訓本である。現実と彼女の人生に裏付けられているので説得力がある。その分、通俗的だが、そうした通俗性を捨象すればフェミニストの上野千鶴子さんとよく似たタイプのフェミニズムの入門書でもある。特にそうした面では、レイプ後の具体的な対応についてかなり踏み込んで書かれていて、若い女性は読んでおくほうがいいだろうと思った。ブスくて悩んでいる若い女性で無理のない範囲であれば、美容整形を積極的に勧めているのも納得できた。
 もうひとつ、一般書的な視点で言えば、この本自体が、ブックガイドになっていた。巻末にブックリストがまとまっているし、本文もガイドブックっぽい。個人的には、もっとアイン・ランドについての体系的なガイドがほしいところではあるが。
 ああ、もうひとつ、一般書らしいなと思ったのは、陰謀論的な思考とニセ科学的な思考にやや傾倒している点だ。前者について言えば、副島隆彦と懇意にしているせいもあるだろうし、後者について例えば、健康法「舌剥がし」が熱心に語られているのも体感効果があったからだろう。とはいえ、大学の教授をこなしてきた人だけあって、トンデモなアッチの世界には行っていない。左翼的なアッチにも行っていないせいもあるのだが。
 この本は読むべきか?
 女性は読んだほうがいいだろうと思う。というわけで、身近な女性に、気が向いたらいいけど貸本できるように書籍で購入した。アマゾンでは書籍のほうは売り切れていて、とんでもないプレミアム価格がついているが、普通にジュンク堂書店で在庫があった。が、どこにあるのかわからないので、女性の店員(美人であった)に「あのー、馬鹿ブス貧乏で生きるしかないあなたに愛をこめて書いたので読んでくださいという本を探しているのですが、どこにありますか」と聞いた。彼女は顔色変えることもなく、書架に向かい手渡してくれた。
 どのような女性が読むべきか?
 ここが少しブレる本ではないかと思えた。著者にまず念頭にあるのは、10代から37歳までの馬鹿ブス貧乏女子である。現実を見なさいということだし、現実を見ることで不幸を減らし、そして、強く幸せに生きなさい、ということだ。表題もそれをよく表している。率直にいえば、そうした著者のメッセージを受け止めるだけの国語力があれば、この本の通俗書としての目的は達せされているだろう。うまく通じるといいと思う。男をどう捉えるかという点でも上質なフェミニズムの一般書にもなっているだろう。
 だが、おそらくこの本の真のターゲットは、30代から閉経までの女性である。著者も「とんでもないこと」といっているが、なるほど、これはけっこうとんでもないことが書かれていた。私も薄々そうなんじゃないかと思っていたが、こうすっきりと書かれていると、ああ、それだけでこの本を読んでよかったと思えた。性の問題である。当然、フェミニズムにもアイン・ランドの思想にも関連するはずなのだが、踏み込まれて書かれているようで、いまひとつ踏み込みが足りないようにも思えた。
 批判に取らないでほしいのだが、そのあたりは本書全体にうっすら霧がかかっているようにも感じられる。なんとなれば、彼女は博士号を持った大学の教授でもあったし、28歳で結婚し離婚も経験してないだろうと思われる夫帯である。もちろん、「馬鹿ブス貧乏」がそうなれるというストーリーではない。読めばわかるが、大学教授・夫帯の現実はなかなかにきびしい。それでも、お子さんの有無やそれに関連する育児、さらに育児にまつわるフェミニズム的な問題は一切描かれていない。
 そうしたブレと霧がかかる構成の曖昧さが逆に奇妙に真に迫るのは、後半三分の一ほどの紙幅を割かれている、65歳以上の老年期の生き方である。これは、つまり、著者の現在の問題でもある。大学教授も退官し、夫はステージ3の癌を抱えている現状が裏打ちされている。そして嗚呼、ここは62歳で老いに突入しつつある私ににはけっこうリアルな問題である。結局どうしたらいいのか?
 全体として本書は学ぶことを勧めている。老年期になっても学ぶべきだと。私もそう思う。ただ、私は、「馬鹿」であることを抑制するために学ぶより、また、社会に呑まれていくことに抗うために学ぶより、個人の快楽の活用(フーコー)の礎とすべきではないかと思う。つまるところ、人の生き方の最大の難所は、孤独である。そして他者を排除することもできない。他者と社会とは上手に妥協するしかない、だとしても、それこそが孤独の宿痾そのものである。どうしたらよいのか? 快楽の活用だろう。本書著者は二作を書く気満々のようだ(とエンカッレジしたい)ので、そこを描いてほしい。アイン・ランドの入門書も、よろ。

 

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2020.01.03

初詣を見に行った

 初詣を見に行った。初詣に行ったのではない。初詣してもいいかなとは思うし、たまに行くことはあるが、三が日が明けてからのことだ。人出が嫌いなのである。三が日だと、どこへ行っても初詣なんか無理だなあというくらい人が並んでいる。
 では、まあ、初詣ではなく、初詣の人を見に行くかと出かけたのである。さて、どこへ。都心側は混むから郊外がいい。というか、東京の逆方向がいい。大宮なんかもいいが、ここはここで混むだろう。地図を見ながら、そういえばと、拝島大師を思い出した。だるま市が立っているはずである。
 行ってみた。混んでいた。幸い、拝島大師はけっこう広いので、ラッシュアワー状態というか、明治神宮お馴染みレミング風行進もそれほどない。賑わいを見て回るうち、観音堂が意外と閑散としていたので、詣てきた。なーんだ、初詣じゃないか。

Daruma

 それにしても、元旦、三が日とどうしてかくも、初詣客で賑わうのだろう。日本人は無宗教と言われるが、これはどう見ても、カーバ神殿に比せられるほど、いやさすがにそこまではないにせよ、宗教心あふれるとしかいいようがない。
 拝島大師のように比較的由緒正しくその土地の歴史に馴染んでいるものはわかららないでもないが、明治神宮のように明治天皇を祀り、しかもそのために作って100年たらず(そういえば、ちょうど100年か)のところでも、参拝客でごった返す。教育勅語の復活はいかんとがなりたてる左翼もこの参拝にケチをつけるでもない。
 そういえば、夜、7時のNHKニュースで、新天皇の一般参賀の様子を流していたが、呆れ返るほどの人混みであった。宮内庁の発表では6万人を超えたらしい。すごいなあ。天皇を見たいというか、挨拶したいというか、まあ、いろんな趣味があってもいいが、この初詣みたいな群衆はなんだろうか。
 まるでデモのようだなと思い、そういえば、2015年夏の国会前デモのとこは、12万人だから、この倍かあ、なんて、あれ、警察発表では3万人。まあ、宮内庁発表の精度もわからないが、国会前デモの倍近い人々が一般参賀で集まってしまうのが日本という国なのだろう。
 というか、この人々が、実際のところは、あの国会前に集まる人々と拮抗しているのではないだろうか。日本人が分断しているというのでもないだろうが、バランスのようなものを感じるし、こうして可視になる数万の後ろにそれに比したサイレント・マジョリティーがいるのだろう。
 自分も日本人なのだが、こうした日本人の心性というのは、よくわからない。

 

 

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2020.01.02

日産自動車元会長・カルロス・ゴーン被告の国外逃亡

 年末、日産自動車元会長・カルロス・ゴーン被告の国外逃亡という珍事というか、洋ドラのような話を聞いて、そう、まさに、洋ドラのように面白いなあと思ったのが、第一印象である。いやあ、まじでそういうことがあるんだなと。もちろん、保釈中に国外逃亡という事例が今回初めてというわけではないにせよ、これはさすがに面白すぎるだろう。
 で、面白ろがっていていいのかだが、日本の国法に対する挑戦であり、日本国としては真面目に向き合っていかなくてはならないのは確かだ。が、現実問題、もう済んでしまったことであり、まあ、レバノンという国を考えれば、昭和な人の思いなら当然というべきか、もうどうとなるものでもない。ゴーン被告はもう晴れて自由の身というに近い。
 さて、呑気なブロガーとしてこれをどう思うかというのを簡単に書いておきたい。というか、それなりに、正月でもあり、この問題をどう考えるべきか、と、おせち料理をつまみながらぼんやり考えたのである。
 私の個人的な結論は、逃げていいんじゃないの、である。いや、そんな無責任なこと言っていいかというと、そこは個人的な意見である。たかがブログの放言である。
 ゴーン被告は、日本の国法が不当だというのだから、「不当」な法に従わなくてもいいのではないか。
 不当だと思われる法なら従わなくてもいいのか? いいのではないか。
 ただ、警察力というか暴力装置といての国家の持つ暴力機能によって、大抵の場合は逃れることができない。逆に言えば、この暴力を出し抜けるなら出し抜いてもいいのではないか、というのがゴーン被告の思いだろうし。
 そこで、『ソクラテスの弁明』や大学時代の原書購読でやった『クリトン』における、ソクラテスを思う。ソクラテスの場合は、自身は無罪だと考えていたが、アテネの法が不当だとは考えていなかった。弁明という手続きをもって、自分の無罪を勝ち取るべきであり、それが可能でないなら、法に従うとして、毒杯を仰いだ。
 ゴーン被告は、自身が無罪だと思っているうえに、日本の国法が正しいとも思っていない。ソクラテスとは違う。
 まして、彼は日本人ではない。生まれた主権国家の保護を受けるべきだろう。
 それと、そもそもゴーン被告が捕まったのは、日本の検察の奸計っぽい印象もある。彼が日本に滞在していない状態で、逮捕の懸念があることが伝わっていたら、彼は日本にはいなかっただろう。個人的な思いで言うだけだが、日本の検察、上手に捕まえたなあ、それがそもそもラッキーすぎたよな、と。
 日産自動車元会長・カルロス・ゴーン被告の国外逃亡の、ネットの反応を見ていると、日本国に批判的な人、日本の司法制度に批判的な人は、今回の件で、日本の司法の問題が国際的に明らかになるといった点にのみ注視して、実際のゴーン被告の逃亡の是非に意図的に無関心を装っているかに見える。
 他方、日本国を支持する人のみならず、そもそも保釈中の国外逃亡は良くないんじゃないの、たとえ日本の司法に問題があるとしても、この逃亡とは別問題じゃないの、という議論も多く目にした。
 つまり、私はそのどちらでもない。
 では、私は彼を無罪だと思っているかというと、わからない。法に照らさないとわからない。なので、ゴーン被告が自身が無罪であるというなら、そして日本の法が信頼できないというなら、そもそもフランス国家の関わる企業の問題でもあるのだから、フランスの法で照らしてみればいいのではないか。そこで、無罪が弁明できたなら、私は彼が正しく、日本の司法には問題があるなあと納得する。まあ、ゴーン被告抜きに、日本の司法に問題はあるとは思うが。
 フランスとしても彼を告訴する気はあったみたいだし、ゴーン被告の夫人もフランスで裁かれるべきだと言っていた。
 なので、こうも言えるだろうと思う、つまり、ゴーン被告が、フランスの法なり、自身が信頼できる法に服することで自身の義を示そうとしないなら、なーんだ、こいつはただの悪党じゃはないか、と。そう思うことにする。
 ざっと見て、3か月くらいなんら法に服する態度がなければ、世の中、金のある悪いやつは悪いことしほうだいなものだなと納得するしかないだろう。
 なので、しばし様子見。

 

 

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2020.01.01

2020年がよい年でありますように

 2020年になった。そのことに、感慨があるようなないような宙ぶらりんといった感じがしている。困惑、だろうか。ついこないだ、2000年になったばかりじゃないかという思いが去来する。でもあれから20年。
 「令和2年」にもなった。昨年の今頃は、「今年は新元号元年になるのだな」と思っていた。つまり、一年前の元旦は「平成31年」だった。そしてその連想から、平成になった30年前を思い出し、自分が見た平成史を書こうと思い立ち、実際に書き始めたのだが、執筆は平成4年あたりで中断している。平成2年までは書いた。
 そのおり、平成2年で思ったことは、その年の元旦、それからバブルが崩壊していくことに気がついている人は、ほとんどいなかったのだろうな、という感慨である。平成2年1月4日の東証の大発会で200円ほど下落し、その後1月は、一進一退というか、一進二退とでもいうように下がり続けた。株価の暴落が現実味を帯びたのは2月に入ってからだった。
 私は昨年、自身の平成史の資料として、その1月の主要紙を読み返してわかったことは、その1月の新聞の、浮かれたというほどでもないが、楽観とした空気だった。いずれ上がるさという気分が1月にはまだ覆っていた。振り返ってみれば、確かにまだバブルの崩壊のリアリティをあのころ感じていなかった。
 その、ある種の楽観的な無感覚を、令和2年の元旦にも感じている。これから、日本の経済が暗転していくのだろうなというような予感でもある。悪い予感だ。幸い、予感に過ぎず、根拠はない。それでも、日本経済がまた沈んでいったあとで今を振り返れば、いろいろこの予感に理屈はつくだろう。
 今年の前半は、オリンピック気分で浮かれていくだろう。オリンピックが終わると、安倍政権の余命(総裁任期)は議会解散がなければ1年となる。政局が沈んでから選挙ということはないから、オリンピックに浮かれた気分が残る秋の頭に総選挙の話が盛り上がるだろう。そう考えるだけで、げんなりとしてくるものがある。「アカルサハ、ホロビノ姿デアラウカ。人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ」そんな言葉が脳裏をよぎる。
 でも、2020年がよい年でありますように。

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