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2019.12.08

2つの魔笛

 最近、映像コンテンツではあるが、2つの現代的な魔笛を見た。最近といっても、1つは2017年10月のMETのものだ。もう1つは、今年のグラインドボーン音楽祭のである。

ジュリー・テイモアの魔笛
 METの魔笛の演出は、ミュージカル『ライオンキング』を担当したジュリー・テイモアである。以前見たMETの『メリー・ウイドウ』の演出がスーザン・ストローマンでブロードウェイ的にで面白かったが、ジュリー・テイモアも期待通りだった。『のだめカンタービレ』の別巻で魔笛を扱っていて、そこでこの作品ならでは演出の妙がうまく表現されていたが、今回のMET演出でそれを思い出した。
 加えて、歌舞伎だったし、小林幸子だった。ニホニズムというほどのことはないだろうし、Star Warsなんかもそうだが、歌舞伎の影響は普通にあるのだろう。ただ、さすがにベタな隈取にドラゴンボール的な見得を切るタノミーノはいい意味で笑えた。足りないのは六方を踏むくらいか。そういえば、タミーノはもともと「富野」らしいから日本的でもよいだろう。ヴェルバのパパゲーノ役のは意外とオリジナルを受け止めていたようにも思った。
 METの魔笛には、DVD化されてる1991年版のほかに、1967年のシャガールがあるのだが、こちらは見たことがない。見たいものだなと思っている。魔笛というのは、こうした視覚アート的な楽しさやコメディの楽しさに満ちている。
 テイモアのバージョンなら一層、子供が見ても純粋に楽しめるのではないか。ああ、モノスタトスはちょっとやりすぎかな。
 歌で言えば、MET初らしいゴルダ・シュルツのパミーナにも安定感があった。このあたり、METは外さない。オケ指揮は当然、ジェイムズ・レヴァインであり、弦がとても澄んで聞こえた。
 あと、自分でも意外だったけど、ドイツ語がけっこう聞き取れて嬉しかった。

アンドレ・バーブの魔笛
 今年のグラインドボーン音楽祭の魔笛は話題だったが、話題というとどうしても批評的に語られがちで、そうした批評から抜けおちるものは多い。のだめカンタービレでも清良が「このオペラ、女に対してホントひどい」と言っているが、ファンタジーとしてつい許しちゃうしMETもその方向に舵を切っているが、ゴーギャンの絵画を美術館から追放するとまでいかなくても、魔笛とか、あれとか、いやあれはあれでいいか、いずれにせよ、魔笛の女性蔑視は当時の時代的なもので済ませていいのか、深く考えるとよくわからない。というあたり、今回のは踏み込んでいるらしいと聞いたものの、むしろ「批評から抜けおちるもの」に期待した。ただ、全体としてはあまり期待しなかった。METにかなうわけもないなというか。ところが、これはかなりすごい作品だった。PC的な部分やエンディング、あれ、新国立劇場と東京文化会館共同の『トゥーランドット』ほどのひねりでもないく、むしろ、まあこんなアイロニーかなという感じではあった。
 設定は、チューリヒ歌劇場の『ナブッコ』もそうだったが、近代に置き直していた。夜の女王はホテルの経営者で、女性参政権運動のアクティヴィスト。ザラストロは、ホテルのシェフとしてホテルを牛耳っている。モノスタトスはホテルのボイラーマン。タミーノは幻視がちなホテルの泊まり客で、パパゲーノは行商人だろうかビヨン・ブーグが演じていたが、これが最高だった。現代のオペラ歌手はここまでの演技を求められるのだろうか。
 演技といえば、夜の女王を演じたキャロライン・ウェッターグリーンの歌はすごかった。O zitt're nicht !は、ああいう歌い方あるんだろうかと驚いた。

 オペラというのは、上演自体が、現代解釈となる時代になったので、その古典的な意味合いを変えることができる。それが楽しいともいえるが、リングなんかもそうだが、どこに原点があるのかというのがわかりにくいようにも思う。METもそのあたりのバランスを取ろうとしているのだろう。
 個人的には、魔笛は1991年のMETに原点感がある。

 

 

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