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2019.11.02

平櫛田中彫刻美術館に行ってきた

 いい秋の日和なので、『女子高生の無駄づかい』の聖地巡礼に行って来た。前回の八坂駅から同じく西武多摩湖線の一橋学園駅駅である。

Jishomuda 

 おお友よ、このような話ではない!
 平櫛田中彫刻美術館に行ってきたのだ。平櫛田中(ひらくしでんちゅう)は、明治5年(1872年)、岡山県後月郡西江原村(現・井原市西江原町)に生まれた彫刻家である。同時代の著名な彫刻家(かつ文人)といえば、高村光太郎が連想されるが、彼は明治16年の生まれなので、平櫛のほうが10歳ほど年上、というと、かなり古い人のような印象があるが、印象としては逆で、 高村光太郎が亡くなったのは私が生まれる前年の昭和31年だが、平櫛が亡くなったのは昭和54年。1979年、私が大学生のころ。彼は107歳のセンチュリアンで当時の男性長寿日本一でもあった。
 平櫛田中彫刻美術館は彼の終の棲家を残したものだ。玉川上水の緑地近く、武蔵野の木々の美しいところだ。この地域のことは、村上春樹や椎名誠とも関連して、cakes『番外編・国分寺書店にオババがいた時代』 にも書いたが、私の高校生時代の思い出がつまっている。
 平櫛田中という名前は、日本マクドナルド創業の藤田田のように奇妙な印象を与えるが、彼はもともと田中家に生まれ、平櫛家に養子となった。とはいえ、長じるまで田中姓を呼称していたので、彫刻家として大成してこの名としたのだろう。
 平櫛は高村光太郎のような近代西洋的な芸術としての彫刻家の文脈にあったわけではない。最初は人形師となり木彫りの修行をした。が、上京後、高村光雲の門下生となり、公募展で認められ、美術界の文脈に乗っていく。美術家の理念としては、岡倉天心に傾倒した。東京藝術大学の六角堂に岡倉天心像があるが、平櫛の作である。他、臨済宗僧・西山禾山の影響を受け、東洋風味の作品も多い。代表作としては、戦時をまたぎ、20年をかけて完成した「鏡獅子」があり、この美術館で鑑賞できる。モデルは6代目尾上菊五郎で美術館では、菊五郎のモデル写真を含め、その製造過程の展示も見ることができる。
 戦後、昭和37年(1962年)に文化勲章受章を受け、昭和40年に東京藝大名誉教授となった。
 今回作品を見て私が思ったことは、意外に近代的なデフォルメがなされていることだった。ジャコメッティにも近いのではないだろうか、と。平櫛は依頼された肖像の彫刻や仏像などもあり、写実あるいは日本伝統彫刻の流れにあると思っていたのだが、改めて向き合うとそうした意外性を感じた。
 実はこの日、平櫛田中彫刻美術館に赴いたのは、春秋年二回の茶席に参加したいためでもあった。平櫛の家の秋の美しさが感慨深い一服だった。

Hirakushi 

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