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2019.11.01

納豆作法

 物心つく頃から納豆は食べていたので、特に違和感なく納豆を食べることができる。が、それほど好きということはなかった。結婚後沖縄暮らしが長くなり、当時(25年ほど前になるか)、沖縄では東京と比較すればだが納豆がそれほどには普及してないこともあり、久しく食べないでいたら、嫌いになった。なんでこんな臭くて粘る、気持ちの悪いものを食べていたのだろうと思うほどだった。が、東京に戻り5年も経つと、納豆が懐かしくなり、その後ぽつぽつと食べるうちに以前のように納豆が食べられるようになり、そして、自分でも驚いたのだが、納豆が好きになった。好きになったなと思ったのは、納豆の味にうるさくなっていたのだ。この納豆はおいしい、この納豆はおいしくないと感じるのだ。ただ、タレについてこだわる人もいるが私はタレはさして気にしない。これはどうしたことか。納豆でなにがうまいと感じるのか?というと、燻蒸というほどではないが、火の香りと、豆の香り、納豆菌の香りなどが独自に統合されたある香りがポイントのようだ。そういえば、イタリアのスローフード協会の人だったか、納豆にカカオに似た香りがあるとコメントしていたが、それに近い云々。
 そして、そう頻繁にでもないが、納豆を食べるようになり、そしてもう一つ思うことがある。どういう所作で食べるべきか?
 たいていの納豆は、発泡スチロールのようなパックに入っている。開くと、ポリラップのような薄い正方形のフィルムがある。これは当然、納豆の粘りが付いているのだが、これをどう剥がすのか? 静かにゆっくりと上手に剥がすと、このフィルムに納豆が付かない。そして、剥がして、べたべた面を内側に長方形に折ると、もはやべたべたではなくなる。という行動を自然にするようになった。
 この過程に付随して、パックの蓋を静かに破るようにした。これに長方形に追ったフィルムと出し終えたタレと辛子の袋を重ねる。これらはもはやべたべたしない。
 この動作を繰り返しているうちに様式化し、どこかしら、茶道の帛紗捌きのように感じられてきた。
 で、思ったのだ?
 納豆作法というのがあってしかるべきなのではないか?
 そう考えると、納豆を混ぜる所作も茶筅の扱いに似てないでもない。
 食べ終えた納豆のパックもきれいに水を貼ってしばらくして流せば、ベタベタが残らない。
 『目玉焼きの黄身 いつつぶす?』とも違って、納豆のあるべき食べ方の所作というのがありそうに思うのだ。茶道のような、納豆道というか。

 

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