スタンダールの墓碑銘の間違い
スタンダールの墓碑銘は、有名である。『生きた 書いた 愛した』である。マイペディアにも「墓碑銘〈生きた,書いた,愛した〉は有名」とある。
ところが、Wikipediaには、こう書いてある。
墓碑銘は「ミラノ人アッリゴ・ベイレ 書いた 愛した 生きた」である。
順序が違いますね。マイペディアは「生きた・書いた・愛した」の順で、Wikipediaでは「書いた・愛した・生きた」の順。
どっちが本物かな?
写真を見れば、一目瞭然。
ARRIGO BEYLE
MILANESE
SCRISSE
AMÒ
VISSE
直訳すると、「ミラノ人アッリゴ・ベイレ 書いた 愛した 生きた」。
つまり、Wikipediaが正しく、マイペディアが間違い。
なーんてな!
正解は、マイペディアのほう。フランスのモンマルトルにあるスタンダールの墓碑銘の実物が誤植なのでした。
って、ことがありうるだろうか?
ちなみに、フランス語のWikipediaを見ると、写真通り。英語のWikipediaにはそもそも言及なし。イタリア語のWikipediaはというと、こう。
Poi, la sepoltura nel cimitero di Montmartre, con l'epitaffio (in italiano) voluto dallo stesso Stendhal: «Arrigo Beyle / Milanese / Scrisse / Amò / Visse / Ann. LIX. M. II/ Morì il XXIII Marzo MDCCCXLII».
語順的には、フランス語Wikipediaと同じ。つまり、日本版Wikipediaとも同じ。じゃあ、マイペディアが正しいという根拠は何か?
その前に、そもそもこのスタンダールの墓碑銘だが、「VENI VIDI VICI」のようにラテン語のように見えるけど、イタリア語Wikipediaを見てわかるように、イタリア語。
スタンダールは、自分の墓碑銘をイタリア語にしていた。しかも、ミラノ人だと言っているのである。え? フランス人じゃないの。主要作、『赤と黒』『パルムの僧院』だってフランス語。そもそも、本名Henri Beyleでグルノーブル生れ。フランス人じゃん。
ところが、自身はイタリア人というか、ミラノ人だと思っていた。少なくとも、ミラノ人として死にたかった。だから、墓碑銘もイタリア語で書いた。
おっと、それが失敗のもとだった。
イタリア語がわからないフランス人が、墓碑銘を誤植してしまった!
と、なぜ言えるのか?
『イタリア詩歌』にそう書いてあったのだ。
そうです。墓碑銘は一般に流布している方が正しいのであって、モンマルトルの墓碑に刻まれている銘は間違っているのです。
前者、すなわち日本でもよく知られている方の銘は、末尾に動詞amoreの遠過去形amòが来ていますので、6音節からなる末尾第一音節強制詩行となり、全体は《強弱》リズムで統一されています。一方、実際の墓碑に刻まれた銘の場合、そうしたリズムの統一が失われている上に、2番目の動詞amòの強音節と3番目の動詞visseのそれとが隣接する形になります。音声の数は5ついう計算になります。当然、5音節詩行は形成されません。
これで完璧な説明と言えるかというと、考証学的にはどうかとは思う。ついでに、ここでは「イタリア人ならば、ほとんど本能的にこれではおかしいと気付いたはずだからです」とあるけど、イタリア語Wikipediaにはそうした注記はなかった。
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