[書評] ダンプリングの歴史
私は食べ物の歴史について読むのが好きである。できれば、素材の伝搬とか、特定のお酒とかではなく、庶民が普通に食べているものが、どういう歴史的な経緯で形成されたかが知りたい。そういう観点で、『ダンプリングの歴史』というのだから、読むしかないではないか。
で、どうだったか。期待通りに面白いというのと、期待が外れてプンスカの二面である。プンスカについては、率直に言って、個人的なことなので、本書は普通に面白い本だとしてもいいとは思う。ではなぜ、私はそれでもプンスカなのか?
その前に、ダンプリングとは何か?
本書には、簡素で確固たる基盤を持つ定義がない。あえてないとしたのだろうとも思う。一般的には、本書を引用するとこうだ。
『オックスフォード英語辞典』で「ダンプリング」を引くと、「生地を丸めた味のよい小さな団子状のもの」としか載っておらず、ほかの形のものは省かれ、具を入れた形のものには言及されていない。一方、ダンプリングの調理法として「ゆでたり、揚げたり、焼いたりする」という記述もある。
本書はこうした曖昧さを突いて、「具を入れてないものも、具を入れているものも両方含む」と定義しなおしている。
つまり、餃子もあり、なのだ。
肉まんもあり。ラビオリもあり。
日本について言及もあるが、これは、きびだんごなど団子。
プンスカなのは、ここだ。「すいとん」がないのだ。「そばがき」もない。「ほうとう」もダンプリングとしたい。あと日本から入れておきたいダンプリングがあるとすれば、サーターアンダギーである。
まあ、筆者が英国人なのだから、しかたないとしても、せめて、翻訳者や編集者が日本のダンプリングについて補足できなかったのだろうか?
とはいえ、ドーナッツはどうなっつ? ダジャレはどうでもいいが、やはり、具を入れるとダンプリングとしてはちょっと史的研究が曖昧になるのではないか。
というか、本書は、ダンプリングの歴史とはしているが、実質的な歴史研究は含まれていない。地域のダンプリングの差や各国のダンプリングの個別史を扱っている。
と、自分に引きつてダンプリングにこだわるのは、ダンプリングというのは、そもそもがでん粉を丸めて加熱して食えるようにしたという貧しい食事という原点を明確にしてほしいというのがあるからだ。
そういえば、タピオカもダンプリングと言ってもよいのではないか。
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