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2019.09.23

[映画] 天気の子

 新海誠監督のアニメ映画『天気の子』を見た。美しく、素晴らしいアニメ映画だった。ストーリーやメッセージ性、世界観も表面的にはそれほど難しくはなかった。幅広い年代が見ることができるわかりやすい映画といってもいいだろう。だが、他方、それゆえにかもしれないが、私は、ある微妙な困惑も覚えた。それがなんであるかは直感的にはわかっていたが、うまく思いにまとまってこない。二点ある。
 困惑の焦点は、私がこの作品をとてもパーソナルに見てしまったということだ。私の感動のツボはおそらくこの作品を見た多数の人と異なっているだろうと思う。が、にも関わらず、この作品の核心を受け取ったという奇妙な確信に由来する。それはとても簡単な形もしている。ある一つのシーンに集約される。
 その前にネタバレにならないよう、ごく簡単に物語を紹介しておこう。主人公は離島(神津島)で暮らす高校1年生の森嶋帆高(もりしま ほだか)。島の閉鎖的な日常から逃げ出したくて家出をして、フェリーで東京にやってくる。そのフェリーで、編プロの中年男須賀圭介(すが けいすけ)と知り合いになる。
 帆高は東京、とくに新宿の街を夜昼と彷徨し、偶然拳銃を持つようになり、また マクドナルドのようなファストフードのクリューをしている、18歳だと言う天野陽菜(あまの ひな)に出会う。二度目は街中で。そこで彼女に危機があり、それを救おうと帆高は拳銃を威嚇に使う。要するに、よくあるボーイ・ミーツ・ガールの物語である。彼は彼女が「天気の子」であると知る。天気の子とは、晴れをもたらす巫女であり、その能力には代償を伴う。帆高は須賀の事務所に転がり込み家出少年の生活を始めるが、拳銃の威嚇は察知され、誘拐疑惑もあり、帆高は警察に追われ、逃亡生活になる。
 初老の安井刑事は須賀が帆高をかくまっていると察し、その事務所を調べるのだが、その過程で彼はこう言う。「須賀さん、あんた大丈夫ですか?」
 須賀は「はあ? なにがですか?」ととぼける。
 安井は言葉をつなぐ。「いや、あんた今、泣いてますよ」
 そのシーンで私も泣いていたことに気がついた。私は須賀にきれいに重なっていた。これは驚くべき体験だった。自分には衝撃だった。そしてこの衝撃が私にとって、この物語のすべてである。と同時に、私の、残念ながらという言うべきだろう、批評脳は作動はじめ、物語のコンテクストでの須賀の涙を解析始める。それは批評脳にはそれほど難しいことではない。が、ネタバレにもなるかもしれないので書かない。ただ、天気の子は三人いるとだけメモしておく。
 私が泣いていた。気づかずに気付かされた。この物語が、私の少年時代の思いのある核心を言い当てている。それはもちろん言葉にはならないが、言葉にすることもできるし、物語もそれを表現していく。クライマックスでの須賀と帆高の格闘はそれだろう。これもネタバレに属するが、中年の男が自分の中に生きている少年と向き合うことになる。
 私は二つあると言った。もう一つは、東京の光景、新宿の光景である。新宿は私にとっても青春の街である。一年間新宿高校の近くをすぎて予備校に通った。その後もなんどもなんども帰巣本能のように新宿にその風景に惹きつけられる。映画ではその帰巣衝動のトリガーになる映像が溢れていた。そして、この風景は、青春の懐かしさではないことを私も知っている。少年の心が触れた異界、あるいは死の世界である。吉本隆明や栗本慎一郎なども魅了されたあれである。それは、異界として未来と宇宙にもつながっている。吉本のいう世界視線である。これは、この作品では、水没した東京として描かれている。この光景は、私のような人間には、ただの既知の風景なのである。そのこと、単純なそのことは、おそらくそう多くの人とは共感しないだろうが、共感する人もいるだろう。あの水没した東京を知っていると。
 映画の社会倫理的なメッセージ性については、批評脳ならなんとでも言えるようには思えた。

 

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