[書評] 渡部昇一『講談・英語の歴史』と『英文法を撫でる』
二年ほど前になるが、英語のスペリングはなぜこんなに混乱しているかというテーマの本を書いた。出版とはしてない。公開もしていない。タイトルは、『英語のfriendにはなぜ i (アイ)があるのか』といったようなものにしたかった。新書一冊分くらい書き上げて、自分の考えが変わり、原稿を直すほどでもなくなり、放置した。また機会があったら、ゼロから書き直さなくてと思いつつ、月日は流れる。その渦中、英語スペリングの混乱の説明に英語史の解説章も書き、参考文献も読んだ。いろいろ思うことがあり、自分なりの見解もまとめたが、渡部昇一の『講談・英語の歴史』はさっと目を通して、放り出した。学術的な価値がないと思ったのである。59歳の私である。まだ若かったのだ。62歳になって読み返すと、これはなかなか楽しい読書であった。
渡部昇一については、cakesという媒体で『知的生活の方法』について評論のようなものを書いたことがある。生前、お会いしたこともある。ネットの世界では、彼は右翼のように扱われていて、山本七平同様、彼らの著作を愛読書ですとでも言おうものなら、それだけでとんでもない攻撃を食らう。いやいや愛読書だからといっても心酔しているわけでもないし、批判的にも読むにはするが、いかんせん、ネットはその手の無粋なやからが多い。
とはいえ、渡部昇一先生かあという思いは当時はあった。学術的な本でもないしと。読み返すとそこがよいのだった。『講談・英語の歴史』の序文にもあるが、先生は意図的に雑談を織り交ぜたいとしていた。教養というのは、こういう雑談なのだということでもある。読み返しながら、なるほど雑談に興じる姿が楽しい。先生には、若い頃お会いもしたのだが、授業も受ければ良かったと悔やまれた。そういえば、講談社新書『英語の歴史』の著者・中尾俊夫先生のほうは、院生のとき英語史を受講した。雑談はあまりないが学識深く、楽しい授業だった。
ところで、いまさらなぜ英語史。しかも、『講談・英語の歴史』というと、ヴィンランド・サガの連想もある。このアニメ、なかなかにすごい。おそらく今季アニメのダントツだろうと思う。NHKやるなあ。原作も全巻持っているが、原作をより緻密に描いている。時間構成をリニアに直しているだけなく、主人公トルフィンの幼年期を丁寧に描いている。このアニメを見ながら、英語教師のみなさんとか、ネットで英語教育ぶいぶい言っている人は、これ見たほうがいいのになあと思っていた。アニメはさすがに英語史との関連は深く描いていないが、このあたりの歴史が英語の秘密の核心にもなる。
渡部昇一先生のこの本だが、雑談もあり読みやすい。学術的に古い印象もあるが、不正確とも言えないだろう。ただ、視点がドイツ側なので、近年の英国・米国側の英語史の視点とは異なる印象もあったが、逆に英語史学がドイツ語圏に依っていることがわかって面白かった。
で、その続編というか、『英文法を撫でる』も読んでみた。うかつだった。私は現在、英語文法史に関心を持っているのだが、渡部昇一先生が日本でのこの権威だったのだった。親しみやすい著書とその博識からその根幹部分を失念していた。本書も読みやすい。雑談はさらに多い。残念なことに、肝心の英文法史についての記述は少ない。が、英語史との関連はわかりやすく描かれている。前書とのダブリも多い。
それにしてもまたも悔やまれる。
先生が一般書を乱造されているとき、きちんとした英語史を書かせるべきであった。というか、それがむしろ、このPHP新書の功績とも言えるだろうが、少なくとも専門の修士ぐらいとった編集者にこのさらに一歩深い書籍を書かせてほしかった。
言い忘れたが、二冊ともアマゾンのUnlimitedに入っている。定額読み放題だ。ざっと見るに渡部昇一先生の本が他にも見つかる。広く読まれるようにしたのは、本人の意思というより、親族の意思であろうか。それでも、先生の先生らしい部分の人柄が偲ばれる。まあ、あの歴史観にはさすがについていけないものがあるが。
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