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2019.09.28

零落の風貌

 先日、「吝嗇(りんしょく)」という言葉を知らないという若い人を数人見かけ、まあ、それはいいことではないかと思った。すでに死語でもあるだろう。意味は、字引には「極度に物惜しみすること」のようにあるが、これに「けち」という読みを宛てることもある。吝嗇とは「けち」のことだと言ってよく、「けち」はまだ死語になっていないと思うが、と、ここで「吝嗇」という言葉のドロっとした語感を思い出す。
 そういえば、『零落(れいらく)」というのも死語であろうか。和語でいうなら、「みすぼらしい」ということだろうか。先日、「金ピカ先生」と呼ばれていた予備校講師がなくなり、その近影を見て、思わず、「零落」という言葉浮かんだ。
 あれはいつ頃だったろうか。昭和の終わりから平成の移行期だったように思う。もう、30年も昔になる。彼は、小太りで、あえて趣味の悪いヤクザのような風体をして人気を集めていた。経歴を知らなかったので、ウィキペディアを見ると、慶応を卒業した後、筑波で修士もとっていたとのこと。年収で2億単もあったそうだ。
 それが、晩年、生活保護者となり、最期は、デイケア・スタッフによって、遺体で発見されたという。68歳だった。もう少し若い人のような印象を持っていたが、それでも70歳近くまで生きたのだから、それも人生というものだろうか。脳梗塞も2度、心筋梗塞を患ったそうだから、寿命というものかもしれない。
 「零落」と言う言葉が当てはまりそうな老いた姿だった。現代ビジネスの記事『「金ピカ先生」年収2億でも「老後破綻」してしまったワケ』によると、零落のきっかけは離婚だったらしい。奥さんに自動車道楽などが過ぎて見放されたとのことだ。老いて妻に見放される男というのも、惨めなものだろう。
 と、書きながら、自分をなんとなく重ねている。私には、彼のように目立った人生ではなかったし、かろうじてまだ零落というほどでもないし、道楽もない。が、それでも彼の末期は、これからの多くの男性の末期のモデルになっていくようにも思う。

 

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