英国最高裁判所は、英国時間の24日、ボリス・ジョンソン英首相が5週間にわたり議会を閉会したのは違法だ、という判決を下した。よって翌日から、下院議会は継続することとなり、ジョンソン首相はまたも手痛い失敗となった。
というニュースをBBCで聞いていたのだが、そこで、”constitutional”という言葉がなんどか出てきて、あれ?と思ったのである。これ、日本のメデイアだと「憲法の」あるいは「憲法上の」と、なんの考えもなく、訳してしまうのではないだろうか。
まず、BBCの該当ニュース"Supreme Court: Suspending Parliament was unlawful, judges rule"を文字で確認しておこう。
But Supreme Court president Lady Hale emphasised in the ruling that the case was "not about when and on what terms" the UK left the EU - it was about the decision to suspend Parliament.
Delivering the justices' conclusions, she said: "The decision to advise Her Majesty to prorogue Parliament was unlawful because it had the effect of frustrating or preventing the ability of Parliament to carry out its constitutional functions without reasonable justification."
この記事だがすでに日本語版『英最高裁、首相による議会閉会は違法と歴史的判断』が出ていた。該当部分は、こう。
最高裁長官のレイディ・ブレンダ・ヘイル(リッチモンドのヘイル女男爵)は、首相による議会閉会は「この国の民主主義の根幹」に「極端」な影響を与えたと述べた。
ヘイル長官はさらに、「議会閉会を女王に進言するという判断は、違法だった。なぜなら、相当な事由のないまま、議会がその憲法上の機能を果たす能力を、妨害もしくは阻止する効果があったからだ」と判断を示した。
まあ、後半はほぼ普通の翻訳と言っていいだろう。そして、予想通り、「憲法上の」と訳していた。BBCの日本語版はおそらくジャーナリストは含まれず、政治知識を欠くかもしれない翻訳者によるものだろうから、語の正確さの点では報道の質はさほど問われないだろう。
朝日新聞はどうだろうか? 『英議会閉会は「違法」 最高裁 きょう再開、政権打撃』という署名記事が上がっていた。関連部分はこうなっている。
決定は、英国が憲法上の根本的な変化をもたらすEU離脱に直面するなかで、「議会にはどう変化するか議論する権利がある」と指摘。「閉会が民主主義の原理に与えた影響は甚大だ」と評価し、「合理的な理由なく、議会が憲法上の機能を果たすことを妨げるもので、違法だ」と結論づけた。11人の裁判官の全会一致だった。
ここで朝日新聞が使っている「英国が憲法上の根本的な変化」というときの、「憲法上の」は、おそらく"constitutional"を意識してはいるのだろう。問題は、"constitutional functions"を「憲法上の機能」と訳していることだ。
比較として日経新聞記事『英議会閉会は「違法」と最高裁 ジョンソン氏窮地』を見る。実はこの記事には「憲法」という訳語は出てこない。
判決は11人の判事の全会一致で決まった。ヘイル裁判長は判決文を読み上げ「(EU離脱で)国のあり方を根本的に変えることになるにもかかわらず、議会を長期間、閉会した」と政府を批判した。「下院は国民の代表として、この大きな変化について意見を言う権利がある。この国への民主主義への影響は甚大だ」と述べ、閉会は違法で無効になったと説明した。
裁判では、ジョンソン氏が女王から閉会の承認を得るために説明を尽くしたかどうかも焦点になった。最高裁は長期閉会の合理的理由について説明が不十分だったと判断した。結果として民主主義の根幹を担う議会の役割を軽視することになり「女王への助言は違法だった」と結論づけた。
NHKの報道も見てみよう。『EU離脱期限前に議会閉会は違法 イギリス最高裁が判断』がそれにあたる。NHK報道にも「憲法」という用語は出てこない。また、全体がくだきすぎでヘイル長官も出てこない。
その理由について、離脱期限まで8週間程度しか残されていないのに、閉会によって、国民の代表として選ばれた議員は意見を表明する役割を果たすことができなくなり、民主主義に与えた影響ははかりしれないとしています。
産経新聞も覗いてみると、苦心のあとが読み取れた。『ジョンソン首相議会休会措置 英最高裁判所が「違法」と判断』より。
最高裁は24日、休会を「合理的な理由なしに憲法の役割を実行する議会の能力を妨げる効果がある」と結論づけた。
この産経新聞の「憲法の役割を実行する議会の」というくだりは、イギリスに成文法の憲法がなく、日本人は、憲法といえば成文法を連想することの配慮が見られる。
なお、判決全文はBBC『Supreme Court: Lady Hale's statement on 'unlawful' Parliament suspension』にある。これを読むと、各報道で「民主主義の根幹」のように訳している部分に対応する原文は、”The effect upon the fundamentals of our democracy was extreme.”のようだ。
判決ではこれに関連して興味深い言明がある。
The second fundamental principle is Parliamentary accountability: in the words of Lord Bingham, senior Law Lord, "the conduct of government by a Prime Minister and Cabinet collectively responsible and accountable to Parliament lies at the heart of Westminster democracy". The power to prorogue is limited by the constitutional principles with which it would otherwise conflict.
ここで触れられている、"the constitutional principles"というのは、「憲法上の原理」といった訳語の語感ではなく、"in the words of Lord Bingham"が明確に述べた"the heart of Westminster democracy"にある、というのだ。
要するに、英国には、成文法の憲法がないということは、こういうことであり、”constitutional”というのは、「英国という国を形作る上での」ということである。
逆に見れば、今回の事態で、成文法を持たない英国の弱点が浮かび上がったとも言える。アイルランドのThe Journalでは、"Britain doesn't have a written constitution. Today isn't the first time that that's led to major problems"として議論していた。
では、そもそもなぜ、英国は成文法の憲法を持たないのだろうか?
これは今回の判決文からもわかるように、英国という国を形作るのは、議会だからだ。議会が国権の中心でそこから、各種の法が生まれ、それらの法が、Constitutional lawとなる。偽悪的に言えば、年がら年中、憲法改正をやっている国なのである。民主主義を生きたものにするには、国家のあり方としての憲法をたえず市民の代表である議員が言論によって取り組んでいくのである。