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2019.08.31

関心の搾取、あるいは、自由の再定義

 アニメ『さらざんまい』では、「欲望の搾取」という形式的なキーワードとその象徴的な映像は出てきたが、それが何を意味するかは、自明とは言えなかった。それでも、このアニメの主眼はまさにそこにかかっていることは理解できた。私が受け取った部分だけになるが、こういうことだろう。人は自身の欲望を持っているが、それが他者や社会、時代などによって、搾取される、強奪される、と言ってよさそうだ。このため、欲望を搾取された人間は、自身に由来する欲望が持てなくなる。
 この先、その搾取された欲望と、倒錯した欲望(ゾンビ化した欲望)、愛、あるいは、つながりたい、という各種の記号がどのような、まるでラカンが無意識を評したような構造を持っているのかは、なかなか理解しにくい作品だった。
 で、それはそれとして。
 このところ、関心の搾取、ということを思う。
 どういうことかというと、人が自然にもっている各種の関心やその関心のエネルギーが、メディアによって搾取されているのが現在の人間ではないかと。
 難しいことではない。ある事件や話題に、自分が関心を持っているかのようでいて、関心を持つようにしむけられ、本来の自分の関心が奪われている・搾取されている、ということだ。
 京アニ事件の被害者報道? 韓国と反日? そんなことが、どうして僕の関心なのだろう? おそらく、多くの人が関心を持つだろうということに、同調して、自分の関心が搾取された結果として、そんな話題に関心を向けているのだろう。
 もっと、単純な話でもいい。ぼうっと、Twitterを見ている。 Lineでもいい。小一時間がすぎる。時間が失われる。というか、そうでなければ向けられた関心が搾取されている。
 そう、時間が搾取されているというより、関心が搾取されている。その結果、時間が搾取される。
 搾取といえば、お金や富が対象のようだが、現在世界における希少性というか有限性は人の一日の有限な時間であり、おそらく関心もまた有限なのだろう。
 ブログなんかもそうだ。
 なにか面白い話題や、はては炎上とかもあるだろう、なんとか他者の関心を搾取したくて書かれている。とはいえ、ブログは可愛いほうなので、許容としてもいいんじゃないか。YouTubeとかは、ひどい。
 ようするに、自分の関心がメディアに向いているとき、関心は搾取されている。
 読書はどうか? 書籍もメディアではないか? 厳密な区分線がひけるわけではないが、書籍は少し違うように思う。どこかしら、自分の思考それ自体に向き合っているからだ。
 できるだけ、関心を搾取されずに生きること、がよいんじゃないだろうか。そして、それが現代における自由の再定義なんじゃないか。
 と、して、「よい」がふと顔を出すどき、関心の搾取の仕組みの多くが、「正義」であることにも気がつく。正義や不正には、どこかしら、関心を向けよとする、関心搾取が潜んでいる。
 どこかに「よい」ということと、関心搾取としての「正義」には、明確ではないにせよ、差異があるだろう。そこがどこなのかもよくわからないが。

 

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