8000万円の都心のマンションと4000万円の郊外の家
ツイッターを見ていたら、8000万円の都心のマンションと4000万円の郊外の家という話があった。これらを買った人がいるとする。10年後、どうなっているか。4000万円の家の価格は半額に落ちている。2000万円だ。他方、8000万円の都心のマンションのほうは、7000万円。10年後の時点で、どっちがお得か? 8000万円の都心のマンションのほうだ。と、いうのである。
詳細は違うかもしれないが、ざっくり見ればそういうものだろう。実際、そういうことで、都心のマンションが売れている、と言っていいだろう。
そんな傾向が今後も続くのだろうか? 未来はわからないものだという大前提は扱いにくいのでとりあえず置くとする。たぶん、少子高齢化していく日本では都心集中が続くから、都心マンションの価格はそう崩れないのではないか。
さて。これで話は終わりかというと、まあ、終わりでもいい。
実際に、じゃあ、8000万円の都心のマンションが買いたいとしても、普通、その時点でそれだけの現金を持っているわけではないから、ローンを組むことになるが、それだけ大きな金額のローンが組めるだろうか。
都心マンションの中古価格が崩れにくいなら、それを資産のように見なして、8000万円のローンが組めるだろうか? まあ、無理なんじゃないかと思う。どうだろう。
さて、とまたここで一息つく。仮に、8000万円の都心のマンションが買えたとする。そして子供が二人居るとする。子供は、現在の都心の状況からすると、中学校から私立に通うことになるだろう。小学生から受験させる。郊外の家で高校まで公立に通った場合と比べると、けっこう子供の教育費もかさむだろう。どういうことか? 8000万円の都心のマンションの生活は教育費を中心にしてそれなりに付随する支出も増えるだろう。
じゃあ、モブ的な市民は、4000万円の郊外の家で子供二人を公立高校に通わせるというのはどうか? 分相応でいいんじゃないか、と思えるのだが、これがまた現実的に考えると、郊外の公立高校から大学はMARCHに届かないのではないだろうか。もちろん、例外はあるとしても。
さてさて、これはいったいどういう話なんだろうか。どういう現実なのだろうか。私がアイロニカルな話を弄んいるということでもないように思う。
簡単に言えば、日本の社会は、都心居住者を中心に階層化されていくし、それが世代にわたって固定化されていくのだろうと思う。
いい悪いでも、どうしたらいいというわけでもなく。
人生というのはそういうものだ。都心のマンションであれ戸外の一戸建てであれ、離婚すればそれらの資産は整理することになる。離婚はそれほどまれなできごとでもない。また、けっこうな大病するというのも、珍しいことではない。そうなれば、ローンは返せない。それらもまた、現実だろう。
現実の前に立ちすくんでいるのも、それはそれで人生の時間は過ぎていく。
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