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2019.08.09

「堤不夾貴(つつみふさき)」の項目が日本語版のWikipediaになかったので

 さすがに8月に戦争を顧みるというのも飽きていたはきたが、関連する世の中の話題にそって連想することはあり、たまたまた、「堤不夾貴(つつみふさき)」の項目が、英語版とイタリア語版とロシア語版にあるのに、なぜか日本語版のWikipediaになかったことに気がついた。
 私は、以前、Wikipediaを使った嫌がらせで困惑したことがあり、このプロジェクトに関わりたくないのだが、さすがに日本語版のWikipediaに「堤不夾貴」の項目がないのも、なんだろう、奇妙な感じがする。
 奇特な人がいたら、日本語版Wikipediaになんとかするとよいのではないか。最近はgoogle翻訳も精度が上がっているが、とりあえず、参考までに、英版を以下に仮訳しておく。


堤不夾貴
堤不夾貴(つつみ ふさき、1890年(明治23年)3月3日-1959年(昭和34年)7月21日)は、第二次世界大戦時の日本陸軍中将である[1]。

生涯
山梨県甲府市に生まれ、1922年に陸軍士官学校を卒業した。1931年、歩兵第10師団参謀長として満州侵略に加担し、ジャムス市に到着。その後ほどなく歩兵部隊指揮のためにこの大都市を離れた。1943年10月、第一次千島駐屯軍の指揮に到着し、1944年4月、歩兵第91師団を編成した。千島上陸作戦では北千島の防衛を指揮した。1945年8月23日、降伏文書に署名した[2]。

参照
[1] Ф. 238. Оп. 1584. Д. 175. Л. 99. Допрос командира 91 ПД Цуцуми Фусаки"
[2] "Biography of lieutnant General Fusaki Tsutsimi". generals.dk. Retrieved 25 February 2018.

 

 ちなみに、イタリア語版も仮訳しておく。

堤不夾貴
堤不夾貴(つつみ ふさき、1890年(明治23年)3月3日-1959年(昭和34年)7月21日)は、第二次世界大戦期間中の日本陸軍中将である。

生涯
不夾貴は山梨県甲府市生まれた。1922年に陸軍士官学校を卒業した。1931年に大日本帝国陸軍第10歩兵師団参謀長として満州侵略に参加し、ジャムス市に到着し、その後歩兵部隊を指揮するためにその満洲の街を離れた。1943年10月、彼は第一次千島駐屯軍を指揮するために千島諸島に到着した。1944年4月、大日本帝国陸軍歩兵第91師団を編成し、司令官となった。ソ連が千島諸島の北方に侵攻した期間、この諸島の防衛を指揮した。1945年8月23日、彼の指揮の下、降伏文書に署名した。

 

 千島列島の防衛戦については、Wikipediaの「占守島の戦い」の項目にあり、堤不夾貴の活動も記載されている。
 この戦闘は、1945年の8月18日から21日にかけて、千島列島東端の占守島で行われたソ連労農赤軍と大日本帝国陸軍との間の戦闘である。
 言うまでもないが、そして防衛戦ではあるが、1945年8月15日以降の日本軍の軍事活動であった。ソ連としては、北海道占領計画の端緒であっただろう。
 とすれば、堤不夾貴の戦闘の成果は、ソ連軍の侵攻を遅らせたことで、ソ連の北海道占領計画を回避させたと言えるかもしれない。

 

 

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