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2019.08.19

六十肩と楊名時先生のこと

 もうすぐ62歳になる。若い頃から思うととんでもない老人である。父親はこの年齢で死んだ。もう死んでも、文句もいえないところまで来ちゃったなあ感が深い。で、六十肩になった。
 四十肩とは言う。五十肩もある。僕が初めてこれになったのは、五十歳過ぎてだろうか。あれれ、両肩が上がらない。挙げようすると痛い。ああ、これが四十肩というやつか。50歳過ぎていたから、五十肩か。
 これは数日で治った。こんなものかと思った。またなった。10年ぶりか。右肩のみ。理由もなくじわじわとなって治らない。これは一生治らないか。整形外科に行くか。と思っているうちに、じわじわ緩和した。十分ではないが、とりあえず手は上がる。ほら。お、痛え。
 この間、ああ、手も挙げられないよ。それでもゆっくり挙げようとして、適当に挙がったら回すように下ろして、そうした動作で、何かを思い出した。八段錦(はちだんきん)である。
 今から四十年くらい前、太極拳を習っていた。その準備体操みたいのに、八段錦というのがあった。気功の一種なのだろう。太極拳を限りなく簡素化したしようなもの。緩慢な動作で、おそよ身体にいいとも思えない。と、若い頃は思っていた。それに、ゆっくりと肩をあげて回して下ろすというのがある。
 太極拳は楊名時先生に学んだ。そういう会があった。先生は講習会に毎回来られるわけではなく、それ以外の回はお弟子さんが担っていた。お弟子さんの太極拳は、いわゆる太極拳である。ゆっくりときれいに動くのである。が、楊先生のそれは違った。ゆっくりではあるが、緩急があり、気がこもるところがあった。これは、健康体操とかいうものじゃなくて、マジで武術なんじゃないかと思った。先生は、いくどか、太極拳の武術の意味は教えませんと言っていた。それでいて、目の動かしたかは教えていた。というか、目の動かし方が、身体の動かし方と自然に調和するいうものではなかった。あれになんか武術的な意味があるのだろうか。
 私といえば、腰が入っていないので、先生に直してもらったことがなんどかある。たぶん、若い私は太極拳がなんもわかっていなかった。先生はしかし、きびしいわけではなかった。細かく生徒さんやお弟子さんを直しているわけでもなかった。眼光は優しいのだが、厳しさも感じられた。
 ときおり昔話をされた。山西省五台県の武家の生まれで、今では太極拳を教えているが、若い頃、政治家を志し、日本に来たのだと語っていた。調べるに、来日したのは、1943年である。戦中だったのだな。大学は京都大学である。その後帰国しなかったのは、なにか理由があるのだろうが、なぜか今にいたるまで関心を持たないようにしている。
 先生と楊露禅から楊澄甫の楊家太極拳の関係も知らない。楊澄甫がすでに武術的な要素を除いていたがそういう面を先生が独自に変えたものだろうか。
 講習は二十四式が中心なのだが、先生は八段錦を丁寧に教えていた。健康によいものだからという信念があったように思う。健康で心安く長寿に生きることがよいという信念確信に思われた。その関連か、七段を教えることはまれだった。
 思い返すにあれは、1978年だったろうか。とすれば先生は、54歳くらいだったのだろう。随分おじいさんに見えたが、今の自分のほうが年上でありそうだ。まいったな。年を取ると人は老人になるものだな。
 この年齢になって、ようやく先生の教えの意味がわかるかもしれないのだけれど。

 

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