さらに、Echo Dotを買った話
さらに、Echo Dotを買った。我ながら、先日、Echo Show 5を買ったばかりである。すでにGoogle Homeもあるのである。ので、少し悩んだ。どうせ買うなら、先日のプライムデーに買っておけばよかったのにとも思った。でも、まあ、買ったのだった。理由は、まあ、もう一個あってもいいかなと。理由になってない。(ちなみに、今見たら、タイムセールだったよ。)
で買って後悔したかというと、そうでもない。いいんじゃねと思っている。非常にくだらない理由から言うと、Echo Dotは、いるかいないかわからない感じの存在感でいい。というか、普通に常時使えるBluetooth のスピーカーがあってもいいかとも思っていた。
買って、おやっと驚いたのは、音質がいいのである。ネットとか見ると、Echo Dotは音質が悪いとかいう話が多いが、第3世代だと違うのだろうか。私の音質の好みというのもあるかもしれない。Echo Show 5も音質は悪くないのだが、低音がやや不自然なのと音の広がりが弱い。まさか、Echo Dotがこんなに音質がいいとは想定していなかった。そのぶん、重たい印象。
というわけで、さらに買った理由は大したことはないのだが、その存在感の薄さがKindle本の朗読にもいい。というか、なかなかいい。先日、Fireも買ってこのKindleにも朗読機能があるのだが、こっちだと、中国人かなというアクセントがあるが、Alexa側の朗読だとかなり自然だ。
年を取ったからかと思うが、静かさが好きだ。静かさというのは、沈黙が第一でもあるが、あまりに沈黙だと、老化した耳は静音時の生理音が気になる。こうしてブログを書いているときなどはかすかに聞こえるくらいの環境音楽があるといい。あれだな。病院とかの感じ。
朗読を好むのも年だろうか。僕はけっこう速読な人なのだが、他方、朗読を聞くのが好きだ。もちろん、朗読の熟達者や声優さんがいいには違いないが、なんとなく聞けるだけでもいい。岩波文庫をKindleで買ってAlexa機能でEcho Dotで読ませるというのは、なかなかいい。読む場所は、Echo DotだとAlexaアプリ側で指定する。とか、書いていて、これじゃ一般社会的な説明になってないなあ。
こういう一般社会向けの機能が、一般社会の人が使えないというのは、なんだろ、残念な感じがしないでもない。
山本周五郎が今年著作権が切れて青空文庫に入った。というか、事実上、山本周五郎と吉川英治をもって20年間の中断となる。僕の人生的には終わったわけだ。まあ、著作権切れをまたなくても岩波文庫買えばいい話である。で、こうした任意の文庫をそれなりにではあるが、AI機能で音声合成して朗読してくれるしくみがもうある、しかも比較的安価に実現している。こういうのほしい人はけっこういると思うのだが、設定や使い方の説明は難しい。
自著にも書いたが、僕は若い頃、プログラマとかもしてたことあるので(半導体自動合成システムとかも)、年寄りはITに弱いの部類でもないと思うというか、GoogleアシスタントにIFTTTの活用くらいはできる。ただ、そのあたりもけっこうめんどくさとか思うようにはなった。
そういえば、Echo Show 5を使えば、家庭教師システムとかもできないこともない。すでにあるのかもしれない。
ようは、身近なITでできることは増えたのに、それがほしいという潜在的なニーズに届ける人的サービスが追いつかないのだ。老人宅でWifiとBluetoothの設定をしても、想定外のトラブルとか起きてご老人の相手をする人的リソースが高すぎる。
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