捕鯨問題、終わりの始まり
世界を騒がせてきた、日本の捕鯨問題だが、これで、つまり、商用捕鯨の開始によって、終わりを迎えることになるだろう。つまり、捕鯨問題の終わりが始まったのである。
朝方、ツイッターで気軽に、こんなTweetをした。「そう言えば、商業捕鯨なんだけど、これを機に助成金が減り、クジラ肉はマーケットに委ねられる。つ・ま・り、捕鯨文化の安楽死なんじゃないかと思うが、そういう論調を見かけず。仕方ないからブログに書くかな。」
とは言ったものの、「捕鯨文化の安楽死」なんて物騒な言葉を使うと、そこだけ注目されて不用意な炎上を招きかねないので、とりあえず、なぜ捕鯨問題が終わるのかという道筋だけ簡素に述べて、炎上しかねないキーワードは自主規制しておくかなと思っていた。
それと、再考にするに、私が見てないだけで、きちんとした論評もあるかもしれない。そもそも私が書くような話でもない。が、そこは素朴に市民の複数の声として、この場合は、日本市民の声の一つとして、ブログに書いておいてもいいかもしれないと思った。
それでもう一度、ざっとニュースを見て回ったら、なんことはないなあ。日本についてけっこう辛辣なBBCが事実上、「安楽死」とでも言うようなことを書いていた。じゃあ、それでいいんじゃないかという気もしたが、ふと日本語の記事を見ると微妙なユーフェミズムになっているので、その指摘も兼ねてブログのネタにしておこう。
記事は"Japan whaling: Why commercial hunts have resumed despite outcry"。タイトルは、「日本捕鯨:なぜ抗議にもかかわらず商業的狩猟が再開されたのか」ということで、いつものBBC節ではあるが。で、該当箇所はずばりこれね。
But even if Japan does defy the criticism and stick with whaling, there's a good chance the contentious issue will gradually die down by itself.
Japanese demand for whale meat has long been on the decline and the industry is already being subsidised. Eventually, commercial whaling might be undone by simple arithmetic.
しかし、たとえ日本が批判に逆らって捕鯨に固執したとしても、論争の的となっている問題が、一人で緩やかに死んでいくという幸運はあります。
日本の鯨肉需要は長期現象を続けてきて、この業界はすでに助成金漬けです。結局のところ、単純計算で考えると、商業捕鯨は実施されなくなるでしょう。
ちなみに、英文解釈的には、"there's a good chance〜"の部分は熟語表現で、「~ということになりそうだ」「~となる可能性が高い」と訳すのが普通で、「幸運」とは訳さないが、この意地悪な英文には、「幸運」の皮肉が効いていると思うのであえて上述のように訳出してみた。
要するに、日本の捕鯨は安楽死するでしょう、ということをBBCはきちんと述べているのである。しかも、小学校の算数ができるくらいの知能があるなら、そのくらいわかるでしょというのである。
ちなみに、この記事なんだが、日本語の報道が『日本が商業捕鯨を再開 IWCから脱退、規制受けず』という題。つまり、記事はあるにはあるのだが、もう一つの記事、"Japanese whalers set sail for commercial hunting"も参照されている。日本向けの編集記事ではあるだろう。とはいえ、先の該当部分は含まれている。こんな感じ。
ただ、日本がいくら捕鯨に固執しようと、この対立を招いている問題は徐々に自然消滅していく可能性が高い。
日本での鯨肉の需要は、長期的な下降傾向にある。捕鯨産業は、補助金なしではやっていけない。将来、商業捕鯨は単純な算数によって終わりを迎えるかもしれない。
そう悪い意訳ではないし、英語の"die"という言葉は日本語の「死ぬ」よりも弱い語感だし、「消滅」と訳してもいいのだが、それでも、ようは、"gradually die down by itself"は、「老衰」ということで、意訳なら「安楽死」でしょう。
つまり、BBCの記事を書くくらいの知性がある記者なら、日本の捕鯨はこれで終わりの始まりを迎え、世界的な捕鯨問題も終わる、ということがわかっていて、それなりに、結論は記事に加えているのである。
他方、本邦はというと、朝日新聞『商業捕鯨、不安乗せた船出 肝心の食卓ニーズは尻すぼみ』はこう切り出す。
日本が国際捕鯨委員会(IWC)を脱退し、31年ぶりの商業捕鯨に踏み出した。「日本の鯨食の文化を守る」と関係者は意気込むが、国際社会は反発し、外交上のリスクも抱える。肝心の鯨肉の需要も尻すぼみで、「商業」の名を借りた国の補助金頼みの「官製捕鯨」になりかねない。
あーあ。これは記者たちがわかっているのかわかってないのか、よくわからないが、《補助金頼みの「官製捕鯨」になりかねない》は概ね、間違っていると言っていいだろう。ちなみに、この記事に限らず、近年朝日新聞の記事がイデオロギーは抜きにしても知的なクオリティが落ちているように感じられるので、記者さんたちがんばってほしいと思う。
さて、話を戻して、商業捕鯨はどういうことなのかというと、朝日新聞が書いていることが、従来の話だった。つまり、従来は、捕鯨業者は国が委託した研究機関の請負で捕鯨していた。請負のためのお金は国の補助金だった。ようするに、調査捕鯨だったから、国が金出して捕鯨をしていたのだが、その実態は、獲ったクジラの肉は販売しているので、商業捕鯨と批判されていた。
それで、じゃあ今後、マジに商業捕鯨に変わってどうなったかというと、補助金が大幅に縮小される。商業捕鯨なんだから、獲った鯨肉の売上で捕鯨のお金を回してねということ。鯨肉産業としては、なんとか日本人にもっと鯨肉を食べて支援してほしいという気持ちはわかるけど、1960年代のピークの20万トンから現在は4000トン。日本人は1980年代後半からもうほとんど鯨肉を食べていない。これが今後飛躍的に増えるとは想定できない。
それでも鯨肉は流通できるし、捕鯨文化も細々と維持できるかもしれない。が、かなり細々と、ということで、あるかないかというと、あるかな、くらい。
ところで、日本はIWCから脱退したので、これから勝手なことやるんじゃないかという懸念もあるかもしれないが、日本は商業捕鯨に切り替えても、IWCの科学的な指摘は守っていて、乱獲をする兆候もない。
こうしてみると、いろいろ世界を賑わせた反捕鯨団体も、日本の捕鯨問題の事実上の終了にともない、縮小していくことになるだろう。とはいえ、こうした、団体は団体の維持自体がその目的化しやすいので、こういう終わりの始まりの時期に派手な活動をするなんてことがないように願いたい。反捕鯨の活動も、"there's a good chance the activities will gradually die down by itself"となっていってほしい。自然保護の運動ならほかもニーズはあるのだし。
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