麦茶ふたたび
子供が小さいときは、よく麦茶を煮出していた。麦茶にもいろいろこだわった。そのうち、子供が大きくなり、がぶがぶと飲むようになると、煮出していては追いつかなくなり、簡易にできる水出しのパックにした。煮出していた麦茶に比較するものではないが、これでもいいかと思いつつ、何年も経った。子供も大きくなり、家でがぶがぶと麦茶を飲むということもなくなっていた。でも、そうした変化にも気が付かないでいたのだった。
先日、ふと、何か録画していたテレビで麦茶のシーンがあり、煮出すと美味しいという話があった。そりゃそうだと思いつつ、そうだな、また作るかと、思い、作ってみたくなった。スーパーにでかけ、『はくばく 丸粒麦茶』というのを買った。アマゾンで見たら売っている。
指示どおり作った。定量の水を沸かし、沸騰したらパックされた麦を入れ、5分ほど煮出し、火を止めて、45分ほどおいて、パックを捨てる。できあがり時刻は、エコーにリマインドさせる。エコーは何のリマインダーか聞いてくる。麦茶。いつにしますか。45分後。
そして、定刻、エコーがお知らせ。麦茶が、できた。
水色は薄い。
個人的にはもっと濃い色の麦茶が好きだが、と思い、ぬるいまま飲んでみると、すっきりとしてうまい。なんだろか。えぐみがない。コーン茶のような強い香りはないが、麦らしさを感じる。それから冷やして飲んだ。冷やしてもうまい。ねっとりではないが、まろみという感じがある。飲みやすい。ペットボトルの麦茶は尖っていて苦手なのだ。
偉そうな言い方だが、これだけおいしければ、十分という感じがした。
外を見ると、梅雨が終わりに向かう。蝉が泣き出す夕方、夕風にあたって、麦茶を飲む。おいしいなあと思う。そして、ああ、老いたんだなとも思う。
いつのまにか、コーヒーをよく飲むようになり、一日、二杯か三杯飲む。紅茶もそのくらい。ちょっと飲み過ぎだなという感じがしていた。水のようにくいくいと飲めるほうがいい。だったら、水でよくなくないと、思い、水を飲むようになった。でも、この夏は、また麦茶だなと思う。
そういえば、三十歳頃だった。二十代を終え、さすがにもう若くないなと思う時期。まわりの同年も、もう若くないねとか、言っていた。最近、和食がおいしくてとかも言う人がぽつりぽつりといた。僕は、和食もすぎだが、年取って和食がいいなんて思わない、と思ったものだった。
そして、三十歳の倍だ。さすがに、なんだろう、負けたな。普通の和食というか、焼き魚とか漬物とか惣菜ものが、しみじみおいしいなあと思うようになった。麦茶もそうした延長にある。
かくしてどんどん僕は老化していく。やだなあと思う。さて麦茶もう一杯。
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