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2019.07.11

[書評] わたしの外国語学習法(ロンブ・カトー)

 ハンガリア人のポリグロットであるロンブ・カトー著『わたしの外国語学習法』は、多言語学習を試みる人の一種のバイブルとも言える書籍で、日本では1981年に米原万里の翻訳で創樹社から出版されたものだが、その後ちくま学芸文庫に入っている。先日、別件で語学の本を探していたら、同じ書棚にあり、読み返してみた。

 率直に言うと、これから多言語習得を試みようとする現代人にとってすぐに適用できる秘訣のようなものは、ないわけではない、というか意外に面白い小ネタもあるが、概ね多言語学習の一般論に終始しているとも言えるので、「どうやったら外国が効率よく習得できるか」といった期待から読み始めても、やや迂遠な書物にも見えるかもしれない。他方、すでに3か国語以上の言語に取り組んでいる人にしてみると、著者が言いたいことはあれか、と心に響くものがあるだろう。多言語を学ぶ人だけにわかる独自の感覚が上手に表現されている。
 もちろん、普通に多言語好きの人の読むエッセイとしてもいいだろうし、歴史的な書籍として読んでもいいだろう。1970年に執筆されたもので(本書の原典は2版)、まだ語学教育に情報機器が普及していない時代である。冷戦の時代も感じさせられる。書籍的には、1969年の種田輝豊著『20カ国語ペラペラ』を連想させる。ちなみに、種田はアルクの創成期のメンツだが、すぐ抜けたようだ。
 本書でも学習法は古臭い。辞書と読書が中心である。逆にいえば、言語学習の原点がここにあるとも言える。ベルリッツについての考察もあり、その点も興味深い。
 個人的に、「ああ、なるほど」と、うなったのは、まさにハンガリーという国の状況であった。我ながら失念していたのだが、ハンガリー王国の公用語はラテン語だった。それどころか、オーストリア・ハンガリー二重帝国では、19世紀まで実用的な公用語であり続けたのである。この事実上の最後は、ウィーン会議で、その最終文書はフランス語になった。
 本書でもダキアについて触れているが、ダキアはまさにハンガリーでもあったわけだ。
 関連して面白かったのは、結局のところ、最後までラテン語の学習体系にこだわったのが英国で、それゆえに英語の正書法の確立が遅れたのではないかという示唆だった。
 そういえば、以前、英語の歴史について個人的に事実上一冊の本を書いたことがあり、書き上げたら結論が気に食わないのでどこにも公開していないのだが、そのおり調べて知ったのだが、英国の法律の正式文書の一部は18世紀半ばくらいまで独自のフランス語だったらしい。独自のフランス語というのは、フランスのフランス語ではなく、現王家がフランス起源になるように王室の歴史のまま継続したらしい。そのため、コモンローを研究するには、このなぞのフランス語の研究も必要になるようだ。話がそれた。
 ところで、オリジナルのタイトルは、"Így tanulok nyelveket"となっているのだが、このハンガリー語の意味がわからないので、調べてみた。『だから私は言語を学ぶ』ということのようだ。というあたりで、ふと気になったのだが、米原万里はハンガリー語ができたのだっただろうか? ハンガリー語は、印欧語族でもなく、ましてスラブ語派でもない。この翻訳書はロシア語版からの重訳ではないだろうか? 

 

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