スマホ見ながら電車に乗る人をいかに避けるか
電車待ちでホームに並びながら、スマホを見ているぶんには特に問題もないのだが、こういう人の大半が、電車が来てドアが開いても、そのまま、スマホを見たままで電車に乗り込んでくる。
危ないです。
でも、注意するとかいう問題でもない気がします。
というか、下手に注意して逆上されるのもいやだし。
でも、危ないです。
それに、当然だけど、スマホを見ていると周りへの注意が手薄になる。なにより動作がにぶくなる。
スマホ歩きも危ないといえば危ないが、電車に乗り込むときにスマホ見ながらというのは、それとは別にして危ない。せめて、電車が入ってきた時点で、スマホから目を離すことができないのだろうか。
まあ、たぶん、できないのだろうな。
というわけで、最近、ホームで電車待ちするときは、スマホ見て並んでいる列はできるだけ避けている。
スマホ見ながら電車に乗る人をいかに避けるかが日々の課題。
だが、ほとんど無理だよなあ。努力しても無駄だなあ。
一体全体、こうした問題をどう考えたらよいのだろうか。
僕は、自由主義社会においては、できるだけ他者の不快に耐えるべきだと思うのだが、「歩きスマホ電車乗り込み」は、我慢すればいい問題じゃなくて、現実的に、社会的な危険があるし。
駅の側で、つまり駅員さんがなんらかの対応をしてくれると、助かるには助かるが、では、どうやって対応すべきかというと、れいよってスピーカーでがなりたてるくらいだろうか。それもいやだ。
電車待ちしている状態のスマホまで禁止したいわけでもない。せめて電車に乗り込むときくらいは、スマホから目をそらしてほしいというだけなのだが。
なんなんだろう、このくだらない、しかし、解決策も思いつかない問題は。
どこにも巨悪が隠れているわけでもない、憲法改正にも原発推進にも捕鯨禁止にも関係しないけど、身近な危険の問題だが、事実上、対処しようがないというのは。
何か象徴的な大事件でも起きて、うっひゃあ、スマホ見ながら電車に乗り込むと死ぬかもということになるとよいのか。違うなあ。
昭和のころはどうだっただろう。あの頃も電車待ちして本読んでいる人もいたし、そのまま電車に乗り込む人がなかったわけでもないが、そんなにはなかったな。つまり、スマホの普及が副次的にもたらした問題だろうか。
技術で解決できる問題だろうか。
そういえば、地下鉄の駅とかで、ホーム自体にドアが付くようになった。昨年だったが、東西線高田馬場駅の付いた。これでホームに落っこちる人も減るだろう。で、こうしたホームにドアが付いているなら、スマホ見ながら電車に乗り込むようになってもそれほど危なくないか。うーむ、それとも違う問題に思えてきた。
というわけで、ホームに並んで電車を待ちながら、前でスマホ見ている人を見ていると、この人このまま、電車に乗り込むんだろうなと思う。
そして、ふと思うのだ、こんな人たち、どうしようもないよな、と。
で、はっと思う。え?え? 私は人を見下していた?
いや、こういう場面なら、自然に人を見下してもいいんじゃないか。多くの人が、スマホ見乗車の人を見下すようになるといいんじゃないか?
っていうことにも、たぶん、ならないよね。
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