BBC版『ABC殺人事件』
NHKで放映されたBBC版『ABC殺人事件』というか、これはジョン・マルコヴィッチ版『ABC殺人事件』とでも言うべきなのか、彼が演じるポワロがあまりも決定的だった。面白いという言葉でも、アガサ・クリスティの原作がどういう文脈でも言い表しにくい、微妙で陰鬱なドラマだった。映像は、CGを多用しているとは思うが、映画的というより、テレビ的印象を受けた。
なんと言っていいのか、まず、思いつくのは、こんなのポワロじゃないというのがあるとは思う。まず、ここで相当に違和感がある。が、それは、同様にまず最初に織り込まれている。ポワロが老いてポンコツになっていること、それが、この作品の一つのテーマであり、ポンコツで黄昏ていくことを許さないという歴史の重みが表現されている。つまるところ、この作品は、アガサ・クリスティの『ABC殺人事件』とは不気味に違う作品である。
とはいえ、原作から大きく逸脱しているわけでもなく、原作の仕掛けは律儀に踏襲され、それが英国の自然を含め、美しく描かれている。
この作品でポワロは自身が第一次世界大戦の一種の亡霊だった。それを許さないとしたのが、一方では犯人であり、もう一方では、英国ファシスト連合である。というか、英国ファシスト連合なんて、英国の歴史が隠蔽したいような忌まわしいものが、現れる。
そもそもポワロとは誰なのか? なぜボワロという存在がいるのか。なぜ、この時代、世界恐慌の余波のに外国人として英国に孤独に暮らしているのか? それが、『ABC殺人事件』の本質的なミステリーであるなら、それはどうなるのか?
いわゆる犯人は、ほとんど周知だし、この作品はむしろ、その周知なネタバレを織り込んで、しかも転倒させている。
この物語は、いわゆるABCのミステリーではなく、ポワロという暗い人生の人の交わりのなかで、彼が欧州からあたかも引き連れてきた亡霊とそれに抗う、mes enfants との心情的な交わりが、人情というより、カトリックのあるべき神の哀れみとして表現されている。
あと、マルコヴィッチののフランス語は完璧に聞こえた。どう考えても、英語も完璧だろう。ゆえに、あの変なフランス語なまりの英語ができるのだろう。
まあ、なんだろう、神学的な作品だった。どうでもいい、斜め上のネタバレを最後に書くなら、真犯人はポワロその人でしかありえない。
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