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2019.07.26

拡大化された偶発的かもしれない悪意について

 京都アニメーション放火殺人事件について、一週間がたって、とりわけ真相あるいは真実といったものは見つからない。容疑者が火傷で重症であり、調べが進まないせいはあるのだろう。だが、それが可能になったとしても、真相なり真実なりとして人が期待している何かは見つからないかもしれない。あたかも、それは拡大化された偶発的かもしれない悪意といったものでしかないかもしれない。多数の死の意味がもしかすると見つかることはないのかもしれない。
 今朝早朝付のNHKニュース、といっても昨日も同じニュースを聞いたのだが、『「京アニ」放火 容疑者はバケツ2個用意 大量殺人を計画か』では、こう伝えている。《警察は、大量のガソリンをまけるようバケツを2個、用意していたことに加え、現場で6本の包丁やハンマーも見つかっていることなどから、青葉容疑者が当初から大勢の人を殺害しようと計画していた疑いがあるとみて調べています。》
 なるほど、用意の詳細は明らかになってきた。が、今回の放火が大量殺人を狙ったものであったことは、今に明らかになったという新味はない。私のようなブロガーですら、当日、その計画性は了解できた。
 そして、思った。「よくもまあ、こんな非道なことを考えついたものだ。どこからこんな悪の知識を得たのか。」 それも事件時に思ったことだ。この計画性を支える知識は、おそらくメディアからだろう。ドラマやフィクションからではないか。
 私がこの間思っていたのは、その悪の知識は間違っていたのではないかということだ。というのは、容疑者も重症を負うと想定していただろうかと疑問に思えたことだ。存外に重度の火傷なのだとこの間に理解した。
 登戸通り魔事件のように容疑者も火炎のなかで自殺していたなら、この放火容疑者も決死の覚悟だったと察せられる。だが、現状知りうるところでは、放火の現場から逃げ出している。当初から逃げ出し、自分だけは助かろうとしていたのではないか。この容疑者の頭のなかには、ガソリンの本当の怖さ、つまり、爆発的に火炎が広がることは想定されなかったのではないか。もっと言う。この男が見たドラマか映画では、こんなはずではなかったのではないか。
 この推測が成り立つなら、容疑者は、狂人というより、あるいは知的な問題を抱えているというより、ただの馬鹿なのではないか。しかし、ただの馬鹿ならこんな残虐非道な事件は起こさない。馬鹿だけど、馬鹿よりひどいなにか、その馬鹿と殺意の幻想の間に横たわるものはなんだろうか。
 この間、もう一つ思っていたことがある。今日は、相模原市の知的障害者施設で19人が殺害された事件から3年目になる。あれから3年かというと、つい昨日のように思われるが、それは私が老いてきたせいもあるだろう。若い人なら、3年は長い時間であり、3年前は遠い過去かもしれない。そう思えたのは、同じく今朝付のNHKニュース『相模原 障害者施設19人殺害 5人に1人覚えてない NHK調査』からである。

 この中で、障害者殺傷事件の記憶について聞いたところ、
 「くわしく覚えている」が14%、「ある程度覚えている」が60%だった一方で、「あまり覚えていない」が18%、「全く覚えていない」が5%で、「覚えていない」と答えた人は5人に1人でした。
 20代以下では「覚えていない」と答えた人が、47%と半数近くにのぼり、若い世代で関心が薄れていることが浮き彫りになりました。
 また、自分も含め、障害のある人が身近に「いる」人では、「覚えている」が81%にのぼり、障害のある人が身近に「いない」人より10ポイント高くなりました。

 若い人にあの事件の記憶がないというのは、不思議なことでもないのかもしれない。むしろ、「ある程度覚えている」の60%の実態が、正直に「覚えていない」より質の悪いものかもしれない。いずれにせよ、多くの人の記憶から、あの大量殺人事件の記憶は薄れている。そして、このことは、このニュースのトーンでもそうだが、忘れてはいけないという枠組みで語られる。
 この事件では、《逮捕直後から植松被告は「障害者は不幸しか作らない」とか「意思疎通できない障害者は殺そうと思った」などと差別的な供述を繰り返しました。》というように、殺意の意図が、真相あるいは真実として語れる。そのようなホロコーストを連想させるような悪の思想があってはならないとしてこの事件が語られる。そこでは、拡大化された偶発的かもしれない悪意といったものではないとされる。そして、この事件が忘れられてはならないというのは、その意味の枠のなかに収められる。

 

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