箸の正しい持ち方?
箸の持ち方がネットで話題になっていた。今回のその話題の発端は、「お箸の持ち方がおかしい。お嫁にいけんよ」というツイートへの反発からのようだった。単純な話、そんなはずもない。だが、そこから話が広がって、「正しい箸の持ち方って何? 誰が決めたの? 箸なんかどう持ったっていいんじゃないの」となっていった。まあ、それもそうかな。
ちなみに、僕は正しく箸を持っている、と思う。そして、箸の持ち方を学んだ記憶はない。物心つく頃からきちんと持っていた。親がしつけたのだろう。というか、母親が若い頃その件で困ったことがあり、子供である私にしつけたらしい。
自分の子どもたちについてはどうか。4人いるが正しく箸を使っている。しつけたかというと、これも記憶がない。ちなみに、子どもたちはみなナイフ&フォークも器用に使う。かなり小さいころから使わせていた。
じゃあ、どうやって覚えたんだろうと不思議な気持ちなるが、そういえば、子供が小さいころ、誰がいちばん豆運びが上手かという競争のようなことをしたことがあった。教育的な意味はない。やり方だが、2つの皿を用意し、一方に豆(大豆)を50個くらい入れ、箸で1粒ずつ摘んで他方のからの皿に移す。たしか、私がいつも優勝したが、子どもたちもけっこう頑張っていた。というか、つまり、その時点で彼らも上手に使っていた。箸の使い方というのは、身近に、こうもったらいいのではないかという、あるビジョンがあればそれで自然に見慣れて正されるものなのではないか。
そういえば、子どもたちには、小さいころから、骨のある魚を食わせていた。当然、箸を使った魚の扱いも上手。さすがに、猫跨ぎができるのは左利きの一人だけだが。と思い出すのに、その子の左手の箸は矯正しなかった。が、鉛筆は右手に矯正した。それほどつらい矯正ではなかったせいもある。もともと両利きだったようだ。そういえば、もつ一人、両利きの子がいたが、箸と鉛筆は自然に右手使いになった。他の2人は生まれつき右利きである。
箸の持ち方の基本というのは、多分に生まれつきなのではないだろうか。あるいは、矯正が容易い子とそうでない子がいるのでないか。安倍首相も箸の持ち方が変だなと思うが、彼の場合も生まれつきではないだろうかという感じがする。
こうした動作については、もし、矯正に対する困難があるなら、矯正しないほうがいいには違いない。が、そのあたりの困難さの臨界はどこかにあるのだろうか。ちなみに、僕はタッチタイピングができるが、身の回りにそういう人はあまりいない。非タッチタイピングを見てるとへんてこな運指に思えるが、これもまあ、どうでもいいことの部類だろう。ただ、タッチタイピングは運指が合理的だとは思うが。
他者の些細な動作は気になるものだ。僕については、よく他人の箸の使い方を見ているほうだ。いや、つい気になってしまうというのが正解だろう。先日もきれいな若いお母さんが変な箸使いをしていてちょっと気になった。そういえばと一緒にいる夫さんの箸使いをちらと見たら、こっちも変だった。誤解なきように言えば、私は他者の箸使いがどうであってもかまわないとは思っているし、そんなもの見るもんじゃないなとも思ってはいる。
お薄をいただくときはどうか? お薄でお茶碗がちゃんと持てないというのはどうだろうか? まあ、これもどうでもいいの部類ではあるだろう。茶席でも、作法を知らないなら、普通にボウルを持つように扱ってもかまわないはずだ。
では、総じて、マナーに意味はないのだろう?
まあ、ないと言ってもいいのではないか。
では、自分はどうするかといえば、マナーを学ぶ機会があれば、学ぶだろうし、できるだけきれいな所作を身につけたいとは思う。タッチタイピングのように、動作に無駄がないのが、正しい所作のようにも思えるからだ。
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