アニメ『さらざんまい』とはなんだったか?
今期のアニメで何がおもしろかったかといえば、いろいろ議論があるだろうが、どうしても話題になる作品は幾原邦彦監督の『さらざんまい』だっただろう。そして、これは評価が難しい作品でもあった。毎回、3回は見た。すでに3周はしている実感はある。
難解さと明快さが入り交じる作品だったとは言えるだろう。難解さについては、幾重にもしくまれた謎や象徴、物語構造、暗喩、オマージュなどが錯綜している。ここから何を読み出すのかというのは、大変な知的作業を要する。だが、それだけの労力が報われるだろうという作品価値が視聴者に直感されるかというと、そこは『輪るピングドラム』より危うい印象はあった。以前のこの作品がオウム事件という巨大な事件の問題を内包していることが明快であることに比べて、今回の作品で提示されている問題の射程は簡単にはわからない。
映像およびアニメ表現においては、画期的な作品であったと言ってもいいだろう。つまり、このアニメ作品自体がモダンアートだった。この点については、美術の側面から、また世界的にも評価されるのではないだろうか。
そうした、難解さやアート性とは対比的に明快さもこの作品の特徴といっていいだろう。単純にいえば、人情話であった。人情話も多層的ではあるが、もっとも深く強い部分は、久慈悠に代表される、少年犯罪だった。端的に、少年犯罪の友人を刑を終えて再び友情のなかに取り込んでいく部分である。刑を終えた若者を社会に包摂していくありかたは、他の差別など社会問題の根の部分の緩和にも機能するものだ。
考えてみると、『輪るピングドラム』も犯罪者とその関係者としての家族の物語であった。こうした、人情話がきちんと人情話の水準で情感を揺り動かす作品がまだ存在していること、それ自体に、社会的な意味は、まずあるのだろう。
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