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2019.06.24

公教育の水泳ってなんだろうか?

 ツイッターを眺めていると、ちらほらと公教育での水泳廃止の話題が目についた。夏になったからだろうな、と思い、いくつか話題を追ってみると、水泳のために生理の申告をさせるのはどうか、ということが今回の話題の中心のようだった。参照されているニュースを読んでみると、けっこうひどい実態がありそうだった。
 こうなるとそもそも論が出てきても不思議ではない。そもそも、公教育に水泳教育って必要なのだろうか?
 すぐに脳裏に賛否が浮かぶ。というか、必要論が思い浮かぶ。水上安全の能力の獲得とかいうのではないだろうか。
 で、疑問が起きる。現在の水泳教育は、水上安全の能力の獲得にきちんと貢献していると言えるのだろうか? つまり、その達成目的が明示され、その達成はきちんと評価されているのだろうか?
 着衣水泳の授業などもあるが、それらを含め、こうした水泳教育が水上安全の能力に結びついているといえるのだろうか。
 さらに疑問が生じる。水上安全の能力の向上なら、それに特化した教育だけでも十分ではないのか。またさらに、そもそも論になるが、そうした教育と水難事故の発生には関連がないんじゃないか。
 こうした問題の議論の基礎となる実態研究がよくわからないので、私などはこれ以上議論しようがないような気がする。
 水上安全の能力以外に、泳ぐ能力という点でも、疑問に思うのは、ある。自分もけっこう水泳が趣味だったので思うのだが、泳ぎの指導というのは、個人的に行う必要がある。ひとりひとりフォームを直していく必要があるのだ。だが、そうした教育はなされているのだろうか。教師にその指導能力はあるのだろうか? 否定的な印象はもつ。
 関連ニュースを追っていくと、地方自治体によっては、プール設備が維持できないところもあるらしい。
 振り返ってみると、東京都の小中学校にプールが標準的に装備されるようになったのは、美濃部都政の成果だったように思う。あのころを思い出すと、プールが楽しいものだという憧れだけった。
 日本の社会が変わったのだ。これから日本の社会は、ムスリムも包摂していかなくてはならない。水泳教育を継続するなら、そうした配慮にもいっそう取り組んでいく必要はあるだろう。

 

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