« 登戸の殺人事件 | トップページ | 正しく後悔すること »

2019.05.29

黒船は黒船だったのか?

 先日、NHKの『歴史秘話ヒストリア』という番組で「日本人 ペリーと闘う 165年前の日米初交渉」という回を見た。これはたまたま見たというより、ちょっと気になっていることがあって見たのだった。現代でも外国からの制度改革の圧力のことを比喩的に「黒船」と呼ぶことがあるが、もとになっている黒船来航自体、そういうものだったのか、疑問に思っていたからである。
 そういえば、”話題”の『日本国紀』を書いた作家・百田尚樹もこう言っていた。

 まあ、どうなんだろうかと。
 で、NHKの同番組はこうした旧来の黒船観に対してこんな基調を出していた。

黒船――ペリー艦隊出現。これまで、時の徳川幕府は黒船に「あわてて」対応した、といわれてきました。しかし、突然であるはずのアメリカ艦隊に、幕府の役人は英語で話しています。実は最近の研究では、幕府はすでに外国船来航を予期しさまざまな準備を進めていたことが明らかになっているのです。

 番組はこうした基調で進められていたが、意外に思えたのは、幕府側としては、黒船が軍事活動に及ばないと踏んでいたことだった。兵站がない状態では軍事活動は脅しと見ていたようだ。おそらくその観察でよかっただろう。
 番組では強調されていなかったが、最初の交渉では中国語の通詞を介してうまくコミュニケーションができないといふうに私は記憶していたが、次年の交渉では言語的にも日本側はかなり詳しく米国の状況を把握してようには思えた。
 個人的にちょっとわけあって、昨年ごくわずかだがオランダ語を学んだだが、やはり英語によく似ている。江戸時代、それなりに蘭学の蓄積があれば、英学への転向はそれほどに困難というものでもなかったのではないかと思えた。
 黒船については、私の高校生時代では、「泰平の眠りを覚ます上喜撰たつた四杯で夜も眠れず」という狂歌を合わせて学んだもので、今回の番組にも出てきたが、これは同時代証言ではないとのことで、その後は教科書から消えたと思っていた。そのあたりについての言及はNHKの番組にはなかった。気になって調べなおすと、そうでもないとの新説もあるようだ。ただし、この狂歌観が同時代的に民衆に定着していたかは依然よくわからない。
 また、番組では触れてなかったが、浦賀沖に現れる1853年7月8日以前、5月26日に琉球に上陸し、武装員が首里城まで行進している。琉球王国はその後日本国に併合されるのだが、こうした史実はどのように日本史に組み込まれるのだろうか。類似の例では、種子島への鉄砲伝来は1543年とされているが、琉球王国には先行している。
 今後高校では、学習指導要領改訂され、日本史と世界史を統合して近現代を教える新科目「歴史総合」になるが、黒船や琉球王国の扱いはどのようになるか、具体的な歴史事象についての評価が気になる。

 

|

« 登戸の殺人事件 | トップページ | 正しく後悔すること »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 登戸の殺人事件 | トップページ | 正しく後悔すること »