[映画] 人生、ブラボー!
勧められる映画を行き当たりばったりに見る。『人生、ブラボー!』。これもそう。2011年の映画なのでそう古いわけでもない。タイトルにちょっと引くものがあるが、フランス映画のコメディらしいくらいの予備知識で見始める。で、面白かった。この設定でそれなりの水準で作れば面白いものができるだろうなという感じはする。着想の利点は大きい。後で知ったのだが、これをリメイクした『人生、サイコー!』という映画もあるらしい。まあ、そっちはたぶん見ないと思う。という理由のようなものも、ここで書きそうな気がする。
この映画、話の設定は、こうだ。精肉の搬送をしている冴えない独身中年男ダヴィドは、20年前、金策から精子提供をしていた。そんなことも忘れて過ごしていたが、ある日、若い日の精子提供の結果で生まれた142人の子供から、身元開示の訴訟を受けて、とまどう。訴訟以外を含めると533人もいるらしい。驚いたが、もう関係ないだろうと、訴状をゴミ箱に捨ててみたものの、ふと気まぐれで一つ取り出して見ると、有名なサッカー選手だった。ダヴィド自身、社会人サッカーをしているので親近感を持ち、その選手が出るゲームを見に行き、自分の子供が大成したような気分になる。そしてそのノリで、他の生物学的な子供に正体を明かさずに会いにいくようになる。そこからは、人生というものの悲喜こもごもがある。現在のダヴィドも振り返れば、最近、恋人からもつれなくされている。
映画の見どころは、ダヴィドとその生物学的な子どもたちとの悲喜こもごもの関わりで、どことなく、レンタルなんもしない人のような印象もある。そうした関わりのなかで、現在の恋人の関係や彼のファミリーとの関係も変わっていく。まさに、セ・ラ・ヴィという感じで、フランス映画っぽい、とも言えるのだが、たぶん、そこに微妙なズレがある。
フランス語の、フランス語コミュニティの映画なのだが、カナダの映画なのである。ケベックだ。本土のフランス語と違うかというと、僕程度のフランス語能力では、なるほど違うなと聞き分けられるのは、看護士の黒人女性のフランス語くらいで、他は、本土のフランス語と差はよくわからない。パリ風ではないなくらいな印象。だが、ところどころ、単語に英語が混じっているのはわかる。本土フランス語でも実際は英語がけっこう混ざる時代になったが、そのレベルではない印象はある。このあたり、本土フランス語のネイティブが見たらどういう感じなのだろうか。気になった。
僕は50代後半からふとフランス語を学んでもう数年立ち、いろいろ思うのだが、フランス人のフランスへの愛国感と、フランコフォンと言われているフランス語話者のコミュニティ意識(francophonie)の帰属感にある、ある微妙なズレがとても興味深い。対立する差があるというのではない。フランコフォン自体には、外的にはL’Organisation internationale de la francophonie (OIF)という組織もあるようだが、そういうものとも微妙に違う感じがする。
この映画でも、フランス語という言語以外に、フランスのファミリーの情感で、どことなく、レトロというのか、ある郷愁感のようなものがある。イタリア人コミュニティっぽい濃い印象もある。そういえば、ダヴィドもイタリア語かスペイン語をが喋るシーンがあった。このあたりの文化的な意味もよくわからないが、それでも、ケベックらしさというはこういうものなんだろうという感じは伝わってきた。そこが、つまり、フランスではないけどフランス語コミュニティというものの感触が、この映画の一番の魅力だったのではないだろうか。米国風にリメークしたらそこは消えてしまうのではないか。
そういえば、Netflixで『ガッド大暴走』というトークを見たことがある。フランスのコメディアン、ガッド・エルマレが、モントリオールの聴衆を前に、アメリカで体験した異文化感をネタにしていた。例えば、フランス語のcasquette(帽子)と英語のcasket(棺桶)の違いとか、たぶん、カナダではよく知られているのだろうが、大げさな違和感表現で笑えた。そういえば、ちょっと気になって、casketの語源を調べたが、判然としないことがわかった。なお、フランス語のcasquetteは、casquoだから、現在のcascoで、ヘルメットということだろう。
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