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2019.05.03

憲法9条というナショナリズム

 憲法記念日についてはほとんど関心がなく、NHK7時のニュースで野党が9条を守ることで結束しようといった話を聞いて、そういえば今日は憲法記念日だったと思い出した。
 憲法記念日とは何かということを若い人は意外と知らないかもしれない。この祝日は、1947年(昭和22年)5月3日に日本国憲法が施行されたことを記念し、1948年(昭和23年)に施行された祝日法で制定されたものである。憲法自体の公布は施行の前年1946年(昭和21年)11月3日である。つまり、こっちは文化の日になっている。
 施行日の年代を見るとわかるが、憲法の施行日は、日本が1951年(昭和26年)9月8日のサンフランシスコ条約締結で「まがりなりにも」諸外国と平和条約を結び国家承認を得て、1952年(昭和27年)4月28日の発効で主権を回復し独立した以前のこと。つまり、日本に主権のない時代に成立した憲法である。実際ところ、この時点の憲法は憲法の体をなしていない。占領統治を行ったGHQがこの憲法外部の最高権力をもっていて、憲法に規定されない法を出している。とはいえ、占領政府も恣意的に行うわけにもいかない。いちおう日本の敗戦を方向づけたポツダム宣言に基づいたとされる。通称ポツダム政令と呼んでいるがこれがもとで自衛隊の前身である警察予備隊ができた。日本国憲法と自衛隊は起源的な齟齬がある。そもそも憲法が施行された占領下では、主権を支えるはずの国防は国連軍に委託されており、サンフランシスコ条約でもそこは事実上の問題となったため、同日に日米安保条約で補った。つまり、日米安保条約があるために9条と自衛隊の矛盾は放置されたのである。これが現在も続けている。
 さすがに、国家が非憲法的に構成されているのはまずい、というか、そもそも憲法というのは「構成」ということなので、国内法的な建前は存在する。この最たる滑稽な問題は日本国憲法が大日本帝国憲法に依拠しているというネタで、これはネットなど調べれば、長年住んでコンマリを待つ家のゴミのように出て来るだろう。割愛。で、ポツダム政令のほうだが、これが政令と呼ばれるようになったのは憲法施行後。
 わかるのは、ポツダム政令は当初、大日本帝国憲法に依拠していたことである。占領軍であるGHQは大日本帝国憲法に形式上依拠していた。つまり、天皇の権威である勅令がポツダム政令の起源にあることにある。具体的には、当初はポツダム緊急勅令として、大日本帝国憲法第8条第1項「法律に代わる勅令」に基づいている。昭和20年(1945年)9月20日に公布・即日施行された。法理論構成上は、日本国憲法制定で消えたことになったし、そもそ占領の便宜のものなので物価統制令などは意味がなくなった。とはいえ、自衛隊のように憲法と整合がつかないものも残った。
 年代を見てもわかるように、日本に主権のない時代に国民とは無縁にできた日本国憲法である。主権がなければ外交権もない。そもそも日本国は国連の前身である連合国の敵国に規定されることもあって、1945年10月24日に発効した国際連合憲章が批准できない。が、この国連憲章で事実上戦争というもの自体が違法化された。
 意外と国連憲章の前文を読んだことがない人がいるんじゃないか。こんな感じだ。

われら連合国の人民は、 われらの一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い、基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女及び大小各国の同権とに関する信念をあらためて確認し、正義と条約その他の国際法の源泉から生ずる義務の尊重とを維持することができる条件を確立し、一層大きな自由の中で社会的進歩と生活水準の向上とを促進すること並びに、このために、寛容を実行し、且つ、善良な隣人として互いに平和に生活し、国際の平和及び安全を維持するためにわれらの力を合わせ、共同の利益の場合を除く外は武力を用いないことを原則の受諾と方法の設定によって確保し、すべての人民の経済的及び社会的発達を促進するために国際機構を用いることを決意して、 これらの目的を達成するために、われらの努力を結集することに決定した。

 何かにそっくりでしょう。言うまでもなく、日本国憲法の前文がこれのサブセットであることがわかる。
 日本には憲法ができたころ主権がなく、国連憲章が批准できなかった。だから、日本国憲法にこうした内容を書き込む必要があった。憲法9条もそれの名残り。
 よく日本国憲法9条は国際的に素晴らしいという人がいて、言論の自由だから何を言ってもいいが、他の国連加盟国は国連憲章を外交面で実際上憲法の上位に置いているので、国内法として憲法で武力行使否定の文言を再規定する必要がない。
 つまり、主権を回復し、国連憲章を批准した現在の日本国なら、9条そのものが不要である。前文も大きく書き換えても問題がない。
 ところが、歴史の変化というか国連の歴史で変化は起きる。日本を含め、平和主義として国連憲章に依拠したのだが、当の国連が現在は平和維持活動での武力行使を是認しているし、事実上加盟国の支援を前提としている。当然、日本国政府は国連体制のもとにありそれに応えなくてはならない。ということで、日本国政府はいろいろ対応しているが、これに反発もある。9条の精神に反しているということだ。具体的には、まさに具体的な外交上の問題なので、具体的に解決できるいわば政治技術的な問題だが、現下の日本では「9条の精神に反している」という枠組みに転換される。
 では、この「精神」の起源はなにかというと、2017年にBBCが「第二次大戦における役割への”罰”として平和憲法が起草され、主権回復後も日本が軍を持つ事を禁じた」と解説しているが、概ねそうした国際的な了解があった。
 これを冷戦時の日本は防衛費負担軽減の口実として使っていたのだが、その後もいわば罰を受けるという精神は維持された。心理的な機構としては、罰を受け続けることで日本が現在は正義であることを認めてほしい、だから罰を受け続ける、といった一種のマゾヒズム、フロイトのいう道徳的マゾヒズムだろう。また、他面においては、そのマゾヒズム的正義が主張できるのは日本だけだという一種の倒錯的なナショナリズムなのだろう。こう言うとちょっと極端なようだが、「唯一の被爆国として」のような心理ともつながっている。
 現在の日本は国連体制に組み入れられた普通の国である。モブ国と言っていい。ああ、日本って長い年月かけてモブの国になれたんだな、と思えば、こうしたナショナリズムも緩和されていくのではないか。
 そう言えば、天皇の退位や女帝についても、モブ国日本としては、同じくモブ国のスペインなどが参考になるかなと、この間、つらつらとスペイン憲法と退位・女子継承などを見ていた。が、スペインの場合、王家はハプスブルク家になるが、日本は天皇家。そのあたり、日本は全然違うといったナショナリズムの感覚が日本国の一部にはあるんじゃないかと思った。

 

 

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