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2019.04.23

今頃、終身雇用制崩壊が話題になったのはなぜかと疑問に思った

 ツイッターを見ていたら、経団連の中西会長が、「経済界は終身雇用なんてもう守れないと思っている」と発言したとして話題になっていたが、なぜそれが話題なのかよく飲み込めなかった。
 まず、奇妙な感じがしたのは、それが本当に最近の話題なのかという点だった。古いネタを掘り出して大喜利にしているんじゃないか。と、調べてみると、22日のANNニュース「終身雇用はルールに非ず…財界トップ、変革求める」にその言及があった。それによると、「中西会長は、先週も「経済界は終身雇用なんてもう守れないと思っている」などと発言しています」とのことだ。放言の類でも復古大喜利でもなかった。また、22日の産学協議会第二回会合の中間報告にも同種の趣旨があったともされている。23日東京新聞記事「企業の通年採用拡大を 経団連「終身雇用変える時期」」では、一連をこうまとめていた。

 「終身雇用うんぬんは社会の習慣。企業から見ると、一生雇用を続けるという保証書を持っているわけではない」。中西氏は産学協議会の会合後、記者団に対し、終身雇用が限界に来ているとの見方を示した。
 大学を出たばかりの若者を春に一括して採用し、定年まで勤めてもらう終身雇用。この日本独自の雇用慣行は、世界との競争が激しくなっている中で、立ちゆかなくなっているというのが、中西氏の考えだ。
 終身雇用の継続に疑問の声を投げかけるのは財界だけではない。昨年十月、茂木敏充経済再生担当相も「戦前は終身雇用という形態はあまり一般的ではなかった」と指摘。「雇用問題について集中的に議論を進めたい」と述べている。
 さらに中間報告をもとに今後議論を進める政府の未来投資会議では、既に昨年十月の定年延長に関する議論の中で竹中平蔵議員(東洋大教授)が「自由に働いて、自由に雇って、結果的に生涯現役社会が実現する」と主張。「解雇ルールの見直しを論点に加えてほしい」と踏み込んだ発言をした。

 これに対して、東京新聞はこうコメントを加えていた。

 だが終身雇用や年功序列賃金といった日本型の雇用形態が崩れれば、働く人の人生設計も大きく変わることになりかねない。

 東京新聞としては、まだ日本型の雇用形態が崩れていないという認識だということがわかる。
 おそらく、Twitterでの関連の話題もその前提の上でなされたのではないだろうか。
 最初の「奇妙な感じ」に戻ると、私の認識では、日本の終身雇用制と呼ばれているものの議論は、すでに10年前に終わっていた。加えていえば、日本に一時期の雇用傾向を除けば、制度として終身雇用はなかったとも思うが、この点については今回は議論しない。
 10年前だな、という記憶で思い出したのが、NIRA研究報告書『終身雇用という幻想を捨てよ―産業構造変化に合った雇用システムに転換を―』である。見ると、2009年であった。基本的な考えはこうである。

 そもそも、終身雇用制と呼ばれるような長期雇用(より正確には期限の定めの無い長期雇用)と年功賃金の組み合わせを実現できた企業は、ごく一時期のごく一部の企業に過ぎない。この点を考えると、終身雇用制を維持し、さらには社会全体により幅広く導入させていくことで、雇用と生活の安定が作り出せるという考えは幻想にすぎない。現在の経済環境下では、終身雇用をあたかも制度のように広く企業に要求することは実現不可能である。それにしがみつくと、かえって企業業績を悪化させるか失業を増大させ、雇用を中長期的に不安定化させる。逆説的ではあるが、わが国の雇用を守るために今、求められているのは、終身雇用制度という社会システムからの決別であり、解雇規制も含めた総合的な雇用システムの転換である。

 同報告書には、終身雇用制が幻想であったという議論もあるが、実際のところ、その認識はこの分野での共通理解に過ぎないのではないか。また、報告書はこの基調にそって、新しい雇用システムへの提言もあり、現実的には、政府も経団連もその方向性を取るしかないのだろう。簡単に言えば、再雇用しやすい制度に変えていくということだ。
 ということで、私の当初の違和感の大半は、Twitter民や東京新聞ががなにか時代錯誤的な勘違いしているのではないかという印象のほうに落ち着きそうだったが、ふと奇妙なことを2つ思った。
 1つは、2009年より現在のほうが雇用状況は全体としては改善している。ということは、2009年の状況より改善されたがゆえに、終身雇用制というものがこの好調の延長で可能になりそうだから、話題が蒸し返されたのではないか。さらに言えば、アベノミクスをより洗練したものにすれば、終身雇用制というものが実現可能だと思われているのか。まあ、そこまではないだろうが、それでも雇用状況の改善の緩みが逆に終身雇用制の期待を浮かび上がらせた構図がありそうには思えた。
 もう1つは、終身雇用制は幻想だったというのはもちろん言い過ぎで、一部では実現していた。大企業や公務員などである。で、こうした人々の言わば、あるいは全体的に見れば、一部の特権が今後も維持されるといい、という主張があるのではないか。もちろん、一部の特権者たちのクレームであれば社会的に共感されにくいから、誰にもその特権が開かれているような空気は醸成されるのだろう。
 さて、歴史には、改善に向かうときの逆走というのがつきものだが、今回の話題もそうなるのだろうか?と考え直して、それも虚しいと思えた。
 現実的には、どのような議論をしても、すでに一部を除けば、終身雇用制は解体しているというのが実態である。戦後の荒れ野原を見て戦争なんかするんじゃなかったと後悔してもいいが、後悔からは復興はできないというのが昭和の人々のつらいところだった。
 とはいえ、すでに終身雇用制は崩壊していることが現実だと受け入れない人もいるだろうし、先に述べたように、終身雇用制の未来を期待する人もいるのだろう。雇用が改善されれば、今後も終身雇用制を望む声は広がるのかもしれない、新しく。

 

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