就活指針廃止の意味合い
新元号発表に際して、元号なんか使っている国なんか日本以外にないんだからやめろという意見も見かけた。日本も国際的な慣例にならったほうがいいという基調かもしれないが、そうした点で極めて日本的な制度は、おそらく、就活だろう。
言うまでもなくというか、大卒者が一斉に就職活動をする、というのはどこの国でも不思議でもないが、企業側が一斉に対応するというのは、おそらく日本以外にはないだろう。少なくとも、先進国で一定の人口を持っている国ではないのではないか。
先進国の知識労働者のモデルはすでに大卒ではなく大学院卒になっているようにも思われるが、そうまで言えるか確信はない。自分が見渡せる範囲やドラマなどを通して見ると、米国では知識労働者の場合は、就活はインターンシップに結びついている。日本でもそうした傾向が出てきてはいるが、インターンシップがそのまま正規雇用という流れが主流となるまではまだないだろう。
それと関連して、「新卒」というざっくりとした採用より、欧米や韓国ではかなり個別のポジションでの採用ということが多い。ただ、この点も日本の就労も変わりつつある。
いずれにせよ、就活という日本文化がこのまま生き残るかというと、ビジネスのグローバル化で維持は難しく、昨年、経団連も、その中西宏明会長の見解ではあるが、「2021年春以降に入社する学生向けの採用ルールを廃止するべきだ」と発言した。流れとしては、2021年卒採用から経団連は『採用選考に関する指針』を廃止する。
これでどうなるか?
実は、大きな変化はないのかもしれない。
というのは、企業層にもよるが、企業の多くが新卒雇用決定の期間を事実通年化しているからだ。むしろ、経団連の今回の決定は、現状の追認であると言っていいかもしれない。
では、それでいいのか?なのだが、これに問題提起をしたのは、二方面。まず、昨年の経団連の動向の反応からもわかるように、政府であった。日本政府としては、就活指針に規制された日本の一斉雇用の慣例を守りたいのだろう。もう一つは、マスコミだったと思う。単純な話、「就活指針がなくなるとしたら問題だ」と騒ぐのだが、何が問題かとなると、その正義の依代が必要となる。いかに新卒雇用が大切化という一種の神学論のようなものが現れる。
だが、このマスコミについては、特に、経団連寄りだからだろうが、日経からは好意的な受け止めもあった。2018年9月5日「就活ルール見直し、企業は通年採用へ 雇用慣行の転機」より。
経団連の中西宏明会長が就職活動の時期などを決める「就活ルール」の廃止に言及し、新卒を一括で採用する雇用慣行に一石を投じた。技術革新のスピードが速いデジタル時代は、優秀な人材の獲得が企業の将来を左右する。一部の企業は年間を通じた自由な採用に移った。半世紀にわたり続く慣行の見直しは、企業と大学の双方に人材育成のあり方を問いかける。
簡素な文章だが、「半世紀にわたり続く慣行の見直し」という指摘が興味深い。すでに言及してきたように、就活指針は現状としては遵守されているともいいがたい状態だから、その崩壊過程がこの半世紀にあったことは明らかである。もしかすると、それが「就職氷河期」という期間と対応しているかもしれない。なんとなれば、「就職氷河期」は大卒の新卒の一斉雇用が前提とされているからだ。興味深いことに、この雇用に着目したのがリクルートであり、そのデータを公開したのが1987年。国側はそうした統計を取っていなかった。労働白書も情報と議論の枠組みでリクルートに依存している。
就活指針の廃止でどうなるか?を再び問うとき、現状追認にもう一つの含みとして、就活指針は実は廃止されないのではないかという矛盾した疑問が浮かび上がる。
というのは、実際のところ、就活指針を実施しているのは、経団連というより、就活情報産業だろうからだ。端的にいえば、「マイナビ」と「リクナビ」が決めているのだろう。なので、こうした就職情報産業がどう変わるかが実態の変化を示すことになるだろう。
ここで、現状をもう一つ掘り下げると、印象でしかないが、すでに一定の水準以上の大卒では就活指針は儀礼的になっていて、「マイナビ」と「リクナビ」の情報に従っているのは、それ以外の大卒なのではないかという疑念がある。
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