日本の社会はどうあるべきか? サービス給付社会へ
日本の社会はどうあるべきか? その一番重要な指針をどのように考えるか? ということで、先日漫然と見ていたNHK視点・論点の神野直彦・日本社会事業大学学長の『社会保険国家から社会サービス国家へ』が示唆的だった。その主張はある意味、単純である。
結論めいたことを、初めに申し上げておきますと、平成の社会保障の改革課題は、「社会保険国家から社会サービス国家へ」というフレーズで表現できると思います。
つまり、社会保険という年金などの現金給付を、中心とする工業社会の社会保障から、育児や高齢者福祉などのサービス給付に、重点をおくポスト工業社会の社会保障へと転換させることが、平成の改革課題になっていたのです。
私は、国家というものは可能な限り、小さくしたほうがよいと考えるリバタリアンなので、「社会サービス国家」という考えとまったく逆の立場である。が、私自身についていえば、ことさらにリバタリアンであることにこだわることはないだろうとも考えている。たとえば、リバタリアンからすれば、国家が経済に介入してくる金融政策などもってほかというべきだが、マクロ経済学が示すように、国家はマイルドなインフレ状態であることが好ましい。特に日本のような少子高齢社会の場合、お金を貯め込む高齢層が結果的に優遇されてしまう国家は好ましいとは思えない。つまり、リバタリアンといえども、現実世界への補正的な思想は許容すべきではないかと私は考えるので、どうやら温いリバタリアンということになる。さらに考え直して、リバタリアンでなくてもよいということでも、よいかもしれない。
さて、神野氏の議論は、平成史についての見取り図としては、上手に大局を捉えているだろう。
平成の時代はバブルの崩壊で幕が開き、その後の長期的経済停滞に苦しんだ時代でした。
こうした経済状況のもとで行われた平成の社会保障改革は、工業社会の行き詰まりを反映したバブル崩壊と長期的停滞、それに人口の高齢化という二つの条件のもとで、年金にしろ医療保険にしろ、社会保険を持続可能にする改革だったといえると思います。
これに介護保険の導入が加わり、平成という時代に社会保障を、年金や医療などの社会保険に依存する、「社会保険国家」が成熟したといってよいと思います。
つまり、平成史というのは、日本という国家を社会保険国家に変えるプロセスだったというのだ。
氏はさらに、社会保険国家から社会サービス国家への移行を提示している。同じ文脈で言うなら、令和時代の課題とも言えるだろう。この議論を支援するために、氏はOECD資料から作成した2007年の『社会保障の国際比較』を示し、こう述べている。
この図をみれば、ヨーロッパの先進諸国の社会保障は、年金と医療と「それ以外」が、三本柱になっています。
これに対して、日本の社会保障は年金と医療については先進諸国と比べて見劣りがしないものの、「それ以外」が存在しないといってもよいほど、小さいことがわかると思います。
この「それ以外」に分類されている社会保障で重要なものは、育児や高齢者福祉などのサービス給付であり、それに「その他」に含まれている積極的労働市場政策 、つまり職業訓練や再教育のための政策が加わります。
実際の図を見ると、まず、米国が議論に当てはまらないこと、また英国は基本的に日本と変わらないことが見てとれる。他方、独仏はなるほど日本と異なることはわかる。スウェーデンについては、国家規模や税制が異なるのであまり比較対象にはならないだろう。
図を見ての疑問は、「社会サービス国家」とされている社会サービスの実態が読み取れないことだ。いちおうこう説明されてはいるが。
この「それ以外」に分類されている社会保障で重要なものは、育児や高齢者福祉などのサービス給付であり、それに「その他」に含まれている積極的労働市場政策 、つまり職業訓練や再教育のための政策が加わります。
ところが、同種の統計を見ると、そうとも言い難い。例えば、厚労省下『上手な医療のかかり方を広めるための懇談会』の資料『社会保障制度等の国際比較について』で見ると、先の大枠では神野氏の指摘に沿っているが、それほどの差異は見られない。
総じて見れば、おそらく、日本がとりわけ社会サービスの点で先進国に遅れを取っているとも言えないようだ。
とはいえ、福祉国家から社会サービス国家への移行は、実質的に日本人が求めるところであるのも確かだろう。あらためて神野氏の議論を追ってみる。
そうなると、家族内の無償労働で担われていた育児や高齢者ケアという対人サービスを、社会保障として提供する必要が生じてきます。
というのも、対人サービスをサービス給付として提供しないと、ポスト工業社会の労働市場では、二つの参加形態が生じてしまうからです。
一つは家族内で無償労働に従事しながら、労働市場に参加するタイプです。主として女性がこのタイプとなります。
もう一つは無償労働から解放されて、労働市場に参加するタイプです。主として男性がこのタイプとなります。
このように労働市場への二つのタイプの参加形態が形成されますと、パートとフルタイム、正規と非正規とに労働市場が二極化してしまいます。
事態は逆なのかもしれない。
正規と非正規とに労働市場が二極化した理由は、日本が平成時代に入り、ポスト工業社会に移行してきたのに、労働市場で対人サービスをサービス給付として提供してこなかったからではないだろうか。
もしそうなら、正規雇用と非正規雇用の差異の解消は、非正規雇用から正規雇用への転換を促すことに合わせて、対人サービスをサービス給付にすることも求められるだろう。現状ではそれが育児に特化されているようだが、今後は育児以外に家事の各分野という家庭内への、公によるサービス給付も必要になるだろう。
それはどのように実現可能だろうか?
なんとなく、イメージとして浮かぶのは、コンビニの事業の家事サービスへの拡大である。そして、令和の時代をとおしてコンビニは実質公共機関になるのではないか。
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