令和、最初の朝
今日から、令和の時代が始まる。テレビをつけてみると、昨晩の零時のような馬鹿騒ぎの空気は収まっていた。テレビの音量を下げて、ぼんやりしていると、ニュースに昨日の明仁陛下の映像が映ったのに目がとまり、アナウンサーが「上皇」と呼んでいたのに、ふっと、「ああ、上皇なんて言葉を歴史以外で聞くことがあるんだ」と少し驚いた。
それから各党党首のお言葉が流れていたが、みな祝辞を延べていた。天皇制を嫌う政党もあるはずだが、そうした思いを素直に表現することはない。この、言わば敬意を強いられる感じこそが、天皇制というものの精神的な強制力なんだろうなと、これもぼんやりと思った。
窓の外を見る。今日は昼から雨になるというのだが妙に明るく、初夏の新緑がまぶしい。いい朝だと思った。ああ、自分は生きていたとそして思った。自著のほうには書いたが私は難病を抱えていてたまに発作があり、その渦中には、あーこれで死ぬかもと思う。先日もあって、僕は平成を超えて生きることはできないかもなと思った。で、令和、最初の朝である。ああ、生きていたと思えた。こういうとき、私は神に感謝する。そして、そうだな、こうした国家の鎮魂を祈られていた明仁陛下に感謝するかというと、微妙に感謝の念はあるのだった。
そしてこの朝を生きられない人を思った。あの人もこの人もこの朝を見ることができなかった。漫画家水木しげるの逸話だと聞いたが直接私が聞いたわけではないので、真偽が怪しいが、こんな話だ。水木は戦地を訪れ、「戦友たちは、うまいものも食えずに若くして死んでいった。その戦地に立って、自分はこうして生きていると思うと、愉快になるんですよ。生きとるんですよ」と。戦地でも現地人と仲良く過ごしていた水木らしい感覚だろうとも思う。
朝の光景を目にして、死者を思う。その上で「愉快」とまで私は思わないが、奇妙に、ああ生きていると思い、生きられなかった人を思う。
先日亡くなった漫画原作者小池一夫や漫談家ケーシー高峰のことも思った。80歳を超えていたので天寿に近い。が、彼らはこの日近くまで生きても、まさにこの令和の朝を見ることはなかった。それも人の運命というものでもあるだろうし、なにも改元を生き延びることに、さほど意味があるわけでもない。
評論家江藤淳のことも思い出す。平成11年、66歳で自殺した。彼は、たしか、昭和時代の思想家吉本隆明との対談で、昭和天皇にたいして「あの人が死ぬ前には死ねない」という情感を述べていた。吉本からの切り出しだっただろうか。そうした天皇への情感は、さすがに平成はなくなった。
そして井上嘉浩を思った。オウム真理教の幹部で昨年7月に処刑された。48歳だった。私は日本も近代国家として死刑が抑制されていくだろうし、改元の慶事のなかで死刑廃止の機運が高まればよいと思っていた。が、そうもいかなかった。彼らの死刑は、明仁上皇の退位の意思が示された前なので、あからさまに平成のうちに始末してしまえということでもないが、それでも平成の最悪ともいえる凶悪事件はこれで祓われたのだろうかと思い、「祓う」という自分の意識に鈍い痛みのような感覚を覚える。
私は何を思っているのだろう。「祓う」というのは、死と汚れと再生と天皇の文脈にある。これが宗教的な意識というものだ。そんなものを私は抱えている。抱えたまま、私はこれから、この令和という時代を生きていくのだろうか。それでも、とにかく生きていられたらそれは、愉快だと言うべきだろう。国家の宗教性というのには触れたくはないものだという思いも抱えつつ。
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