[書評] ウイルスの意味論――生命の定義を超えた存在(山内一也)
『ウイルスの意味論』という書名や『生命の定義を超えた存在』という副題からは、1980年代の日本のポストモダニズムの一群の書籍を連想させるが、本書の叙述は至って平易で、それでいて内容は最新のウイルス学までをカバーし、かつ、生命とは何かという難問を踏まえつつも、ウイルス学の基本をきちんとおさえている。中学・高校の教科書、あるいは副読本としてもよいもので、当然、一般人の読書としても有意義で楽しめる。カッパ・ブックスの一冊であってもよかったかもしれないが、いずれにせよ、生物学にとりわけ関心がない人でも、まずもって読んで損のない書籍である。というか、読んだほうがいい。
私はウイルス学が好きで、このブログでも過去にいくつか記事を書いてきた。ゆえに比較的最近の動向を知っているつもりでいたが、それでも抜けは多いものだと、本書を読みながら思う。そして、それは知識が不足していて恥じ入るというより、新しいことが学べる楽しさでもある。特に、本書の場合、生命とはなにか、人間とはなにか、ということについても、斬新な直感が得られる。
いやもっと単純に、知って驚くというものだ。例えば、まあ、恥ずかしながら、次のことを私は知らなかった。
南北戦争で死亡した兵士のうち、実に三分の二は感染症によるものだったという。たとえば、北軍では七万六〇〇〇人以上が麻疹にかかり、五〇〇〇人以上が死亡した。
歴史における疫病の役割にはできるだけ気をつけているのだが、ちょっと迂闊だった。しかも、この事実に次の説明が続く。
このような大きな被害をもたらした原因は、農村地帯で麻疹に曝される機会の少なかった若者たちが集団生活を行ったためだった。
これだけでも驚くのだが、さらにこう続く。
その後、都市化が進み、大人が免疫を持つ者ばかりになると、子供のうちに麻疹にかかる機会が増えて、麻疹は小児病に変身していったのである。
注を見るにこの事実は1990年代には確立していた。
ここでちょっと奇妙なことを思う。麻疹がある程度蔓延していると、大人に免疫が形成されその免疫が維持されるが、大人社会から麻疹が駆逐されるとその免疫も失われ、小児病から大人の病気にまた変身するのではないか……。
ウイルスが次第に危機ではなくなる事例には、エイズがある。「エイズは公衆衛生上の驚異ではなくなるかもしれない」と本書は述べるが、同時にそれは、「HIVを生涯保有するヒトとはますます増えることが予想される」ということである。
一般的には、病原とされるウイルスは駆逐されるべきだということになるが、人間のみなら生命はウイルスと無縁ではいられない。そもそもの遺伝子の構成がウイルスに深い関わりをもっている。
本書を読んで、ほーと唸った点を他にも挙げておこう。ネタバレというものではないだろうし。
これは私が無知だったと思ったのは、海洋生態系についてである。
一般に、海洋生態系について説明する際には、微細藻類は動物プランクトンに食べられ、動物プランクトンは魚に食べられるという直線関係の食物連鎖のイメージが示される。
はいはい。一般の私はそう思ってました。違いました。
しかし、実際にはそのような単純な関係ではなく、最近微細藻類、動物プランクトンなどさまざまな生物が複雑な網目状の「食物網」を構成している。
解説の図が興味深いが。さらにこれにウイルスが関わる。
さらに、その中にウイルスが入り込んで、栄養分を生産者レベルに還元するリサイクルシステムがあるものと推定されている。
どういうことかというと、「ウイルスは、水中の生態系の有機物を配分する際の鍵を握っている」のだ。
他にも、ヒトヴァイロームの話やウイルス間での独自の情報交換システムの話など、ここでまた新しい科学知識を学べてよかったと思う。新しい科学知識がなければ、古代人と変わらない。そう思える知識が本書にはいろいろとあった。
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