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2019.04.15

公立福生病院での人工透析治療中止「問題」が考えさせること

 公立福生病院での人工透析治療中止「問題」について、報道問題以外の部分でも、気になる問題があった。①個別の問題と②制度上の問題、③尊厳死の問題、そして④もう一つの関連した問題である。

①個別の問題
 当初、毎日新聞などの報道が捉えていたのは、個別問題であった。これは法的な問題であり、犯罪であったかどうかという問題と言い換えてもいいだろう。この点については、単純に警察の動きもなさそうなので、なかったと言ってもよさそうだ。

②制度上の問題
 制度上の問題はどうか? 個別の問題との関連部分でいえば、東京都の指導が入った点では問題があったと言える。具体的には、正確な患者の記録が残されていないという問題である。これをより制度側に引きつけるなら、記録を残すという制度が維持されていれば良かった問題だったかということになる。別の言い方をすれば、制度上の問題はそれだけだったのか?
 記録が残されていないということについては、よって経緯が不明、ということになるかというと、報道を通して見るかぎり、病院側の経緯は調査でかなり明確になっている。実際のところ、密室の事態ではなく、複数の人間が入っており、法的な文書上の問題もない。その意味では、今回の事例で記録が残されていないのは問題だが、それは調査で補えたとしてもよいのではないか。
 その上で、これをどう考えるかなのだが、NHK『時論公論』「透析治療中止が問いかけること」では、「患者が意思を決めるまでのプロセスはどうだったのか。病院は何度も意思を確認したとしていますが、今回の都の検査では、明らかになりませんでした」としていた。が、そうまで言えるのかはよくわからない。また、「東京都とは別に、日本透析医学会が病院の調査を続けているので、専門家の目でその点を明らかにしてほしいと思います」としていたが、これは、現在の制度の改変提言となるのではないか。
 さて、ここからさらに制度の問題だが、『時論公論』での議論が示唆的だった。

人工透析を行う全国の施設を対象に、2016年から2017年にかけて学会の岡田一義医師が行なった調査では、透析の中止や見合わせの経験があるとした施設が全体の半数近くにのぼっていました。そのうち、およそ4分の1の事例で、患者の意思を尊重するとする学会の提言に準拠していなかったとしています。がんの末期で十分話し合いができなかった、認知症で本人の意思が確認できなかったなど、やむを得ない事例が多いのですが、医師が提言を知らなかった、参考にしなかったといったケースもあったということです。
患者や家族と話し合いを繰り返し、その都度、内容を文書に残す。医療機関にとっては手間がかかることかもしれませんが、患者の命に関わる問題です。慎重で丁寧に対応することが必要だと思います。

 これは私が単にこの分野に無知だったのだが、率直にいえば、驚きだった。「およそ4分の1の事例で、患者の意思」が尊重されていない、とするなら、今回の公立福生病院での事例は、特殊な事例だという問題より、潜在的な問題が顕在化した事例だったことになる。その上、そもそもこの制度に事実上の欠陥があると言ってもよいだろう。

④尊厳死の問題
 この先にうっすらと尊厳死の問題の構図が見えるように思える。『時論公論』では、透析を継続するかやめるかということについて、こう結語で述べている。

将来そうした事態に直面するかもしれない誰もが、患者の意思をどう尊重するのか考えていかなければいけない。そうしたメッセージを私たちに突きつけているように思います。

 曖昧にされているのは、すべての場合とは言えないからだろう。が、透析を継続するかやめるかというとき、やめるという選択は、事実上の尊厳死が意味されることがあるのではないだろうか。
 この問題についてどう考えるべきか、というところで、「第57回日本透析医学会 学会委員会企画 コンセンサスカンファレンス」で示された『人工透析中止と尊厳死』の議論を読む。この問題が、仮称『終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法律案』に関連した議論となっていることがわかる。
 この問題は別途、尊厳死の文脈で考える必要があるだろうが、現実の現場では、その間、複雑な事情を抱え込むことにはなるのだろう。
 今回の事例の文脈でいえば、尊厳死の問題はないとする意見もあるだろう。例えば、ダイヤモンド・オンラインに掲載された『透析患者の僕だから言える「透析中止事件」の罪』の記事では、「今回の女性患者はまだ44歳だ。透析さえすれば、普通に生きていける」ということを前提にしていた。
 この前提の理解は、専門ではない私には判断しがたい。今回の事例に即してみると、福生病院に8月9日に移るまで別のクリニックで人工透析を受けていたが、血液の出入り口となるシャントが詰まり、高度な医療が必要となり、福生病院に移った。ここで、首の周辺で管を通す手術が提案され、透析中止を決断したという経緯がある。
 いずれにせよ、透析中止と尊厳死の関連は、こうした技術的な背景もあり、尊厳死の一般論でも議論しつくせない。

④もう一つの関連した問題
 これは端的にいえば、腎移植が先進国では日本が少ないことだ。だいたい、米国の五分の一程度らしい。この問題は、やや奇妙な形で、漫画『ブラックジャックによろしく』でも扱われて印象深い。
 腎移植が少ないことは、人工透析への依存は増えるだろう。
 人工透析と腎移植のあり方については、日本社会の課題になっている。これに対して、どのような政策が提言されたらよいのか、やはり専門的な問題が残されているようだ。

 

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