« 「令和」の違和感 | トップページ | ウルトラマンとULTRAMAN »

2019.04.04

新元号ボツ案「英弘」について

 新元号の候補は6案あり、ボツ案については建前上は秘密のはずだが、昨日中に全部バレた。「英弘(えいこう)」、「久化(きゅうか)」、「広至(こうし)」、「万和(ばんな)」、「万保(ばんぽう)」である。

 関係者から聞き出したものだろうから、漏らした識者は口が軽いと非難する向きもあるだろうが、私にとって興味深かったのは、バレるプロセスだった。当初は、「万和」「万保」の読みがわかっていなかった。朝日新聞は、こんな感じ。2日「新元号、政府提示6案に英弘・広至など 日本書紀も典拠」より。

朝日新聞は複数の政府関係者の証言に基づき、「広至」「万保」の読みを「こうじ」「ばんほ」と報じましたが、その後の別の関係者への取材で「こうし」「ばんぽう」だったとわかりました。

 朝日がソースとして握っていた識者はそういう読みだと思っていたのだろう。

 そして、最後の一個がわからなかった。各報道者が探ろうとして、全部が同時に出たわけでもなかった。私が漫然とこの間の報道を見てきた印象では、最後を突き止めたのはNHKだったと思う。おそらく、現在の日本でもっとも報道機関として能力が高いのは、NHKなのではないかという印象をさらに深めることになった。それで、ようやく出てきたのは「久化」だったように思えた。

 こうしてボツ案に関心が注がれるのは、誰も「他のメニューはなんだろう」くらいの思いがベースにあるからだ。そして例えば、結婚候補が6人もいてそこから一人選んでも、「他の人と結婚してたらどうだったか」みたいな思いはわくもの……おっと、やばい比喩になってしまいそうだが、いずれ、「令和」よりこっちがよかった、みたいな思いもあるかもしれない。

 ボツ案を見てたぶん、殆どの人が、「万和(ばんな)」、「万保(ばんぽう)」は「ねーわ」と思っただろう。これについてくだくだと書く意味もない。「広至」「久化」はともに語頭音がローマ字でKなんで、Kオシだった私は、やっぱなと思った。

 残る「英弘」だが、これも概ね、「ねーわ」と思った人が多いだろう。普通に「ひでひろ」になる。私が私淑した、いや、直接学んだ歴史学者・岡田英弘先生を連想した。報道を見ていると、歴史学者の本郷和人さんはこれを推していたようだった。

 この「英弘」だが、当初、こんな報道が多かった。たとえば、2日TBS「「令和」以外の候補は「英弘」「久化」「広至」「万和」「万保」」より。

政府関係者によりますと、このうち「英弘(えいこう)」は奈良時代の歴史書「日本書紀」、「広至(こうし)」は「日本書紀」と中国の詩集「詩経」が出典元だということです。

 当初、私も、「日本書紀かあ」と思った。古事記はどうだったかと連想した。現代日本人にすると、古事記は、本居宣長の『古事記伝』以降、まがりなりも日本語のような装いをしているので、漢字二文字の元号の典拠はちょっとないんじゃないかとも思った。

 「英弘は日本書紀?」 と、日本書紀を調べると、ない、いやないわけじゃないが、「英公」のような人名は除くと、同段くらいで「英弘」が見つかる部分がない。しいていえば、武烈天皇紀。説明は省くけど、これは、ねーわ。

 で思った。「じゃあ、やっぱ、古事記? 古事記ったって、漢籍的な文は、偽書の序文くらいだぞ」と。でもまあ、序を見てたら、あるじゃん。普通に。ってか、古事記から典拠っていうとこの、やっべー序文になるなあ。

 該当は、「設神理以奨俗、敷英風以弘国」である。下すと、「神理を設け以て俗を奬め、英風を敷き以て国を弘め……たまふ」あたりだろう。「英風を敷きて国を弘む」は、字面の「英風」がちょっと笑える。今回の新元号発表で欧米のジャーナリズムに日本文化の教養がないことがわかったが、「英風」なら"British style"になったかもしれないな。

 この「英弘」、つまり「英風を敷きて国を弘む」の主語は誰?というと、序を見るとわかるように天武天皇である。で、話端折るが、天武天皇というのは、兄とされる天智天皇の子の弘文天皇から帝位を壬申の乱と言われる反乱によって簒奪した天皇である。やっちまったなあという感じは日本書紀からも伺え、戦前の日本の史学では、壬申の乱は事実上タブーだった。とはいえ、日本書紀がそもそもこの簒奪正当化の文書でもある。

 ちなみに、この弘文天皇ができたのは、明治3年(1870年)である。歴史学的には即位したかわかんないが、天皇は万世一系とか言ってとなえるマントラに含まれている。「神武綏靖安寧懿徳孝昭孝安孝霊孝元開化崇神垂仁景行成務仲哀応神仁徳履中反正允恭安康雄略清寧顕宗仁賢武烈継体安閑宣化欽明敏達用明崇峻推古舒明皇極孝徳斉明天智弘文天武持統文武元明元正聖武孝謙淳仁称徳光仁桓武……」と、中二病的に暗証したくなるが、ここに弘文天皇はいる。ざっくばらんに言うと、天皇家の万世一系は明治3年に出来たのである。「いや万世一系とはうんたら」というなら、「じゃあ、その一系を言ってごらん」。

 話を戻す。このご時世で新元号を「英弘」ってやると、天武天皇を褒め称えることになり、日本史のやっばいものが出て来る。ただ、今回の「令和」でも長屋王の変っていうやばいもんが出てきちゃったんで、識者の先生がた、お若い感じがする。

 ああ、ここで余談したいぞ。「令和」を決めたとされる中西進先生は、1973年4月から9月までNHK教育テレビでNHK市民大学講座『万葉の世界』やっていて、高校一年生の私はこれ受講していたんですよ。当時、中西先生は43歳でかっこよかったですよ。

 つまり……、「英弘」はねーわと思う。さらに、出典の古事記序文は、偽書だろうと思う。昨今では、古事記偽書説はとんでも扱いされているが、先の岡田英弘先生は、古事記を明確に偽書だとしてしていた。その典拠の多くは、民俗学者・鳥越憲三郎によるものだった。ちなみに、私が古事記偽書説になったのは、大学院生時代、古代日本の音韻関連の論文を見ていて、甲類乙類ってallophone(異音)じゃねと思って、簡単に分布を書いてみると、complementary distribution(相補分布)なんで、へーと思ったことだ。で、思った。古事記がこの規則性に従い過ぎなのは、これって、偽書作家がよくやるやつじゃんか。で、その後、鳥越憲三郎の著作を読み、岡田英弘先生に学び、古事記は偽書じゃんと思うようになった次第。

 「英弘」が元号になることで、古事記偽書説が盛り返すのもいいんじゃないかとも思うが、逆に、ますます古事記が日本の原点みたいな風潮になるかもしれないなとも思った。

 

 さて、古代史だの万葉集だのに関心をもっていたのは、私が若い頃だ。今の私としては、古事記が偽書でも偽書でなくてもどうでもいいやというふうに関心が薄れている。万葉集についても関心が薄れていたが、先日、古典の参考書みたいのを書きながら、後撰和歌集に関心を持ち、撰和歌所について関心をもった。

 万葉集というのは、明治時代の復古ブームで、なんというか、西洋のギリシア文明に負けない日本の古代精神みたいな流れでナショナリズムとも合致していた。そういうのも今の私はさほど関心ないが、後撰和歌集の時代にすでに万葉集がわからなくなっていたことは興味深かった。

 そういえば、平成時代になって公開された廣瀬本万葉集についても、長く関心を持ってこなかった。私の万葉集の知識は仙覚本のままであった。定家が実朝に贈った万葉集も廣瀬本の系統らしい。

 「令和」のお陰で世の中、というか、出版界は降って湧いた万葉ブームになりそうだ。私も、廣瀬本以降の研究を勉強しなおしたいなとは、この機に思った。

 

 そういえば、当時の、中西進先生の市民大学講座はその後、中公新書になった。見るともう絶版のようだ。中古ならまだ買えるようだ。昨今のブームで再版になるとは思うが、そうでなければ、再版しとくといいと思う。良書である。

 

 

 

|

« 「令和」の違和感 | トップページ | ウルトラマンとULTRAMAN »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 「令和」の違和感 | トップページ | ウルトラマンとULTRAMAN »