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2019.04.24

スリランカ連続テロは新しい時代のテロだろうか?

 スリランカで大規模なテロの一報があったとき、まず思ったのは、奇妙なある矛盾した思いだった。矛盾というのは、2つの方向がある。一つは、スリランカの近年の歴史を振り返ると大規模な内戦があり、その余波が連想されることだ。しかし狙われたのは、キリスト教会でありまた欧風の高級ホテルであった。内戦の延長の文脈は自然には考えにくい。もう一つは、もし、その爆破テロの手口から自爆テロであるなら、死を賭してもかまわない狂信が背景にあるはずだ……とすれば、そうした狂信を持つことができるのは、過激なイスラム教だろうか……という矛盾した思いである。そして、それがイスラム教だろうかという疑問が浮かんだところで私は思考を止めた。自分の心なかでイスラム教に対する差別意識のようなものがないだろうかと不安になったのである。
 報道を追ってみた。恐らく日本のメディアは被害者に邦人が含まれるか、外務省がどのような対応するかということが焦点になり、もし邦人被害がなければ、他の悲惨な国際ニュースのように、どちらかというとよそよそしく、日本と関係のないニュースとなっていくだろう。結果的には邦人が含まれていた。
 ここで奇妙な思いが浮かんだ。邦人が含まれていたことは、客観的に見れば、偶然だと言えるだろうか。厳密に言えば偶然と言えるだろう。だが、偶然と言えるほどの確率だろうかというところで、奇妙な連想が続いた。もし仮に、現代先進世界に一定のテロを与えたいなら、その人々が集まるところとして高級ホテルに大規模の爆破テロを仕掛けるのはむしろ自然だ。それなりの影響が出る。その規模の拡大で邦人被害の確率は比例的に高まるだろう。今回のテロで邦人が狙われたわけではないだろうが、邦人が含まれることは、かなり必然に近い偶然だったのではないか。そしてそれがテロの本当の目的だったしたらどうだろうか? つまり、「私たちはあなたちを殺したいのだ」という強いメッセージである。そしてその強いメッセージには、それを裏付け、天国を確証するだけの正義の確信が伴うはずである。
 もしそうなら、それは恐ろしく強いメッセージ性をもっているはずだ。それなら、犯行グループが声明を発表しているはずだ。通常、この手の大規模テロが発生すれば、あとづけで直接関係のない過激なグループが関心を得るために適当なメッセージを出すものだ。が、それらが報道に上がってこないのはなぜか。しかし、報道の比較的初期の時点でスリランカ政府にはメッセージが届いていたらしいことがわかった。ある組織がスリランカ政府に通知していたらしい。スリランカ政府としてもまた通知した団体もこれほどのテロが想定できなかったことになる。
 ニューヨーク・タイムズの「Sri Lanka Bombings Live Updates」を追うと、その予想された便乗メッセージが連想されるメッセージは「イスラム国」から出たようだ。が、現状では今回のテロと直接のつながりは判明していない。他方、スリランカ政府側は、この3月にニュージーランドのモスクで起きた銃乱射テロ事件に対する報復だっと発表した。これも裏付けはまだないようだ。このシナリオは魅力的だが、これほどの大規模なテロを1ヶ月で仕込むとする想定は不自然だからだ。
 とはいえ、このシナリオには怪しい魅力がある。常識的に考えるなら、「江戸のかたきを長崎が討つ」といった荒唐無稽さが漂うのだが、情報ネットワークによって緊密となりさらに高度に概念化した正義というものは、このような形で露出しえるものなのではないかという思いである。
 多数の人には、どのような正義心にかられても無差別なテロを行うことはないと思いたいが、現実はそうではなくなりつつある。私たち日本人にしてみると、日本人であることでなにか微妙に世界のテロから守られているような曖昧な、そして呪術的な心性をもっているようにも思われる。あるいは、日本人が過去に行った残虐をひたすら後悔する素振りを国際的に示せば、その恩恵で無差別テロから免れるといったような呪術的心理もあるようにも思う。
 今回のテロの真相はまだわからないが、連想されるシナリオが暗示するものは、もはや日本的な呪術的倫理性は世界には届かないことだ。つまり、テロはようやく本格的にグローバル化したのかもしれない。

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