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2019.04.30

平成最後の日

 平成最後の日である。この日にまったく思い入れがないわけではないが、強い思い入れがあるというものでもない。というか、そういう思いというか感情が浮かんでこない。理由ははっきりしている。この日がとても人為的な日であるからだ。私たち日本人は、この日をある運命として受け入れたのではなく、予定を遂行しただけだからだ。そのことを改めて考えれば、それなりに大変なことだなとは思わないでもない。
 昭和から平成への変化までには、数年にわたり、昭和天皇の死としてXデーが常に意識されてきた。最終的なXデーは、結果からすると多分に人為的な面も感じられるが、基本的には、ある種の運命でもあった。天皇の死というものを、運命として日本国民が受け入れ、新しい天皇をたてるという営みであり、そこでは追悼と企図が同時に起きた。
 今回は違った。天皇の死と新天皇の即位とさらにその元号の制定の3つは、ばらばらに切り離された。切り離すことで、すべてが好ましく展開したかのようだが、つまり、私たち日本人は、「王の死が運命である」ということに向き合うことを避けるようになったのである。
 しかも、この3つの分離は、事実上、天皇である明仁陛下お一人の創案であったと言ってもよいくらいだった。天皇は象徴なのだから、そうした大きな決断に介在すべきではないはずだ。が、さらに彼の配慮であたかも彼の創案であることは曖昧に覆われ、それなりに法的な裏付けもできるようになった。万事がうまく進んだ。
 別の言い方をすれば、この3つの切り離しを国民、あるいはその代表であり国権の最高機関である国会が創案することはできなかった。比喩的にではあるが、私たち日本人は、2.26事件そして終戦についで、また御聖断を仰いだわけである。
 いずれにせよ、これで日本は変わった。次の改元まで私は生きていないのだろうが、新天皇も80歳か85歳になれば、引退して上皇になるのであろう。次の元号は概ね、計画的にと言っていいと思うが、25年後にやってくるのだ。
 さて、今日という日、私はテレビをほんど見なかった。いつも見ないのだから変わりないとも言えるが、テレビ番組のほうはいつもの日のそれではない。だから私は意図的に、こんな番組は見たくもないと思ったのだった。もちろん、拒否しているわけではない。NHK7時のニュースで見れば十分だろう。で、そのニュースを見た。十分にうんざりする内容だった。重要なのは、総理大臣の言葉と退位される天皇の言葉だ。実際に確認したが、とりわけ気になる内容はなかった。短く簡素で特に問題もなくということだった。
 それで、天皇退位については終わり。
 と、そのままNHK7時のニュースのあとに、NHKスペシャル『日本人と天皇』というのをやっていた。ダラっと見た。これが意外に面白かった。
 内容は2つに分かれる。前半の大嘗祭についてと後半の皇位継承問題である。水と油とまでは違わないが、かなり異なった話題がくっついたという点では奇妙な番組ではあった。個人的には、皇位継承問題はさほど関心がなかった。三笠宮のお考えはすでに知っていた。この部分だけ、簡素に言うと、そもそもGHQは天皇制が自然消滅するように宮家をなくしたのだから、こういう展開になるのはわかりきったことである。また、側室制がなくなれば、天皇家が続く保証などもない。天皇というのは象徴なのだから、象徴以上の意味合い(血統とか)をもたせようという考えがどうかしている。
 番組で興味深かったのは、前半である。まず大嘗祭の再現映像だった。これは楽しい。この部分だけをきっちり二時間番組ぐらいに拡張してもいいと思う。私はこの儀式に折口信夫や吉野裕子の著作などから関心をもっていた。それと、即位灌頂の話が面白かった。天皇家について日本の伝統が重要だというなら、なにより、即位灌頂の復活を考えてもいいのではないか。
 即位灌頂というのは、仏教の密教による帝位の儀式である。いちおう秘儀とされているのだが、そのあたりが番組で紹介されていた。まさに神仏習合であり、こういうのがまさに日本の伝統なのである。
 それにしても、再現風に大嘗祭や即位灌頂というものを見直すと、これこそが宗教の儀式そのものだと思わずにはいられない。天皇家のご当主というのは、こういう儀式を真面目に執り行わければならないものだ。
 では、その儀式のなかで、執り行う天皇ご自身がその儀礼の神なりの存在を信じているのかというと、まあ、信じもせずに行うわけにもいかないかなあ、というあたりで、久しぶりに、日本という国家の根幹に宗教があるのだ、というのを改めて感じた。

 

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2019.04.29

[ショートショート] レンタル傘

 (この話はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。というか私の創作です。)


 ショッピングモールを出ると、雨はまだ降っていた。やはりこの雨は今晩中はやまないのだろうなと思っていると、警備員に呼び止められた。
「お客さん、お客さん、ちょっとお待ち下さい」
 呼び止められたが、私は普通のおっさんである。
「はい。なんでしょ?」と普通のおっさんらしく答え、警備員の話を聞く。
「お手持ちの傘なんですが……」
「はあ、これですか。このビニール傘なら私のですよ。家から持ってきたものです。適当にショッピングモールに置いてあったのをもってきたわけでも、まして盗んだわけでもありませんよ。なんならほらここに、リラックマのシールが貼ってあるでしょ。誰かのと間違わないようにしてもあるんです」
「いえ、その傘のことではなく……」
「あ、こっちの傘ですか。ああ、なんで2つも傘持っているのかということですか。しかも、男ものの傘に見えないので不審にでも思いましたか。これはですね、妻の傘です。これから妻とちょっとしたデートなんですよ。彼女、朝、傘持っていかなかったから」
「いえ、そういう話ではないんですが……、でも、その傘なんですが……」
「だから、この傘は私の傘ですよ。正確には妻の傘ですが、何か?」
「大変に申し上げにくいんですが、それ、レンタル傘なんです?」
「は? レンタル傘? つまり、これは妻の傘ではなく、妻がどこかで借りた傘だというのですか?」
「ええ。お客様のご認識としては、ご自身の、いえ、奥様の傘だと思っていらっしゃると思うのですが……」
「変な話ですね。そもそもこれがレンタル傘だとどうしてわかるんですか? なにか証拠でもあるんですか」
「ええ。あのセンサーに反応が出ていまして? ほら、あの」と警備員はモールの出口の上の端に並んでいる4の小さいランプを指さした。最初と最後が黄色に点灯している。
「あのランプでこの傘がレンタルだとわかるというのですか?」
「ええ」
「いや、『ええ』と言われても私にはまったくわけがわからない。そもそもあのランプにそんな意味があるのか。それにですよ、仮にこれがレンタル傘だとして、そしてレンタル期限が切れていたとして、今すぐ返却しなければいけないものなのか?」
「それは……」
「なんか非常に不愉快な話をされているように思うのだけど……」
「まことに申し上げにくいのですが、その傘がレンタル傘であれば、それはそれでいいんですが……」
「警備員さん、何を言ってるんですか。これが仮にレンタル傘でも問題ないなら、じゃあ、それでいいじゃないですか」
「いえ、その、その傘がレンタル傘なら問題ないと言いますか?」
「なんなんですか、ますますわからない」
「まことに申し上げにくいのですが、警告ランプ、ああ、あのランプですが、そのお、あの標識になったときは、お客様に声をかけることになっていまして……、ただ、その見たところ、レンタル傘をお持ちのようで、その傘が問題であればよかったかと……」
「なんですか、それ。まあ、いいです。で、どうやるとこの傘がレンタル傘だとわかるんですか」
「簡単です。このセンサーで……」と警備員はタバコの箱のような小さい装置をポケットから取り出した。「これで調べると……。お調べしていいですか」
「いいですよ。なんだかこの変な状況をさっさと終わりにしたい」
「では……、スイッチ・オン。あ、レンタル傘ですね。半年遅滞です」
「え? それ本当?」
「ええ、本当です。スマホお持ちですよね」
「あるけど」
「では、このQRコードを写してリンク先の説明読んで下さい。これで終わりです。あとのことはそこに書いてありますから」
「はあ? これで終わり?」
「終わりです。QRコード写していたければ、終わりです。ほっとしました」
「『ほっとしました』って何? 私としてはなんとも不可解な状況が続いているんだけど……」
「そうおっしゃられましても……」
「うーん、私には、未だにこの傘がレンタル傘だとか信じられないし、センサーがどうのという話も疑わしい。そもそもあなたが警備員だというのですら疑わしい」
「そうですか。では……」と警備員は胸にバッチに小箱のセンサーを当た。それが警備員であることの証明であるかのよう。ところが。「あれ?」と彼はつぶやいた。
「警備員さん、『あれ?』ってなに?」
「期限切れですね」
「え? 何の期限切れなんですか?」
「レンタル期限が切れてますね。こんなこともあるのかあ」と警備員さんがは驚いている。
「すみません、よくわからないのだけど、何のレンタル期限が切れているの?」
「私です。私のレンタル期限が切れました」
「ええと、警備員さんのレンタル期限が切れたということ? 警備員さんって、レンタル?」
「はい、そうですよ。これからレンタル元に帰ります」
「ええと、このレンタル傘とやらはどうなるの?」
「それですか。私の職務外のことなんで、ご自由になさってください。では」
 警備員さんは、少し慌てて、少し微笑んで、去っていった。

 

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2019.04.28

キャラメルとチャルメラの関係について

 イタリア語を学び初めて、caramella(キャラメッラ)という単語を知る。意味は、キャンディである。あれ?と思った。これ、見るからに「キャラメル」と関係しているはずだ。が、どういう関係なのか。イタリア語はフランス語に影響し、フランス語は英語に影響していることがあるので、そういう関連性があるかというと、一見、そうでもない。caramellaは、フランス語だとbonbon、英語だとcandy。
 関連していそうな、英語のcaramelを調べると何かわかるかもしれないと思い、辞書に当たると、意味は、3つ。①カラメル(プリンのあれだ)、②キャラメル、③キャメル色。日本語の「キャラメル」と微妙に意味が違う。そのあたりは、日本の「キャラメル」の歴史を探るとわかるはず。見ていくと、案の定、森永のサイトに説明がある。「現在の日本のキャラメルの製法は、アメリカから1899年に帰国した森永製菓創業者・森永太一郎氏によって伝えられたものが始まりです」。本当だろうか? ちなみに、彼は安倍昭恵さんのひいおじいさんになる(はず)。彼は最初にマシュマロを作っていたらしいが(これがエンゼルマークに関連)、その後キャラメルに切り替えた。では、その元となる米国でのキャラメルはどうだったのか。関連した話によると、若い日の太一郎が公園のベンチで目ざめたときキャラメルの包み紙を目にしたとのことだ。が、詳しくはわからない。米国ではありふれたお菓子だったのだろう。とんなものかと調べると、どうやらタフィー(toffee)のようだ。森永としてはオリジナリティを強調したいだろうが、その原形のお菓子は存在しているし、そのお菓子とcaramelという言葉の関係はよくわからない。
 関連して「カルメ焼き」がある。これは、カステラなどと同様、安土桃山時代ごろのポルトガル人に由来した菓子のようだ。江戸時代には「カルメイラ」とも呼ばれていたらしい。ではその元のポルトガルはどうだったかというと、このあたりに、英語のcaramelが関連する。つまり、英語のcaramelは、1715年から1725年頃、フランス語から外来語だったようだ。そしてフランス語の元は、スペイン語かポルトガル語のcarameloのようだ。そして、この語は、後期ラテン語のcalamellusに由来する。ラテン語としては、calamus(葦) +‎ -ellus(小柄にする)で、「小葦」なのだが、なぜ、葦?
 ここがこの言葉の由来の奇妙なところで、どうやら、calamellusは、別の言葉であるcanna mellis とダジャレ的に混同したようだ。こちらは、cane(葦) + mel(蜜)ということで、甘い葦としてサトウキビあるいは、サトウキビから作った棒状の甘い飴を指したようだ。これがおそらく、現在のイタリア語のcannamellaになるのだろう。ポルトガル語またはスペイン語も同系ではないだろうか。
 そしていずれにせよ、元にあるのは、サトウキビ菓子であり、年代的にもアラビア起源だろうし、十字軍が残したものだろう。ただし、これが現在のキャラメルのように乳製品の菓子に変化したのはどこかはわからない。イタリア語のcannamellaが乳製品ではないので、変化はフランスだっただろうか。
 さて、チャルメラだ。あのラーメン屋台のチャルメラだが、見てわかるように、言葉はキャラメルによく似ている。これは、中国楽器の笛・嗩吶を安土桃山時代のポルトガル人がチャルメラと呼んだかららしい。では、なぜ当時のポルトガル人がそう呼んだかというと、類似の笛がcharamelaだったからだ。そこで、このcharamelaだが、おそらく葦の笛ということで、calamus(葦)に関連していたからだ。
 かくして、キャラメルとチャルメラは、同一のラテン語語源であるcalamus(葦)をもとに、16世紀のポルトガルを介してできた、いわば兄弟的な関係にある言葉と見てよさそうだ。
 さて、以上の考察は、まったくのネタというわけでもないが、いろいろ抜けがある。大筋ではこういうことなんじゃないかということなんで、何かのおりに詳しいことがわかったらまた考察しなおしたい。

 

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2019.04.27

[映画] 神様の思し召し

 そこそこにいい映画とか。それなりにいい映画とか。お値段通りの映画とか、まあ、悪くないよね的な映画はいろいろ見る。けど、心から、こりゃいい映画だったというのは、それほどはない。そういうもの、なのかもしれない。で、このイタリア映画『神様の思し召し』は、ほんと心の底からいい映画でした。ヒューマンものにありがちな、べったり感もないし、感動をしいるわけでもなかった。個人的には、自分が、神と考えている何かに触れることで奇妙な感動があった。でもそれはたぶん、個人的なことで、この映画のよさは、さまざまな形で誰にでも伝わるんじゃないか。

Sediovuole  
 少しネタバレが入るが許容のうちじゃないかと思う。話は、50代半ばくらいの年齢だろうか、有能で社会的な地位も所得もある心臓外科医が、医大大学生の息子から突然、神父になりたいと言われる。無神論者だが民主主義的な人間を自分に任じている父としては、頭ごなしに否定できないものの、息子がへんてこな宗教にやれてしまった、なんとか息子をまともな医者の道に戻したい、として、息子をカトリックに引きずり込んだ神父を探る。つきまとう。このあたりはかなり笑えるというか、こういうタッチのコメディかあ、そして最後は、信仰とリベラルをつなぐいつものつまんないオチになるのかと思いきや、そうでもない。この間、外科医の美人妻や長女も荒れ始める。どの先進国の家庭にもありがちな生活の空虚感というやつだ。さて、話はどうなるのかというと、ここから外科医と神父の奇妙な交流が始まる。友情とも信仰ともつかないが、まあ、友情であり、そして最後は信仰でもある。そのまま緩和なエンディングかと思いきや、オチがある。オチは、意外に難しい。というか、難しくしなくてもいいが、私はここで神の存在を思った。こういう言い方は、映画を勧めるのによくない修辞であることはわかっている。
 でもまあ、私のことだ。私というのは、単純に言えば、神は存在するのかと問い詰めた人生でもあったわけだし、そのあたりで、この映画のまさに標的でもある。ようするに神は存在するのか? これにすっると答えることは滑稽である以前に虚しい。でも、この映画は上手に描いていた。ある意味、奇跡というのは何かということを、きれいに描いていた。
 奇跡というのは、科学的に証明されるものはない。偶然事象などについての過剰な解釈に過ぎないとも言える。つまり、ないのだと言っていい。あるのは、お前がそれを信じているからだよと言いたくもなるが、逆だ。人は、あるとき、奇跡に出会ってそれが奇跡だと知ってから信じるのである。そして、それを信じなくてもいい。それでも、奇跡というのは、神というのは、こういうものだったのだと、ある懐かしいように思い出せる映画ではあった。
 大丈夫、この映画は、宗教的な映画ではない。奇跡を信じ込ませる映画でもない。オチの意味が今ひとつわからないということでもいいと思う、ので、その解説は不要だろう。
 ところで、この映画を見た理由は偶然である。最近、イタリア語を勉強しはじめて、なんかイタリア語の映画はないかと検索したら上位に出てきたので見ただけである。オリジナルのタイトルは、"Se Dio Vuole"、ああ、意味はわかりますよ。「もし神が望むのであれば」そして、映画を見終えて、その意味はよくわかった。

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2019.04.26

Florence(フローレンス)――ありふれた恋の物語について

 一年くらい前に少し話題だったFlorence(フローレンス)というゲームを、今頃ふとしたきっかけで、やってみた。正確にはゲームというものでもないんだろう。ではなにかというと、若干インタラクティブな絵本といったところか。手書きのきれいなイラストと心地よいBGMが付いている。話は、ありふれた恋の物語である。30分ほどで読み終える。で、私がこの記事で語ろうとしているのは、ありふれた恋の物語についてである。が、まず、そのフローレンスについて。

Florence

 主人公はフローレンスという若い女性である。設定は中華系で25歳、独身。米国の都市に暮らしてて仕事は会計事務のようなことをしている。母親からは中国語で早く結婚しろと電話で問い詰められる日々。そんなある日、インド系のストリート・ミュージシャンの男性に惹かれ、偶然もあって、恋に落ち、同棲を始め、そして、まあ、ネタバレというほどでもないと思うので書くが、同棲はうまくいかず別れる。
 なぜ、恋がうまくいかないか。恋は普通、うまくいかないものだとも思う。この物語では、フローレンスは恋人の男に、ちゃんと音楽を学ばせようとミュージック・スクールに通うように背を押しているのに、彼女自身は絵を描きたいという夢を失っていく、その過程が、失恋に重ねられている。恋のなかで相手に尽くしていくうちに自分を忘れるというありふれた展開でもある。
 失恋のあと、フローレンスは、絵を描くことを取り戻し、自立した生き方に戻る、ということで、この物語はハッピーエンドと言えないこともない。
 ストーリーは概ねそれだけなのだが、作品の優れたところは、フローレンスの心の動きが、動く絵本のなかで上手に表現されていることだ。誰もがありふれた恋をするものだが、そうした恋のなかで味わう経験の質が上手に描かれている。そうしたディテールで、思わず泣きたくなるように胸に迫る部分がある。私はある凡庸なシーンで泣けた。
 恋というのは、そういうものだ。ありきたりなのに、そういうものなのだと思う。そして、恋の物語は、どう凝って描いても、そうしたありきたりなことが繰り返される。そうだなあ、と思い出す。漫画の『ソラニン』もそういう感じだった。あの映画もそういう感じがする。
 ブログを事実上お休みしている間、和ドラマもいくつか見たが、『サバイバル・ウェディング』『獣になれない私たち』も、とりあえず、ハッピーエンドだし、いろいろひねりは入れていて面白いのだが、基本は、ありふれた恋の物語だったと思う。
 私たちはなぜこんなにもありきたりの恋をするんだろうか? と私は考える。考えながら、私は61歳という自分の年齢をなんとなく忘れ、そして、ありきたりの恋というものに、どう始末をつけて生きてきたのかと疑問に思う。「始末」というのはちょっと違うのかもしれないが。
 ありふれた恋の物語は、たぶん、このフローレンスの物語のように、形の上では失恋ということになるだろうし、それは必然なんじゃないだろうか。仮に、めでたしというという結末に見える恋であっても、本質は似たようなものではないだろうか。心のどこかで失恋を飲み込むように生きているだけではないか。
 恋愛というものについて、若い頃の私は、小説家・遠藤周作の考えにだいぶ影響を受けたものだった。彼が伝えたかったことは、私たちはだれもありきたりの恋するが、愛する努力によってかけがえのないものにする、というようなことだ。なるほどなとも思う。「No.1にならなくてもいい もともと特別なOnly One」といった感じに近いのかもしれない。
 でも、恋愛によって、私たちはかけがいのない存在になるのだろうか、というと、おそらくそうではないだろう。ありきたりの人生経験を加えるだけだ。
 ただ、よくわからないが、生きているということは、ありきたりに生きるということが本質なんじゃないか。
 アニメ『輪るピングドラム』で「きっと何者にもなれないお前たちに告げる」というセリフが印象的だったが、ネットが興隆するにつれ、私たちの生活の質の基調がどこなくそこのところで揺らいでいるようにも感じられる。ツイッターとかでいくらフォロワーがついても、それ自体が「何者にもなれないお前たち」でしかない。それでいて、私たちは、生きるという経験の質をそうしたありふれた恋の物語ような経験のなかでのみ汲み取ることが可能だ。
 さて、オチも教訓もない。ありふれた恋の物語をどう考えても、オチは出てこない。出るべきでもない。教訓もない。恋がなんであるか、あるいは恋の本質がなんであるか、理想の恋は何か、そういうこととはまるで関係なく、ありふれた恋を人はするものだ。しいていうなら、ありふれた物語としての自分の人生を受け取ることが、生きる質なのではないか。というか、フローレンスの、ありふれた恋の物語のなかに、自分がしてきた恋、誰もがする恋という経験の質を重ねることができる。それは驚くべきことなんじゃないか。

 

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2019.04.25

[書評] パスタぎらい(ヤマザキマリ)

 食について書かれたエッセイというのは、概ねおもしろいものである。それが本になっているということは、編集者という他者が、これはおもしろいんじゃないかという意識を介していることだ。それなりに見識のある他者の目を介した食の話なら自然に他者の広がりへと共感を産むものだ。そのことは、本書『パスタぎらい』にも当てはまる。食のエッセイとしてとてもおもしろい。だが、この本、なんか、度を越しているぞ。
 なんというのだろう、揶揄の含みはないが、イカレている、というのだろうか、昔の言葉でいうなら、ぶっ飛んでいる、のである。読み進めるに、ヤマザキマリという人はこんなにも変な人なんだというのが、ぐいぐい迫ってくる。脳がしびれてくるような感じがする。本書だけにつけられた彼女のイラストの表紙のあるイカレた感じも、じわじわとくる。

Pasutagirai  

 カバー絵の女はなんのパスタを食べているのか? ナポリタンである。ヤマザキマリは35年もイタリアに関わって、パスタが嫌いになったと言う。でも、パスタが全部嫌いかというと、そうでもない。ナポリタンは好きだという。ケチャップの、あの。もともと日本食が好きというのもあるが。
 いったいどういうことなんだろうか。もちろん、ヤマザキマリという人の魅力でもあるのだろうし、このイカレた魅力は、彼女の、もしかすると代表作となる『プリニウス』にも通じるものだ。プリニウスも、相当に、イカレている。
 こうした、なんとも変な人間を見つめていていつも思うのは、こういう人たちは、「他者というもの」の存在感を上手に伝えてくれることだ。私たちの多くは、たいていは心の底で他者に怯えている。自分というものをさらけ出す、というか、さらざんまいするというか、そういう自己開示に怯えている。でも、それをさらっと出す人を見るとき、他者とはなにか、自分とは何かと考えることになる。
 おそらく誰でもこういう思いがあるだろう。親友でも恋人でもいい、この人は自分に近い人だという人と一緒に食事をしていると、ふと、その人の食の嗜好が自分と全然違うということに気づいてしまう。あれ、なんでこの人、刺身の醤油皿に一生懸命わさびを溶かしているんだろうか、とか。カレーを食べる前にそんなにも念入りに混ぜ合わせるんだろうとか。『目玉焼きの黄身 いつつぶす?』的な話でもあるが、その先に、私はこの人と気が合うんだろうか、好きなんだろうか、こんな人とやっていけるんだろうか……おっと、「こんな人?」って思っちゃったよ私、と。

 

 これは、同棲生活や結婚生活でさらに露呈してくる。10年くらい前だったか、ネットで嫁の飯がまずいという話題があった。そんなのどうでもいいじゃないか。嫁さんが作る飯がまずかったら、自分で作ればいいじゃないか、買って食ってもいいじゃないか、と言えそうで、おそらく現在はそう言えて、安定したんだろうが、あの話題で浮かんできたのも、他者というのはなんかおかしいという変な感覚だっただろう。
 本書はそれがてんこ盛りである。お前の味覚どうなってるんだというの思いが、マシンガンで全身貫かれるように、来る来る。しかしも、読めばわかるが、実は、ヤマザキマリという人はとんでもない食通である。この人は自身を味覚が鋭くない、雑食だというふうに言っているが、いやいや、相当に美食家だ。これはガチだなと強烈に思ったのは、白子の話だ。私は白子というのが嫌いだが、あるとき偶然、美味しい白子を食べたことがある。これっておいしいものなんじゃないかと思い直すほどだった。が、以降、もっと白子を食べたいとは思わなかった。概ね、まずいし気持ち悪い。
 そうなのだ、概ね、まずいしきもち悪いという食べ物が、この世界に、なんとも理解不可能な他者の味覚と一緒に存在論的に存在しているのである。しかも、それらは満ち満ちている。というところで、なんだろう、世界というものの相貌が変わる。博物学の怪しさのように。

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2019.04.24

スリランカ連続テロは新しい時代のテロだろうか?

 スリランカで大規模なテロの一報があったとき、まず思ったのは、奇妙なある矛盾した思いだった。矛盾というのは、2つの方向がある。一つは、スリランカの近年の歴史を振り返ると大規模な内戦があり、その余波が連想されることだ。しかし狙われたのは、キリスト教会でありまた欧風の高級ホテルであった。内戦の延長の文脈は自然には考えにくい。もう一つは、もし、その爆破テロの手口から自爆テロであるなら、死を賭してもかまわない狂信が背景にあるはずだ……とすれば、そうした狂信を持つことができるのは、過激なイスラム教だろうか……という矛盾した思いである。そして、それがイスラム教だろうかという疑問が浮かんだところで私は思考を止めた。自分の心なかでイスラム教に対する差別意識のようなものがないだろうかと不安になったのである。
 報道を追ってみた。恐らく日本のメディアは被害者に邦人が含まれるか、外務省がどのような対応するかということが焦点になり、もし邦人被害がなければ、他の悲惨な国際ニュースのように、どちらかというとよそよそしく、日本と関係のないニュースとなっていくだろう。結果的には邦人が含まれていた。
 ここで奇妙な思いが浮かんだ。邦人が含まれていたことは、客観的に見れば、偶然だと言えるだろうか。厳密に言えば偶然と言えるだろう。だが、偶然と言えるほどの確率だろうかというところで、奇妙な連想が続いた。もし仮に、現代先進世界に一定のテロを与えたいなら、その人々が集まるところとして高級ホテルに大規模の爆破テロを仕掛けるのはむしろ自然だ。それなりの影響が出る。その規模の拡大で邦人被害の確率は比例的に高まるだろう。今回のテロで邦人が狙われたわけではないだろうが、邦人が含まれることは、かなり必然に近い偶然だったのではないか。そしてそれがテロの本当の目的だったしたらどうだろうか? つまり、「私たちはあなたちを殺したいのだ」という強いメッセージである。そしてその強いメッセージには、それを裏付け、天国を確証するだけの正義の確信が伴うはずである。
 もしそうなら、それは恐ろしく強いメッセージ性をもっているはずだ。それなら、犯行グループが声明を発表しているはずだ。通常、この手の大規模テロが発生すれば、あとづけで直接関係のない過激なグループが関心を得るために適当なメッセージを出すものだ。が、それらが報道に上がってこないのはなぜか。しかし、報道の比較的初期の時点でスリランカ政府にはメッセージが届いていたらしいことがわかった。ある組織がスリランカ政府に通知していたらしい。スリランカ政府としてもまた通知した団体もこれほどのテロが想定できなかったことになる。
 ニューヨーク・タイムズの「Sri Lanka Bombings Live Updates」を追うと、その予想された便乗メッセージが連想されるメッセージは「イスラム国」から出たようだ。が、現状では今回のテロと直接のつながりは判明していない。他方、スリランカ政府側は、この3月にニュージーランドのモスクで起きた銃乱射テロ事件に対する報復だっと発表した。これも裏付けはまだないようだ。このシナリオは魅力的だが、これほどの大規模なテロを1ヶ月で仕込むとする想定は不自然だからだ。
 とはいえ、このシナリオには怪しい魅力がある。常識的に考えるなら、「江戸のかたきを長崎が討つ」といった荒唐無稽さが漂うのだが、情報ネットワークによって緊密となりさらに高度に概念化した正義というものは、このような形で露出しえるものなのではないかという思いである。
 多数の人には、どのような正義心にかられても無差別なテロを行うことはないと思いたいが、現実はそうではなくなりつつある。私たち日本人にしてみると、日本人であることでなにか微妙に世界のテロから守られているような曖昧な、そして呪術的な心性をもっているようにも思われる。あるいは、日本人が過去に行った残虐をひたすら後悔する素振りを国際的に示せば、その恩恵で無差別テロから免れるといったような呪術的心理もあるようにも思う。
 今回のテロの真相はまだわからないが、連想されるシナリオが暗示するものは、もはや日本的な呪術的倫理性は世界には届かないことだ。つまり、テロはようやく本格的にグローバル化したのかもしれない。

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2019.04.23

今頃、終身雇用制崩壊が話題になったのはなぜかと疑問に思った

 ツイッターを見ていたら、経団連の中西会長が、「経済界は終身雇用なんてもう守れないと思っている」と発言したとして話題になっていたが、なぜそれが話題なのかよく飲み込めなかった。
 まず、奇妙な感じがしたのは、それが本当に最近の話題なのかという点だった。古いネタを掘り出して大喜利にしているんじゃないか。と、調べてみると、22日のANNニュース「終身雇用はルールに非ず…財界トップ、変革求める」にその言及があった。それによると、「中西会長は、先週も「経済界は終身雇用なんてもう守れないと思っている」などと発言しています」とのことだ。放言の類でも復古大喜利でもなかった。また、22日の産学協議会第二回会合の中間報告にも同種の趣旨があったともされている。23日東京新聞記事「企業の通年採用拡大を 経団連「終身雇用変える時期」」では、一連をこうまとめていた。

 「終身雇用うんぬんは社会の習慣。企業から見ると、一生雇用を続けるという保証書を持っているわけではない」。中西氏は産学協議会の会合後、記者団に対し、終身雇用が限界に来ているとの見方を示した。
 大学を出たばかりの若者を春に一括して採用し、定年まで勤めてもらう終身雇用。この日本独自の雇用慣行は、世界との競争が激しくなっている中で、立ちゆかなくなっているというのが、中西氏の考えだ。
 終身雇用の継続に疑問の声を投げかけるのは財界だけではない。昨年十月、茂木敏充経済再生担当相も「戦前は終身雇用という形態はあまり一般的ではなかった」と指摘。「雇用問題について集中的に議論を進めたい」と述べている。
 さらに中間報告をもとに今後議論を進める政府の未来投資会議では、既に昨年十月の定年延長に関する議論の中で竹中平蔵議員(東洋大教授)が「自由に働いて、自由に雇って、結果的に生涯現役社会が実現する」と主張。「解雇ルールの見直しを論点に加えてほしい」と踏み込んだ発言をした。

 これに対して、東京新聞はこうコメントを加えていた。

 だが終身雇用や年功序列賃金といった日本型の雇用形態が崩れれば、働く人の人生設計も大きく変わることになりかねない。

 東京新聞としては、まだ日本型の雇用形態が崩れていないという認識だということがわかる。
 おそらく、Twitterでの関連の話題もその前提の上でなされたのではないだろうか。
 最初の「奇妙な感じ」に戻ると、私の認識では、日本の終身雇用制と呼ばれているものの議論は、すでに10年前に終わっていた。加えていえば、日本に一時期の雇用傾向を除けば、制度として終身雇用はなかったとも思うが、この点については今回は議論しない。
 10年前だな、という記憶で思い出したのが、NIRA研究報告書『終身雇用という幻想を捨てよ―産業構造変化に合った雇用システムに転換を―』である。見ると、2009年であった。基本的な考えはこうである。

 そもそも、終身雇用制と呼ばれるような長期雇用(より正確には期限の定めの無い長期雇用)と年功賃金の組み合わせを実現できた企業は、ごく一時期のごく一部の企業に過ぎない。この点を考えると、終身雇用制を維持し、さらには社会全体により幅広く導入させていくことで、雇用と生活の安定が作り出せるという考えは幻想にすぎない。現在の経済環境下では、終身雇用をあたかも制度のように広く企業に要求することは実現不可能である。それにしがみつくと、かえって企業業績を悪化させるか失業を増大させ、雇用を中長期的に不安定化させる。逆説的ではあるが、わが国の雇用を守るために今、求められているのは、終身雇用制度という社会システムからの決別であり、解雇規制も含めた総合的な雇用システムの転換である。

 同報告書には、終身雇用制が幻想であったという議論もあるが、実際のところ、その認識はこの分野での共通理解に過ぎないのではないか。また、報告書はこの基調にそって、新しい雇用システムへの提言もあり、現実的には、政府も経団連もその方向性を取るしかないのだろう。簡単に言えば、再雇用しやすい制度に変えていくということだ。
 ということで、私の当初の違和感の大半は、Twitter民や東京新聞ががなにか時代錯誤的な勘違いしているのではないかという印象のほうに落ち着きそうだったが、ふと奇妙なことを2つ思った。
 1つは、2009年より現在のほうが雇用状況は全体としては改善している。ということは、2009年の状況より改善されたがゆえに、終身雇用制というものがこの好調の延長で可能になりそうだから、話題が蒸し返されたのではないか。さらに言えば、アベノミクスをより洗練したものにすれば、終身雇用制というものが実現可能だと思われているのか。まあ、そこまではないだろうが、それでも雇用状況の改善の緩みが逆に終身雇用制の期待を浮かび上がらせた構図がありそうには思えた。
 もう1つは、終身雇用制は幻想だったというのはもちろん言い過ぎで、一部では実現していた。大企業や公務員などである。で、こうした人々の言わば、あるいは全体的に見れば、一部の特権が今後も維持されるといい、という主張があるのではないか。もちろん、一部の特権者たちのクレームであれば社会的に共感されにくいから、誰にもその特権が開かれているような空気は醸成されるのだろう。
 さて、歴史には、改善に向かうときの逆走というのがつきものだが、今回の話題もそうなるのだろうか?と考え直して、それも虚しいと思えた。
 現実的には、どのような議論をしても、すでに一部を除けば、終身雇用制は解体しているというのが実態である。戦後の荒れ野原を見て戦争なんかするんじゃなかったと後悔してもいいが、後悔からは復興はできないというのが昭和の人々のつらいところだった。
 とはいえ、すでに終身雇用制は崩壊していることが現実だと受け入れない人もいるだろうし、先に述べたように、終身雇用制の未来を期待する人もいるのだろう。雇用が改善されれば、今後も終身雇用制を望む声は広がるのかもしれない、新しく。

 

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2019.04.22

モンキー・パンチさん、小池一夫さんの死

 漫画家モンキー・パンチさんが4月11日、81歳でなくなり、漫画原作者小池一夫さんが4月17日に82歳でなくなった。昭和32年生まれの私は、当然、お二人の作品にそれなりになじんでいるが、ファンというほどのこともないせいか、それほどは感慨もなかった。
 モンキー・パンチさんの代表作、ルパン三世については、アニメ化される前の原作を知っているので、アニメはずいぶんとお子ちゃま向けにされているのだなと思ったものだった。関心もなかった。では原作に関心があったかというと、1960年代の漫画アクションはどっちかというと成人向け劇画誌で、実際にはお子ちゃまであった自分にはそれほど関心はなかった。なんというか、大人向けのエロ・コンテンツは所詮お子ちゃまには向かないのである。
 小池一夫さんといえば、子連れ狼だろうが、私はそのドラマも含めて関心がなかった。なぜなのだろうかと疑問に思う。素浪人月影兵庫、素浪人花山大吉を見て育ち、30分枠時代の水戸黄門も見ていたし、木枯し紋次郎も好きだったが、子連れ狼には関心なかった。必殺シリーズも関心ない。
 他の作品はというと、池上遼一が絵のクライング フリーマンは毎週読んでいた。ので、話が支離滅裂になっていく過程も追っていた。あとで知ったが、物語の破綻には裏話もあったらしい。総じて、小池一夫さんの作品には関心がなかった。
 漫画家原作者といえば、梶原一騎(高森朝雄)には関心があった。とはいえ、スポーツものばかりというわけではないが。と、ふと思って、生年を確認すると、梶原は1936年の生まれで、小池一夫さんの生年と同じだった。そうか、梶原一騎が存命なら82歳だったかと奇妙な感慨に襲われる。梶原は50歳で亡くなっているのだが、自分の感覚からそれほど昔とも思えない。確認してみると、1987年で、昭和62年であった。梶原は平成を生きることはできなかった。
 元号と人の寿命は、本質的には関係はない。あるわけもない、と思うのだが、モンキー・パンチさん、小池一夫さんともに、あと1か月なく令和の時代というところで亡くなられると、奇妙な感じは拭えない。ちなみに、お二人とも肺炎で、肺炎は日本人の死亡原因の4位である。3位と争って少し落ちた。
 自分は61歳である。彼らの軌跡を思えば、自分に残されている人生の時間もそう長くはないなと思う。令和の時代を生きたとして、徳仁親王が天皇位を降りるまで私は生きてはいられないだろう。
 小池一夫さんについては、漫画原作という以外に、この数年のツイッターでの活躍に私は関心をもっていた。80歳すぎても、精神が若々しく、身体も保っているのを好ましく思ったものだった。
 昭和・平成時代の漫画の時代の巨人がふたり示し合わせたように、しかも令和を前に亡くなることは奇妙な符牒のようにも思えるが、80歳を超えた文学者はというと、あのかた、このかたと思い浮かぶ。そう遠くなく訃報を聞くのだろう。

 

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2019.04.21

都立高校が塾を導入する

 都立高校に進学塾TOMASの個別指導塾を導入するというニュースを見かけた。公立校のなかに民間企業の進学塾が入る。個別指導とはいえ、指針がそこに集約されれば、結局、公立校で学ぶことが塾で学ぶことと同じになると言っていいかもしれない。
 理由は、都立高では進学指導が十分に行えないから進学塾に外注するということだ。だったら、そもそも公立校って要らないんじゃないかとちょっと飛躍したことを思い、少し考え、そうかもしれないとも思った。
 正確に言えば、すべての都立高に進学塾の個別指導が導入されるわけではない。最初は実験的に2校だけ。だが、この動向はたぶんもう止まらないだろう。というのは、すでに私立高校ではこの動向が大きくなっているからだ。その意味で、現下の高校教育を知っている人にしてみると、このニュースは、まあ、つまり、そうなるよねとしか思えない。すでに実質導入しているに近い公立校もある。
 私はこの分野にある程度は詳しい。4人子供がいて4人、高校に進学させたからだ。3人は大学進学も終えた。このブログも長く、お料理レシピやおふざけのようなものも書いてきたが、その間、子供の進学で知ったことは直接的には書いてこなかった。関連する部分は自著のほうに書いたが、それでも子供の受験をテーマにはほとんど書いていない。末子の大学受験が終われば、そうした体験記や子供との学習についても書籍のような形態で書いてみたいとは思っている。
 そういうわけで、さすがに4人も子供を高校に通わせると、現代の高校の問題の一端は見えてくる。今回の動向に関連する部分についていえば、公立高校は事実上大学進学指導ができてない。そして私立校についていえば、進学校とそれ以外ではまったく異なる情景がある。その話は別途書きたいとも思うが、概ね、GMARCHをターゲットに進学を狙う高校と日東駒専をターゲットに進学を狙う高校、そして就職技能校を斡旋する高校に分かれるかと思う。言い方はよくないが、それぞれで納入品質の管理が行われている。
 今回の動向だが、私は東洋経済の「都立高にも個別指導塾、まずは中堅2校に導入へ」という記事で知った。一つのソースではおぼつかないし、該当記事は間接的な内容で直接参照がないので、他のニュースを当たってみた。が、いわゆるニュース・ソースではこの話題は見つからなかった。人々の関心をひかない話題なのかもしれない。そうしてソース確認を探していると、意外というほどでもないが株価のニュースで見かけた。11日にTOMASの親会社のリソー教育が、東京都教育委員会から進学アシスト校事業にかかる業務を受託すると発表というネタで株価が反発していたのだ。
 そのあたりから直接ソースはないかとTOMASと東京都教育委員会のホームページを見たがやはりわからなかった。どこかに掲載されているのだろうか。他方、株価情報との関連だから、リソー教育のサイトを見たら「当社子会社の株式会社スクールTOMASと東京都教育委員会との業務委託契約締結に関するお知らせ」が見つかった。

1.業務委託契約締結の背景と目的
 昨今、高大接続改革やグローバル化など学校を取り巻く環境が複雑化・多様化する中、東京都教育委員会は「都立高校改革推進計画」を基に、東京都立高等学校における教育内容の充実や教育環境整備を進めており、当社子会社である株式会社スクールTOMASと「進学アシスト校」事業に係る業務を受託することとなりました。
 具体的には東京都教育委員会が指定する東京都立高等学校の生徒を対象として、大学進学に向けた学力伸長ならびに進学実績の向上を図ることを目的としてスクールTOMASを導入し、大学受験のための学習指導をおこないます。

 これでニュースの裏は取れた。
 このニュースの意味だが、公立校には進学指導の限界が来ているということだ。露骨に言うと、大半の公立高校ではGMARCH以上の進学指導はできない。このため、東京都としては、「進学指導特別推進校及び進学指導推進校」をすでに推進し、これらの一部の高校では進学指導ができるように対応はしている。
 これにまつわるいろいろな問題があるが、背景にあるのは、都立高の定員割れからわかるように、公立校離れが進行していることだ。これも露骨に言うのだが、公立校に進学したら、難関大学へ進学は相対的に難しいという現実がある。中位層ではGMARCHも難しいかもしれない。他方、就職技能への進学という点では、斡旋の弱い公立校に魅力はない。さらに、今後一層私学の助成が進めば、公立校が安価というメリットもなくなる。なんらかの対応をしなければ、公立校そのものが大規模に淘汰されてしまうかもしれない。それも一つの政策としてはありうるかもしれないが。
 今回公立高校に民間の塾のノウハウを導入する「努力」は、公立校のあり方としては、別の問題を産みやすい。二極化である。有名校進学の指導が強化されれば、相対的にその以外に影響が出る。成績の中間層からそれ以下の高校への対処は薄くなる。そこまた私学が掬う構造にもなっている。しかも、私学は中高一貫が多く、結局のところ、小学校時代ずばぬけて優れた子供なければ、私学の中高一貫校に入れたほうが、大学進学の可能性が広がることになるからだ。
 これがさらに悪循環となるのは当然だろう。全般的な傾向としてだが、成績が中位以上の小学生が私立中学に移っていけば、それ以下が公立中学に残されることになる。
 こうして見てもわかるが、この面において、格差が拡大される仕組みは、公的に対応できそうにもない。あるいは、今回のニュースは、その対応かもしれない。民間塾の導入はこの中位層に入るからだ。中位層の私学に大半の公立校が追いつくための政策かもしれない。
 以上の問題は、外観から見た制度的な部分だが、この他に、実際に各高校で行われている授業レベルの実態は、個人的には呆然とするものがある。これは何か機会があれば。

 

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2019.04.20

「緑の募金」はやめてもいいんじゃないのか?

 ぼんやりとニュースを見ていたら、閣僚が緑の羽根を付けていた。それがなんであるかは知っている。「緑の募金」である。そして、ふと思ったのだが、「緑の募金」はもうやめてもいいんじゃないか。ということで、「緑の募金」をやめろ、とかいう過激な主張がしたいわけではない。考えてみたら、これってもう時代的な役割を終えているんじゃないかと、なんとなく思ったのだった。
 というわけで、以下、そのなんとなく思ったことを書く程度なので、読む人がいるなら、ゆる〜く受け止めてほしい。

これってスギ花粉症の原因の杉の植林運動だったんじゃないの

 恥ずかしい話だが、「緑の募金」という名前になっていることにさほど注意していなかった。私は「緑の羽根募金」と区別がついてなかったのである。ところが、1995年(平成7年)に「緑の羽根募金」から「緑の募金」と改名されていた。該当団体では、こう説明していた。

昭和25年以来「緑の羽根募金」運動を進めてきましたが、平成7年に戦後50年を契機として「緑の募金法」が制定され、「緑の募金」を通じたボランティアによる森林づくりが国内はもとより地球規模で進められきました。

 改名の理由は、戦後50年を契機として緑の募金法が制定されたことらしいが、法を読んでみると、「緑の募金の健全な発展を図るために必要な措置を定めること」ということで、一種の同義反復的な内容になっていた。
 運動としては基本的に、昭和25年にできた「緑の羽根募金」を継承していると理解していいのでは、というか、違いは明記されていなかった。
 そこで、昭和25年(1950年)の緑の羽根募金なのだが、これは戦争で国土が荒廃しているので(戦争で過剰に切り出した)、植林ということだが、現実的には、同年の造林臨時措置法と調和し、戦後復興のための材木のために杉材を植えまくったということだと思う。そもそも、昭和25年というは、日本がまだ独立を果たしていない。
 材木のための杉の植林であれば、40年で成木になる。が、その40年間で木材は輸入が安くなり、国産の杉成木の需要はおそらく1980年代にはなくなり、その後、杉は放置されたようだ。面白いことに、と言っていいのか、杉は天然更新しにくい。杉というのは、実は日本の風土にそれほどあっていない。一種の緑の緑による自然破壊といった趣がある。
 かくして、手入れされない杉が大量の花粉を撒き散らす。あと、よくわからないのだが、需要もないのに杉の植林は継続されているようだ。二酸化炭素削減の緑の数値達成のためだろうか。
 いずれにせよ、1980年代のどこかで、植林事業は大きな見直しをすべきだっただろう。それにしたがって「緑の羽根募金」のミッションが変更されるべきだっただろう。

「緑の羽根募金」のミッションがよくわからない

 当初のミッションは、復興のための材木供給だったのだが、その後のミッションがわからない。該当のホームページには、こうある。

森林は人が生きるかんきょうを守るためにさまざまな役割を果たしています。なかでも、定量的な評価が可能 な「地球環境保全」「水源かん養」「土壌保全・土砂災害防止」「保健・レクリエーション機能」の4つの機 能だけでも、年間約70兆円の経済効果が見込まれます。(日本学術会議の試算)

 「かんきょう」がひらがななのはまるでわからない。が、その他の森林の役割はわかるとして、「緑の募金」のミッションは、やはりわからない。そして、ミッションが明確ではない組織は評価ができない。
 実際になにをやっているかについては、事業報告書があるのだが、あまりに多様でミッションが読み取れない。
 私が勘違いしていると思うのだが、収支が私にはよくわからない。平成29年の交付の総額は242,755,000円で、他方「全国の募金額(中央募金・地方募金)の推移」で同年を見ると21億円とある。
 どっかで簡素な収支報告書がネットで公開されているんだろうか。

行政との関係がわからない

 「緑の募金」は独立行政法人で直接的な国の行政機関ではない。そのせいか国の緑化政策との関連がわからない。地方の緑化政策との整合もわからない。以下のようにあるが、そのお金がどう回っていくのかもよくわからない。

緑の募金は、地元に募金することもできます。
地元に直接募金をお考えの方は、各都道府県緑化推進機構へお問い合わせください。

 緑の募金法(緑の募金による森林整備等の推進に関する法律)を見ると、都道府県緑化推進委員会の規定があるが、「認められるものを、その申出により、当該都道府県に一を限って、同条に規定する業務を行う者として指定することができる」とあって、基本的に地方行政とは分離されている。そして、この法は、実質、都道府県緑化推進委員会の規定といってよいようだ。緑の募金の実態は、都道府県緑化推進委員会なのだろうが、これってどういう経緯でそれぞれの地方でできたのだろうか? なんとなく思うくらいなのだが、これは一種の非公式な収税装置なんじゃないだろうか。
 あと、そもそも話だが、21億円程度の予算規模を国内や海外にばらまく意味がよくわからない。国の森林整備事業予算だけで、130億円あり、そうした整合もわからない。

これは教育組織なんだろうか?

 つまるところ、緑の募金というは、緑化政策を推進する教育組織なんだろうか。組織の目的の2番目ともいえるところに教育がある。具体的には、こういうこともある。

森の教室活動の一環として、「森の教室・どんぐりくんと森の仲間たち」というプログラムを行っています。 これは、幼稚園・保育園を通じて園児と一緒に、未来へつなぐ「どんぐりの苗木」を育て、育った苗木を植樹 していくという活動で、園児たちが森林との関わりを持ち関心を持ってもらう場として、とても役に立ってい ます。

 単純な話、ブナ科の木をどこに植えるのだろうか? 

 

 とまあ、わかりもしないことをくだくだ書いてみたが、「緑の募金」がわかりづらいということは確かではないのか。そもそも、何をミッションにしてどう評価されているかが、よくわからない。財団法人・スギ花粉削減協会みたいなもののほうが、社会にとって有益なんじゃないか。

 

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2019.04.19

社会人向け教養コンテンツとか

 少なからぬ人が思うことだろうが、大学を出て数年してから、学生時代を振り返って、ああ、もっときちんと勉強しとけよかったなと悔やむ。いや、遠回しに若い人に説教したいわけじゃない。説教なんかしなくても、現在の大学生も5年や10年もしたら、自然にそう思うに違いないから。
 しかし故人曰く、後悔役立たず(つっこみ禁止)。たいていはそのまま大学生には戻れないのだから、社会人になってから自分でまた勉強しようということになる。で、普通は、本でも読む。だが本というのは、ちょっと誘惑が多い。ちょっと楽しすぎてしまい、微妙に勉強にならない。楽しいほうが勉強になるというのもあるかもしれないが。
 それで、なんか効率のいい勉強の機会はないかと考える。ついネットを見る。そうだよ。ネットが勉強の道具にならないわけないじゃないか。受験生時代を思い出せばステディサプリとかけっこう便利だったじゃないかというか、これ、大人にも便利です。ほかに、NHKでも高校生レベルの学習教材はいろいろある。これも大人が見てもけっこう勉強になる。
 しかしもうちょっと。たとえば、税制の基本とか、国際事件に即した国際法とか、微妙に大人の教養的なものをサクッと学びたいものだ。と前フリが長くなったが、私もそう思うのだ。なんか、簡素に学べるコンテンツはないのかと。
 それで先日、10mTVというものを知った。釣り曰く、「有識者に1話10分のオンライン講義」。それよさげだ。講義内容は動画だけでなくテキストでも読めるというのもいいなと。で、試してみた。
 ええと。ここで私はこのサービスをくさす気は毛頭ない。が、ちょっとがっかりしてやめたのだった。別の言い方をすると、以下の期待を満たしてくれたら、また利用してみたいと思う。なので、以下欠点をあげつらう趣向ではない。
 最初に、こりゃどうなんだろと思ったのは、1話10分に偽りはないのだが、実際には、一つのテーマが例えば6話くらいになっている。ようするに、1時間の講義をぶつぶつと10分で切り分けたというわけ。もちろん、切り分けに対する工夫はしてある。『ブラッククローバー』風のあれだ。「人間は、魔神に滅ぼされるかに見えた それを救ったのは……前回のお話は」と、これのお陰でブラッククローバーは正味15分くらいでさくっと見られる……じゃない、続けて見なくても、前回とのつながりに違和感はない。10mTVも、そこは工夫してある。それに講義は書き起こしもついている。
 その上でどうかというと、けっきょく1時間くらい続けて話を聞かないと、よくわからない。知識がきちんとモジュール化されていない。知識がモジュール化されているなら、それぞれにモジュールの関連もマップされてるといい。参考書みたいに。そして結局のところ、書き起こしの文章を読んだほうがてっとり早い。本読むのと同じじゃないか。
 それでも、10mTVでは、1時間くらいの話が面白いこともある。が、それだと放送大学と似た感じがする。
 ちなみに放送大学なのだが、まさに大学の講義なんで、知識がきちんとモジュール化されて整理されていて学びがいはある。やや重たい。その点では、NHKの「100分 de 名著」が実質、15分のモジュールでわかりやすい。
 やや本格的な大学の授業コンテンツなら、MOOCがいろいろある。JMOOCにもある東大の大規模公開オンライン講座もある。こうした試みはすばらしい。が、やはり重たい。
 話を少し拡張すると、ようするに10分から15分くらいでさくっと教養の基本を学べるというコンテンツがあるといい。
 それなら、YouTubeにもあるかということだが、こちらはこちらで一種のカオスのような感じがする。たぶん、YouTubeはインフラなので、使いかたさえ工夫すればいいのだろう。
 あと、ふつうにTEDでいいんじゃねというのもあるかも。
 ちょっと視点を変える。こんなことを思うのは、社会人になっても学びたいというニーズもあるのだが、ネットが興隆してから、知識へのアクセスが逆にめんどくさくなったという思いもある。どういうことかというと、何かを知りたいというと、つい、「ぐぐる」わけだが、ぐぐると簡単に言えば、ゴミ情報しか出てこない。お前の書いているこのブログもゴミだぞと言われればごもっともなんだが、それにしても、検索から知識になかなか到達できない。その上、到達した知識がたいてい何らかの色がついているというか、視点が歪んでいる。具体的に、消費税について考えたいというとき、「消費税」でぐぐるとWikipediaがトップに出て概ね無難な話が出てくるのだが、今後の日本の消費税をどう考えるかという手助けの知識にはらない。なんとかその材料となる情報をネットから得ようとすると、混乱してしまう。というか概ね、消費税反対の意見に誘導される。ネットの情報は、ジャーナリズムの真似事で政府批判が多いからだ。なんだかんだいって、ブロガーというのは、劣化したジャーナリズムになっている。
 さて、この話にオチはない。
 それじゃあんまりなので、多少なり有益な情報と思われることを少し列挙。

  • TEDは有能
  • 無料で使えるNHKの学習コンテンツはけっこう多い
  • 有料だがNHKアーカイブには質の高い教養コンテンツが多い
  • YouTubeは玉石混交(スタディサプリとかよい)
  • 放送大学はradikoで聞ける講座もある。YouTubeサイトもある
  • MOOCをきちんと検討してもいい

 

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2019.04.18

トロッコ問題の大喜利化と倫理のAI化と大喜利的提案

 衆知というものも痴呆症の傾向があるのか、毎年ということでもないが、一定の周期で、トロッコ問題が大喜利化する。これはどういうことなんだろうかと考え、その先にけっこう悲観的な未来を思い描き、うっくつした心理の解消に大喜利みたいなことを私も考えてみた。
 まず、トロッコ問題とはという話を簡単に説明しておくと、これは、思考実験の一つである。思考実験というのは、現実には存在しないが、仮に存在するとしたらどうか考える、というものだ。そして、その大喜利化の基本原則は、思考実験をしない、あるいは、思考実験をくさして笑いを誘うということだ。
 トロッコ問題の基本形はこうだ。暴走するトロッコの軌道上に5人の作業員がいて、そのまま放っておけば5人はトロッコに轢き殺される。が、あなたはその軌道上の分岐器を操作できる。そしてトロッコを他の軌道に切り替えられる。が、そちらの軌道上には、もう1人の作業員がいて、切り替えるとこの作業員を殺すことになる。どうしたらいいか? 
 大喜利にするまでもなく、おそらく普通の日本人的な考えでは、分岐器の操作をしたくない、ということだろう。そんな責任を持たなければ、5人が死のうが自然災害と同じようなものだ、と。
 言う前もなく、これは大喜利なんで、この問題のポイントからずれている。トロッコ問題の要点は、「1人を殺せば、多数が救われるとき、その1人を殺してよいか?」という問題である。
 この簡素な提言が、「日本人」という歴史経験の共有者にある嫌悪を投げかけるのは、米国の原爆肯定化の議論がこれをなぞっているからだ。いわく、太平洋戦争で米国兵士の犠牲を減らすためには、さらにいえば、日本でも戦闘による日本人の被害者を減らすには、戦争を早期に終わらせるために、原爆で一定数の人々を殺すことが正当化される、というものだ。
 この問題もすぐに大喜利を誘うが、ごく単純な点の批判が可能だ。原爆は非戦闘員の大量虐殺を招くわけで、実際、第二次世界大戦後の世界では、原爆(及び水爆)は、非倫理的な兵器であるとして、規制が方向付けられた。地雷の禁止などもこの方向で禁止された。が、核兵器については、戦術的な意味合いもあり禁止が難しい。
 ここでいくつかわかることがある。その一つは、トロッコ問題に対する大喜利も思考実験としてみるなら、それが意味することは、私たちは、他者の生死に関わる倫理的な責任を回避したい存在なのだということだ。ごく簡単にいえば、私たちは、倫理的なヘタレであることが自然状態だと言える。
 この倫理的なヘタレが何に帰結するかというと、倫理的な責任者に倫理を委ねることだ。この丸投げ先は、すでに現実的になっているが、2つある。①大統領(国民未来の最終的な決定者)、②AIである。
 オバマ米国大統領は、この丸投げを多く受けた。ドローン兵器による殺傷の最終的な認可である。ドローン兵器の操作者は、最終的に人を殺傷する権限を持たない。なので、手続き上は大統領の認可を得る。
 すると問題は、殺傷認可の手続きの問題となり、トロッコ問題が現れる。が、すでにこの問題は、殺傷認可手続きの正当化になる。
 すでに予想されるように、その殺傷の正当化の手順はしだいに形式化される。ある一定の条件下なら殺傷してよいという判断がほぼ自動的に導かれるようになる。つまり、AI化できる。司法・裁判そのものがAI化できるという大風呂敷にもできるが、そこはここでは控えよう。
 こうして見ると、現在問われている「 完全自律型のAI兵器」は、原理的にはすでに出現していることがわかるだろう。
 そしてこれは、 完全自律型のAI兵器だけではなく、自動運転車にも当てはまることは理解できるだろう。しかも、自動運転車は、トロッコ問題を考えるまでもなく、瞬時に、1人を殺すだろう。
 さて、大喜利化を否定するような記事を書きながら、実際には大喜利化に近いようなオチを私は提示しようと思う。
 それは、未来において自動運転車に乗る人はトロッコ問題的状況になるとき、自殺が誘導されるよう契約に署名しておくことだ。あるいは、その署名をカードにして持ち歩き、それなくしてもは自動運転車に乗れないとする。
 トロッコ問題的な大喜利化で例えるなら、デブなあなたなら、暴走するトロッコの前に立って轢かれることで、5人も1人も救えるのである。

 

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2019.04.17

杉並区保育士事件と事件の感覚

 事件は3月26日の昼過ぎだったようだ。東京都杉並区下井草三のアパート二階の部屋で32歳の保育士が殺害された。犯人はベランダ窓ガラスのロック部分だけ操作できるよう巧妙に穴を開け、ロックを外し侵入した。専用の道具を使ったと考えられる。侵入経路は屋根からであった。と、こうした状況を当初ニュースで聞いたとき、私はその侵入手口の巧妙さからプロ犯罪だろうとまず思った。
 が、すぐにそんなはずもないと思い直した。プロなら仕事でやっている。相応の金銭の獲得が予想されないといけないし、殺人は割に合わない。とすれば、痴情による犯罪であり、被害者と面識あるものかもしれないとも連想した。
 犯行の様子だけを追うと金銭が狙われたふうはない。被害者はコートを着たまま倒れていて、背中の左側に柄が取れた刃物が刺っていたという。首には圧迫痕があり、激しく抵抗した痕跡もあったという。こうした知識は当時のニュースを振り返って書いているのだが、当初、刃物について、それはどこから来たものか疑問に思っていた。その出所について当時の報道にあっただろうか。いずれにせよ、プロの犯罪ではない。
 そしてふと思った。即刻、被害者についてのプライバシー報道はやめろ、と。
 だが、私は特にブログにそのことを書くこともしなかった。私はそのころブログを書く気力を失っていた。というか、自分が見た平成時代の本のようなものを書いていてそちらに書く気力が移っていたせいもある。
 そして時が流れ、この事件のニュースも途絶えた。そして、私はかすかだが、どうにも居心地が悪い。その居心地の悪さは、ブロガーとしての居心地の悪さもある。というか、このある微妙な居心地の悪さのようなものを表明するために、ブログを書いてきたのではないか。それが私というブロガーではなかったのか。それが無意識に積み重なってくる。やはり、少し書こう。
 容疑者はほどなく浮かび上がった。被害者の同僚、松岡佑輔、31歳。職場から彼の様子がおかしいと通報があったとのことだが、おそらく捜査段階で職場への連絡があり、その雰囲気のなかで「おかしい」とされたのだろう。容疑者は事件現場の血痕のDNAが一致した。首に争ったであろう傷もあった。そうした心証からは彼が犯人だろうとは思ったが、その先に別の違和感が現れた。
 容疑者は、悪ぶれたふうもなく報道陣に顔を晒し、「私は刺していません」と言っているとのことだ。身が潔白なら当然だろうし、殺意はなかったのかもしれない。そこに違和感はさしてない。違和感の根は、その顔と名前だった。何かがおかしい。
 何がおかしいのか自問した。まず、その顔が、犯人だろうとなんとなく思っていた顔ではなかった。なんかこう世間を恨んでいるような鬱屈としたオーラのようなものを期待していた自分がいた。これは自分に潜むなんかの差別意識だろうか。あるいは犯罪を憎むがゆえに悪もそれ相応の相貌であってほしかったか。それが差別意識ってやつだな。
 名前のほうの違和感は単純だった。松岡洋右に似ているからだ。そして、ふとしたいたずら気分で、「佑輔」という名前でネットを画像検索してみると、即座にいかにも「佑輔」という感じの30代前半の男性の写真が並んだ。そして、この事件の容疑者の顔をそこに加えても違和感がないだろうと思えた。
 「祐輔」って30年前、昭和の終わり頃の流行り名だっただろうか。少しあたってみると、1984年の流行の名前に大輔と祐介があり、祐輔も似たように思えた。どちらかというと、祐輔という名前はそれほど軽薄な名前でもないので、容疑者の家庭環境も悪くはなかったのではないか……と、容疑者への関心がわく。どうせネット民のことだから、ネットから見える部分は根掘り葉掘り調べてあるだろうと覗き込むと、ほぼ情報はない。報道では、彼は神奈川県横須賀市の出身で、地元の高校を卒業後、県内の鶴見大学短期大学部の保育科に進学したとのこと。四年制大学ではなかった。成人後すぐ保育分野での職を求めていたのだろうか。そこからは、ごくふつうの青年が想像される。
 容疑者が出てみると、事件は痴情事件のようにも思われるので、容疑者との関係はどうであったかという関心が、自分でも矛盾しているが、抑えがたい。最低限だけの報道をちら見すると、職場でめだった関係はなかったようだ。事件は容疑者の痴情の妄想が膨れたものだろうか。
 ここまで書いてみて、当初の違和感のようなものは解消されたかと自問してみる。ノー。
 自分がなにかに騙されているような奇妙な感じが残っている。なぜだろうか? 報道された事件の物語と、この事件の本質が異なるからではないか。
 この事件の本質は何か? 
 市民が自宅にくつろいでいても外部から不審者が侵入して殺害されることがあるということだろう。しかも、その侵入はドラマのような手口ではあるが、困難なものではない。そして、そういう犯行を行う者が、犯罪のプロでもない。
 普通の人でも怒りにかられて暴力や殺害に及ぶということはあるが、路上や職場といった人が集まる場所であり、無防備でもあるので、防ぎようはない。だが、普通の自宅が強襲された。以前は、そんなことは、その筋のプロではないとできない、とされてきた。それが、この事件で崩れた。
 少なからぬ市民はそうした状況のなかで暮らしているが、防御しようもない。であれば、こうした不吉なニュースは痴情のもつれとして忘れるというのも、それはそれで健全な精神なのかもしれない。
 私はそう思えないのだが。

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2019.04.16

日本の社会はどうあるべきか? サービス給付社会へ

 日本の社会はどうあるべきか? その一番重要な指針をどのように考えるか? ということで、先日漫然と見ていたNHK視点・論点の神野直彦・日本社会事業大学学長の『社会保険国家から社会サービス国家へ』が示唆的だった。その主張はある意味、単純である。

 結論めいたことを、初めに申し上げておきますと、平成の社会保障の改革課題は、「社会保険国家から社会サービス国家へ」というフレーズで表現できると思います。
 つまり、社会保険という年金などの現金給付を、中心とする工業社会の社会保障から、育児や高齢者福祉などのサービス給付に、重点をおくポスト工業社会の社会保障へと転換させることが、平成の改革課題になっていたのです。

 私は、国家というものは可能な限り、小さくしたほうがよいと考えるリバタリアンなので、「社会サービス国家」という考えとまったく逆の立場である。が、私自身についていえば、ことさらにリバタリアンであることにこだわることはないだろうとも考えている。たとえば、リバタリアンからすれば、国家が経済に介入してくる金融政策などもってほかというべきだが、マクロ経済学が示すように、国家はマイルドなインフレ状態であることが好ましい。特に日本のような少子高齢社会の場合、お金を貯め込む高齢層が結果的に優遇されてしまう国家は好ましいとは思えない。つまり、リバタリアンといえども、現実世界への補正的な思想は許容すべきではないかと私は考えるので、どうやら温いリバタリアンということになる。さらに考え直して、リバタリアンでなくてもよいということでも、よいかもしれない。
 さて、神野氏の議論は、平成史についての見取り図としては、上手に大局を捉えているだろう。

 平成の時代はバブルの崩壊で幕が開き、その後の長期的経済停滞に苦しんだ時代でした。
 こうした経済状況のもとで行われた平成の社会保障改革は、工業社会の行き詰まりを反映したバブル崩壊と長期的停滞、それに人口の高齢化という二つの条件のもとで、年金にしろ医療保険にしろ、社会保険を持続可能にする改革だったといえると思います。
 これに介護保険の導入が加わり、平成という時代に社会保障を、年金や医療などの社会保険に依存する、「社会保険国家」が成熟したといってよいと思います。

 つまり、平成史というのは、日本という国家を社会保険国家に変えるプロセスだったというのだ。
 氏はさらに、社会保険国家から社会サービス国家への移行を提示している。同じ文脈で言うなら、令和時代の課題とも言えるだろう。この議論を支援するために、氏はOECD資料から作成した2007年の『社会保障の国際比較』を示し、こう述べている。

Fs01

 この図をみれば、ヨーロッパの先進諸国の社会保障は、年金と医療と「それ以外」が、三本柱になっています。
 これに対して、日本の社会保障は年金と医療については先進諸国と比べて見劣りがしないものの、「それ以外」が存在しないといってもよいほど、小さいことがわかると思います。
 この「それ以外」に分類されている社会保障で重要なものは、育児や高齢者福祉などのサービス給付であり、それに「その他」に含まれている積極的労働市場政策 、つまり職業訓練や再教育のための政策が加わります。

 実際の図を見ると、まず、米国が議論に当てはまらないこと、また英国は基本的に日本と変わらないことが見てとれる。他方、独仏はなるほど日本と異なることはわかる。スウェーデンについては、国家規模や税制が異なるのであまり比較対象にはならないだろう。
 図を見ての疑問は、「社会サービス国家」とされている社会サービスの実態が読み取れないことだ。いちおうこう説明されてはいるが。

 この「それ以外」に分類されている社会保障で重要なものは、育児や高齢者福祉などのサービス給付であり、それに「その他」に含まれている積極的労働市場政策 、つまり職業訓練や再教育のための政策が加わります。

 ところが、同種の統計を見ると、そうとも言い難い。例えば、厚労省下『上手な医療のかかり方を広めるための懇談会』の資料『社会保障制度等の国際比較について』で見ると、先の大枠では神野氏の指摘に沿っているが、それほどの差異は見られない。

Fs02

 総じて見れば、おそらく、日本がとりわけ社会サービスの点で先進国に遅れを取っているとも言えないようだ。
 とはいえ、福祉国家から社会サービス国家への移行は、実質的に日本人が求めるところであるのも確かだろう。あらためて神野氏の議論を追ってみる。

 そうなると、家族内の無償労働で担われていた育児や高齢者ケアという対人サービスを、社会保障として提供する必要が生じてきます。
 というのも、対人サービスをサービス給付として提供しないと、ポスト工業社会の労働市場では、二つの参加形態が生じてしまうからです。
 一つは家族内で無償労働に従事しながら、労働市場に参加するタイプです。主として女性がこのタイプとなります。
 もう一つは無償労働から解放されて、労働市場に参加するタイプです。主として男性がこのタイプとなります。
 このように労働市場への二つのタイプの参加形態が形成されますと、パートとフルタイム、正規と非正規とに労働市場が二極化してしまいます。

 事態は逆なのかもしれない。
 正規と非正規とに労働市場が二極化した理由は、日本が平成時代に入り、ポスト工業社会に移行してきたのに、労働市場で対人サービスをサービス給付として提供してこなかったからではないだろうか。
 もしそうなら、正規雇用と非正規雇用の差異の解消は、非正規雇用から正規雇用への転換を促すことに合わせて、対人サービスをサービス給付にすることも求められるだろう。現状ではそれが育児に特化されているようだが、今後は育児以外に家事の各分野という家庭内への、公によるサービス給付も必要になるだろう。
 それはどのように実現可能だろうか?
 なんとなく、イメージとして浮かぶのは、コンビニの事業の家事サービスへの拡大である。そして、令和の時代をとおしてコンビニは実質公共機関になるのではないか。

 

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2019.04.15

公立福生病院での人工透析治療中止「問題」が考えさせること

 公立福生病院での人工透析治療中止「問題」について、報道問題以外の部分でも、気になる問題があった。①個別の問題と②制度上の問題、③尊厳死の問題、そして④もう一つの関連した問題である。

①個別の問題
 当初、毎日新聞などの報道が捉えていたのは、個別問題であった。これは法的な問題であり、犯罪であったかどうかという問題と言い換えてもいいだろう。この点については、単純に警察の動きもなさそうなので、なかったと言ってもよさそうだ。

②制度上の問題
 制度上の問題はどうか? 個別の問題との関連部分でいえば、東京都の指導が入った点では問題があったと言える。具体的には、正確な患者の記録が残されていないという問題である。これをより制度側に引きつけるなら、記録を残すという制度が維持されていれば良かった問題だったかということになる。別の言い方をすれば、制度上の問題はそれだけだったのか?
 記録が残されていないということについては、よって経緯が不明、ということになるかというと、報道を通して見るかぎり、病院側の経緯は調査でかなり明確になっている。実際のところ、密室の事態ではなく、複数の人間が入っており、法的な文書上の問題もない。その意味では、今回の事例で記録が残されていないのは問題だが、それは調査で補えたとしてもよいのではないか。
 その上で、これをどう考えるかなのだが、NHK『時論公論』「透析治療中止が問いかけること」では、「患者が意思を決めるまでのプロセスはどうだったのか。病院は何度も意思を確認したとしていますが、今回の都の検査では、明らかになりませんでした」としていた。が、そうまで言えるのかはよくわからない。また、「東京都とは別に、日本透析医学会が病院の調査を続けているので、専門家の目でその点を明らかにしてほしいと思います」としていたが、これは、現在の制度の改変提言となるのではないか。
 さて、ここからさらに制度の問題だが、『時論公論』での議論が示唆的だった。

人工透析を行う全国の施設を対象に、2016年から2017年にかけて学会の岡田一義医師が行なった調査では、透析の中止や見合わせの経験があるとした施設が全体の半数近くにのぼっていました。そのうち、およそ4分の1の事例で、患者の意思を尊重するとする学会の提言に準拠していなかったとしています。がんの末期で十分話し合いができなかった、認知症で本人の意思が確認できなかったなど、やむを得ない事例が多いのですが、医師が提言を知らなかった、参考にしなかったといったケースもあったということです。
患者や家族と話し合いを繰り返し、その都度、内容を文書に残す。医療機関にとっては手間がかかることかもしれませんが、患者の命に関わる問題です。慎重で丁寧に対応することが必要だと思います。

 これは私が単にこの分野に無知だったのだが、率直にいえば、驚きだった。「およそ4分の1の事例で、患者の意思」が尊重されていない、とするなら、今回の公立福生病院での事例は、特殊な事例だという問題より、潜在的な問題が顕在化した事例だったことになる。その上、そもそもこの制度に事実上の欠陥があると言ってもよいだろう。

④尊厳死の問題
 この先にうっすらと尊厳死の問題の構図が見えるように思える。『時論公論』では、透析を継続するかやめるかということについて、こう結語で述べている。

将来そうした事態に直面するかもしれない誰もが、患者の意思をどう尊重するのか考えていかなければいけない。そうしたメッセージを私たちに突きつけているように思います。

 曖昧にされているのは、すべての場合とは言えないからだろう。が、透析を継続するかやめるかというとき、やめるという選択は、事実上の尊厳死が意味されることがあるのではないだろうか。
 この問題についてどう考えるべきか、というところで、「第57回日本透析医学会 学会委員会企画 コンセンサスカンファレンス」で示された『人工透析中止と尊厳死』の議論を読む。この問題が、仮称『終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法律案』に関連した議論となっていることがわかる。
 この問題は別途、尊厳死の文脈で考える必要があるだろうが、現実の現場では、その間、複雑な事情を抱え込むことにはなるのだろう。
 今回の事例の文脈でいえば、尊厳死の問題はないとする意見もあるだろう。例えば、ダイヤモンド・オンラインに掲載された『透析患者の僕だから言える「透析中止事件」の罪』の記事では、「今回の女性患者はまだ44歳だ。透析さえすれば、普通に生きていける」ということを前提にしていた。
 この前提の理解は、専門ではない私には判断しがたい。今回の事例に即してみると、福生病院に8月9日に移るまで別のクリニックで人工透析を受けていたが、血液の出入り口となるシャントが詰まり、高度な医療が必要となり、福生病院に移った。ここで、首の周辺で管を通す手術が提案され、透析中止を決断したという経緯がある。
 いずれにせよ、透析中止と尊厳死の関連は、こうした技術的な背景もあり、尊厳死の一般論でも議論しつくせない。

④もう一つの関連した問題
 これは端的にいえば、腎移植が先進国では日本が少ないことだ。だいたい、米国の五分の一程度らしい。この問題は、やや奇妙な形で、漫画『ブラックジャックによろしく』でも扱われて印象深い。
 腎移植が少ないことは、人工透析への依存は増えるだろう。
 人工透析と腎移植のあり方については、日本社会の課題になっている。これに対して、どのような政策が提言されたらよいのか、やはり専門的な問題が残されているようだ。

 

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2019.04.14

公立福生病院での人工透析治療中止「問題」の報道問題

 昨年8月、東京都福生市の公立福生病院で、当時44歳の腎臓病の女性が人工透析治療をやめたことで死亡した。この「事実」が判明したのは毎日新聞の取材によってであったと毎日新聞は言っている。同紙3月7日付け『医師が「死」の選択肢提示 透析中止、患者死亡 東京の公立病院』より。

 東京都福生市と羽村市、瑞穂町で構成される福生病院組合が運営する「公立福生病院」(松山健院長)で昨年8月、外科医(50)が都内の腎臓病患者の女性(当時44歳)に対して人工透析治療をやめる選択肢を示し、透析治療中止を選んだ女性が1週間後に死亡した。毎日新聞の取材で判明した。病院によると、他に30代と55歳の男性患者が治療を中止し、男性(55)の死亡が確認された。患者の状態が極めて不良の時などに限って治療中止を容認する日本透析医学会のガイドラインから逸脱し、病院を監督する都は6日、医療法に基づき立ち入り検査した。

 記事からわかるように、同記事の前日に東京都が立入検査をしている。この立入検査については、都のホームページで確認できる。が、この検査が毎日新聞の取材を契機にしたものか、逆に毎日新聞が都の検査を契機に記事として発表したのかは、私にはわからない。わかることは、この「事実」・「問題」が毎日新聞の報道を起点としていることである。この点については、同紙3月28日『「アポがないから」 公立福生病院側、毎日新聞の取材は拒否』で「公立福生病院の人工透析治療を巡る問題で28日、病院側が報道各社の取材に応じたが、一連の問題を最初に報道した毎日新聞の取材を拒否した」とあることでも確認できる。
 記事が記事として成立する筋立ては、同日同紙記事『医師から「透析中止」の選択肢 最後まで揺れた女性の胸中 “自己決定”と言えるのか』の表題からわかるように、透析中止が「自己決定」であったのかという点だったようだ。
 が、この「問題」では、実際のところ、なにが問題で何が事実だったのだろうか、私にはわかりにくかった。一つの区切りとなったのは、同病院が東京都の文書指導を受け、4月11日に公式コメントを発表したことだ。そこでは、「指導内容については真摯に受け止め、診療記録における記録の徹底を図る」と言及されているが、報道への違和も表明されている。

この度の指導は、診療記録の不備が認められたという点に関して指摘がなされたものです。「患者への説明が不十分だった」「意思確認が不十分だった」等として指導がなされたと一部報道がございましたが、そのような指摘を受けた事実はございません。実際には、当院における診療や説明、意思決定のプロセスの内容それ自体に関する指摘はございませんでした。当院の医師が積極的に透析の見合わせの選択肢を示した、患者の再開の求めにもかかわらず透析を再開しなかった等との指摘も、当然ながら、ございませんでした。(中略)

当院では、報道で取り上げられた44歳女性の患者のケースを含め、医師が積極的に透析の見合わせの選択肢を示したことはございません。(中略)

東京都の立入調査に際して、当院が、日本透析医学会の提言(維持血液透析の開始と継続に関する意思決定プロセスについての提言)に違反していた事実を認めたとの一部報道や、立入調査の結果、当院の対応が同提言から逸脱していると東京都が把握したとの一部報道もございました。しかしながら、これらの報道はいずれも事実に反するものであり、東京都が本件について同提言に沿った対応であったか否かを判断したという経過はないものと当院では認識しております。

 病院側の発表は終わった。今後の対応はない。都側の指導もすでに終わっている。
 それでは、病院側の発表に含まれている、報道の問題はどう終わるのだろうか。例えば、「これらの報道はいずれも事実に反する」という点はどういう扱いになるのか?
 少なくとも、この件についての毎日新聞の報道もまた、問われる状態となった。が、その後数日後、ジャーナリストやマスメディアの反応でめぼしいものは見られない。このまま、この問題は立ち消えていきそうなので、ブログに残しておく。

 

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2019.04.13

上野千鶴子・東京大学名教授の東大入学式祝辞への違和感

 ネットを漫然と見ていると、上野千鶴子・東京大学名教授の東大入学式祝辞の話題が流れてきた。というか、なにか話題らしいという様子が伺われた。すでに喧々諤々といった雰囲気も感じられた。こういうときは、原文を読んでみるに限る。ということで、該当の祝辞を読んでみた。
 読んでみて思ったことは、論点としては私の関心を引く部分はなかった。ということが、まず最初の違和感だった。なんでこんな話が話題なのか?という違和感である。上野千鶴子さんらが言いそうなことが書いてあっただけに思えた。
 一点、これは違うなということもあった。
 そういうわけで、自分の関心事ではないので、それはそういうものかというふうに過ごしていたのだが、しばらくすると違和感は大きくなっていった。そしてその違和感はネットで共有される視点とも違うように思えたので、ブログのネタに書いてみる。

「これ東大生の印象と違うなあ」ということ

 上野千鶴子さんの祝辞に、東大生への言及があったが、それは自分が見てきた東大生の印象とけっこう違うなと思った。ただ、この点については、最近の若い東大生と直接的な対話はないので、私が時代錯誤になっているんじゃないかとも思う。でもまあ、それはそれとして、この違和感を書いてみる。
 上野さんはこうこう言っていた。

他大学との合コン(合同コンパ)で東大の男子学生はもてます。東大の女子学生からはこんな話を聞きました。「キミ、どこの大学?」と訊かれたら、「東京、の、大学...」と答えるのだそうです。なぜかといえば「東大」といえば、退かれるから、だそうです。なぜ男子学生は東大生であることに誇りが持てるのに、女子学生は答えに躊躇するのでしょうか。

 私の高校のときの親友というか仲良しグループが私を含めて4人いて、1人は東大に入った。その仲間内では、東大というのはさほど意識されていなかった。学校や模試の成績に差はあるが、対話していて知的な差がないのは当然だったせいもある。いずれにせよ、そのつながりから、東大の話も聞いた。もう40年も昔になる。その後、30年くらい昔になるが、パソコン通信クラブのようなものをアスキーネットのシグオペつながりで年上のかたと立ち上げたとき集まったメンバーが、20人くらいいただろうか。半分とまではいかないが、8人くらい東大生だった。というのをあとから知り、そこから東大の話も聞いた。
 合コンは当時生まれたかくらいのころで、私などはその経験がない。私が見聞きした範囲では、当時、東大生男子がモテるかというと、モテたと思う。特に他大学の女子にである。が、そのことに東大生はあまり関心もってなかった。「東大生だから」というふうに恋愛関係での関心を持たれてもその先、知的な会話が成り立つわけでもないし、それ以外の部分での関心があっても、東大生であることは関係ないようだった。東大生の女子も似たようなものだった。総じて、東大生は「東大生であることの話題」に疲れていて、どうでもいい感じだった。
 そういえば、1人、東大を中退するメンバーがいて、「ええ、東大やめちゃうの? もったいないんじゃない、学費安いし」といったら、「別に東大に愛着ないですし、苦労して入ったとかじゃないですし」とか言っていた。
 まあ、私の東大生の印象はそんな感じだが、ああ、東大生ってこういうところが東大生なんだ、と思ったのは、学内の人間関係の話題で盛り上がることだった。でもこれは他の大学でも同じなのかもしれない。私の大学は学生数が少なすぎて、逆に交友とかの話題もあまり広がることがない。

「お前が言うな」反応への違和感

 上野さんのご祝辞についてのネットの話題で、「内容はいいのだが、お前が言うな」という批判のようなものをよく見かけた。今回の祝辞とは別に、彼女の、脱成長路線や自身がお嬢様育ちということへの忌避感のようなものだろう。
 これは今回の上野さんのご祝辞に限らないが、ある特定の要素から「お前が言うな」と否定してかかる人が増えたように思う。いや、昔もそうだっただろうか。
 かく言う私も、「お前がいうな」的な批判はよく受ける。ブログなんかに書くな的な批判も受けるのだが、さて、どうしたものか。
 まあしかし、特定の言説が読まれずに、その言説者に「お前が言うな」という批判は今後も増えていくのだろう。
 とはいえ、今回の上野さんの祝辞については、「お前が言うな」とは思わないが、なんで上野さんなんだろうという違和感はもった。
 ごく単純な話、上野千鶴子さんは、70歳なんで、もうそれまでのキャリアとしての主体は公的な関係では引退したほうがいいだろうと思うからだ。これが、別の私立大学でその創立者家系の学長さんのお婆さんが祝辞を述べるというなら、それはそれで、「ああ、偉い爺さん婆さんがなんか言っているな」というのはあるだろう。が、東大は税で維持されている部分が大きいので、もう少し公的なありかたとして、高齢者にもっと第二の人生を歩む指針があってよかっただろう。
 この点について補足するなら、上野千鶴子さんが入学ご祝辞でなにか語るとしても、そしてそれが東大の名誉教授であるとしても、70歳なんだから、いったんそこから離れ、特定の市民団体の関係者として、大学生全般に言えることを語ればよかった。実際にはご祝辞の大半はそうなんで東大生うんぬんがこじつけとも言えないでもないが、スピーチライターに直してもらえばよかったのではないか。つまり、その言説だけを取り出せば、早稲田大学でも構わないような、そういう祝辞を述べるべきだったとは私は思う。

負い目の倫理への違和感

 上野さんの祝辞が素晴らしいという人が、そのどこを素晴らしと感じているかというと、負い目の倫理のようなものではないかと思えて、そこに私は違和感を感じた。ちょっと引用が長いが、次の部分だ。

あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと...たちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。

あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。女性学を生んだのはフェミニズムという女性運動ですが、フェミニズムはけっして女も男のようにふるまいたいとか、弱者が強者になりたいという思想ではありません。フェミニズムは弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想です。

 東大は公費・税金で大きく助成されている大学なので、その公費・税に対する市民社会への倫理のようなものは意識されていいだろうと思う。が、それはそういう負い目のあり方であって、東大に入学できたことの環境へのおかげという不定形な負い目とは異なるものだろう。
 「世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと...たちがいます」というのは事実だが、その人たちへの支援は、東大生なら、公費・税への謝意として、そして公を介して行われるべきものだろう。もっと単純なイメージでいうなら、東大生なら公的な関わりによりコミットし、そのことで公平な社会を実現する努力をし、その結果、「報われない」人を支援することもある、といういわば蓋然性に留まるだろう。
 負い目の倫理というのは、公の正義と私的な関係のなかで生じる。当然、それが上野さんのような負い目の倫理となってもよいだろうし、それを公的に述べてもいいだろうが、それを私たち市民はそのままの形で受け取らなくてもよい。私はむしろそのままの形で受け取らないほうがいいと思う。だから、上野さんのご祝辞には違和感を感じる。
 私は、負い目の倫理は、公の公正と自分のあり方の公正性が基準だと思う。衛宮切嗣が言うように、「すべての人を救うことはできず、誰かを救うためには誰かが犠牲になる状況もある」。そこでの倫理の形はアーチャー的絶望に至る。
 私たちの「負い目の倫理」もまた、公正であるべきだろうと私は思う。
 私が私の正義の信念から公へ怒りをもつなら、私はその怒りに、私がベットできるすべてまでで答えられるのであって、オール・インをしてはいけない。そのつけはいずれ他者に回る。
 では人ができることはその人のATフィールドの延長くらいしかないのかといえば、連帯と友愛がそれを超えるだろう。負い目の倫理が個を拡張するのは友愛だろう。
 であるなら、負い目の倫理は公的に語られる限界があり、そこを超えるには、友愛の倫理を先に語るべきなのだろう。
 上野さんのご祝辞でいうなら、東大生に対して、東大とはそうした友愛の倫理が感得できる場なんです、と、負い目の倫理なく語るほうがよかっただろう。

 

 

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2019.04.12

[書評] ウイルスの意味論――生命の定義を超えた存在(山内一也)

 『ウイルスの意味論』という書名や『生命の定義を超えた存在』という副題からは、1980年代の日本のポストモダニズムの一群の書籍を連想させるが、本書の叙述は至って平易で、それでいて内容は最新のウイルス学までをカバーし、かつ、生命とは何かという難問を踏まえつつも、ウイルス学の基本をきちんとおさえている。中学・高校の教科書、あるいは副読本としてもよいもので、当然、一般人の読書としても有意義で楽しめる。カッパ・ブックスの一冊であってもよかったかもしれないが、いずれにせよ、生物学にとりわけ関心がない人でも、まずもって読んで損のない書籍である。というか、読んだほうがいい。

Virus 
 私はウイルス学が好きで、このブログでも過去にいくつか記事を書いてきた。ゆえに比較的最近の動向を知っているつもりでいたが、それでも抜けは多いものだと、本書を読みながら思う。そして、それは知識が不足していて恥じ入るというより、新しいことが学べる楽しさでもある。特に、本書の場合、生命とはなにか、人間とはなにか、ということについても、斬新な直感が得られる。
 いやもっと単純に、知って驚くというものだ。例えば、まあ、恥ずかしながら、次のことを私は知らなかった。

 南北戦争で死亡した兵士のうち、実に三分の二は感染症によるものだったという。たとえば、北軍では七万六〇〇〇人以上が麻疹にかかり、五〇〇〇人以上が死亡した。

 歴史における疫病の役割にはできるだけ気をつけているのだが、ちょっと迂闊だった。しかも、この事実に次の説明が続く。

 このような大きな被害をもたらした原因は、農村地帯で麻疹に曝される機会の少なかった若者たちが集団生活を行ったためだった。

 これだけでも驚くのだが、さらにこう続く。

 その後、都市化が進み、大人が免疫を持つ者ばかりになると、子供のうちに麻疹にかかる機会が増えて、麻疹は小児病に変身していったのである。

 注を見るにこの事実は1990年代には確立していた。
 ここでちょっと奇妙なことを思う。麻疹がある程度蔓延していると、大人に免疫が形成されその免疫が維持されるが、大人社会から麻疹が駆逐されるとその免疫も失われ、小児病から大人の病気にまた変身するのではないか……。
 ウイルスが次第に危機ではなくなる事例には、エイズがある。「エイズは公衆衛生上の驚異ではなくなるかもしれない」と本書は述べるが、同時にそれは、「HIVを生涯保有するヒトとはますます増えることが予想される」ということである。
 一般的には、病原とされるウイルスは駆逐されるべきだということになるが、人間のみなら生命はウイルスと無縁ではいられない。そもそもの遺伝子の構成がウイルスに深い関わりをもっている。
 本書を読んで、ほーと唸った点を他にも挙げておこう。ネタバレというものではないだろうし。
 これは私が無知だったと思ったのは、海洋生態系についてである。

 一般に、海洋生態系について説明する際には、微細藻類は動物プランクトンに食べられ、動物プランクトンは魚に食べられるという直線関係の食物連鎖のイメージが示される。

 はいはい。一般の私はそう思ってました。違いました。

 しかし、実際にはそのような単純な関係ではなく、最近微細藻類、動物プランクトンなどさまざまな生物が複雑な網目状の「食物網」を構成している。

 解説の図が興味深いが。さらにこれにウイルスが関わる。

 さらに、その中にウイルスが入り込んで、栄養分を生産者レベルに還元するリサイクルシステムがあるものと推定されている。

 どういうことかというと、「ウイルスは、水中の生態系の有機物を配分する際の鍵を握っている」のだ。

 他にも、ヒトヴァイロームの話やウイルス間での独自の情報交換システムの話など、ここでまた新しい科学知識を学べてよかったと思う。新しい科学知識がなければ、古代人と変わらない。そう思える知識が本書にはいろいろとあった。

 

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2019.04.11

就活指針廃止の意味合い

 新元号発表に際して、元号なんか使っている国なんか日本以外にないんだからやめろという意見も見かけた。日本も国際的な慣例にならったほうがいいという基調かもしれないが、そうした点で極めて日本的な制度は、おそらく、就活だろう。

 言うまでもなくというか、大卒者が一斉に就職活動をする、というのはどこの国でも不思議でもないが、企業側が一斉に対応するというのは、おそらく日本以外にはないだろう。少なくとも、先進国で一定の人口を持っている国ではないのではないか。

 先進国の知識労働者のモデルはすでに大卒ではなく大学院卒になっているようにも思われるが、そうまで言えるか確信はない。自分が見渡せる範囲やドラマなどを通して見ると、米国では知識労働者の場合は、就活はインターンシップに結びついている。日本でもそうした傾向が出てきてはいるが、インターンシップがそのまま正規雇用という流れが主流となるまではまだないだろう。

 それと関連して、「新卒」というざっくりとした採用より、欧米や韓国ではかなり個別のポジションでの採用ということが多い。ただ、この点も日本の就労も変わりつつある。

 いずれにせよ、就活という日本文化がこのまま生き残るかというと、ビジネスのグローバル化で維持は難しく、昨年、経団連も、その中西宏明会長の見解ではあるが、「2021年春以降に入社する学生向けの採用ルールを廃止するべきだ」と発言した。流れとしては、2021年卒採用から経団連は『採用選考に関する指針』を廃止する。

 これでどうなるか?

 実は、大きな変化はないのかもしれない。

 というのは、企業層にもよるが、企業の多くが新卒雇用決定の期間を事実通年化しているからだ。むしろ、経団連の今回の決定は、現状の追認であると言っていいかもしれない。

 では、それでいいのか?なのだが、これに問題提起をしたのは、二方面。まず、昨年の経団連の動向の反応からもわかるように、政府であった。日本政府としては、就活指針に規制された日本の一斉雇用の慣例を守りたいのだろう。もう一つは、マスコミだったと思う。単純な話、「就活指針がなくなるとしたら問題だ」と騒ぐのだが、何が問題かとなると、その正義の依代が必要となる。いかに新卒雇用が大切化という一種の神学論のようなものが現れる。

 だが、このマスコミについては、特に、経団連寄りだからだろうが、日経からは好意的な受け止めもあった。2018年9月5日「就活ルール見直し、企業は通年採用へ 雇用慣行の転機」より。

経団連の中西宏明会長が就職活動の時期などを決める「就活ルール」の廃止に言及し、新卒を一括で採用する雇用慣行に一石を投じた。技術革新のスピードが速いデジタル時代は、優秀な人材の獲得が企業の将来を左右する。一部の企業は年間を通じた自由な採用に移った。半世紀にわたり続く慣行の見直しは、企業と大学の双方に人材育成のあり方を問いかける。

 簡素な文章だが、「半世紀にわたり続く慣行の見直し」という指摘が興味深い。すでに言及してきたように、就活指針は現状としては遵守されているともいいがたい状態だから、その崩壊過程がこの半世紀にあったことは明らかである。もしかすると、それが「就職氷河期」という期間と対応しているかもしれない。なんとなれば、「就職氷河期」は大卒の新卒の一斉雇用が前提とされているからだ。興味深いことに、この雇用に着目したのがリクルートであり、そのデータを公開したのが1987年。国側はそうした統計を取っていなかった。労働白書も情報と議論の枠組みでリクルートに依存している。

 就活指針の廃止でどうなるか?を再び問うとき、現状追認にもう一つの含みとして、就活指針は実は廃止されないのではないかという矛盾した疑問が浮かび上がる。

 というのは、実際のところ、就活指針を実施しているのは、経団連というより、就活情報産業だろうからだ。端的にいえば、「マイナビ」と「リクナビ」が決めているのだろう。なので、こうした就職情報産業がどう変わるかが実態の変化を示すことになるだろう。

 ここで、現状をもう一つ掘り下げると、印象でしかないが、すでに一定の水準以上の大卒では就活指針は儀礼的になっていて、「マイナビ」と「リクナビ」の情報に従っているのは、それ以外の大卒なのではないかという疑念がある。

 

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2019.04.10

「就職氷河期世代」という言葉について

 10日の経済財政諮問会議で「就職氷河期世代」の就労支援が提言された。「就職氷河期」と言われる最初の年代層が50代になる前に雇用の安定化を図るというものだ。安定化と言われる実態は、中途採用の拡大を図る企業への助成制度の拡充らしい。期間は3年ほど。
 具体的な対応策については置くとして、問題提起自体には意義があるだろう。が、当然政府の問題意識の焦点は、この世代が高齢化していくときの国家負担を減らすことだろうと私は思った。提言は経済財政諮問会議の民間議員によるもので前日の9日にはニュースになっていて、NHKのニュースからもそうした意図が伺えた。9日「就職氷河期世代 3年程度の集中支援策の提言案」より。

政府は「就職氷河期」世代が不安定な就労環境のまま年金を受給する世代に入れば、生活保護世帯の増加などで大きな社会問題になりかねないと危機感を強めていて、提言を踏まえ夏の「骨太の方針」の決定に向けて検討を本格化させる方針です。

 関連のいくつかのニュースの中で気になったのは、「就職氷河期世代」という言葉である。NHKのニュースでは、この引用からもわかるように、「就職氷河期」にカッコを付け、それに世代という言葉を一般的に補っていた。「就職氷河期世代」という言葉にはしていない。しかし、全体的には、「就職氷河期世代」という言葉がすでに定着しているようだった。これはいつ頃から定着したのだろうか? 2008年のNIRAの報告書『若年雇用研究会報告書』では、次のように、言及されていた。

90年代はじめのバブル経済の崩壊は、就職氷河期世代とも呼ばれる大量の若年非正規雇用者を発生させることとなった。こうした状況は終身雇用、年功序列賃金に支えられてきた日本型雇用を揺るがせるとともに、社会保障制度から排除される大量の若年層を生んでいる。若年非正規雇用の増加は、就職氷河期だけに限った一時的な問題にはとどまらず、グローバル化による人件費削減圧力と技術革新による分業の中で生じつつある長期的かつ構造的な問題であるという視点からの接近も必要である。

 まず、「就職氷河期世代とも呼ばれる」として、「就職氷河期」の定義がないのはすでに織り込まれ、むしろ「とも呼ばれる」は「就職氷河期世代」として2008年に理解されている様子が伺える。
 そして、やはりというべきか、興味深いことに、「就職氷河期だけに限った一時的な問題にはとどまらず」として、暗に「就職氷河期」が特定の時期というより、平成時代全体の就労構造を示唆するキーワードとして浮上していることがわかる。むしろ、そのために、「就職氷河期」という言葉が曖昧であるほうが便利な様子としても理解できる。当時のNIRAとしては、構造的に、「グローバル化による人件費削減圧力と技術革新による分業の中で生じつつある長期的かつ構造的な問題であるという視点からの接近も必要である」とているが、おそらく、問題の核は、この時期にすでに「就職氷河期」について、金融政策上のミスより日本産業社会の構造として捉えられ、そして、これがこの10年間に、社会保障制度維持の問題にシフトしてきたように見える。
 この様子は10日の毎日新聞『フリーター半減目指す 政府、就職氷河期世代を支援』でわかりやすい。

 就職氷河期の初期世代は既に40代後半。50代になると正規採用が更に難しくなり、老後に生活保護受給者となる可能性が高まる。そうなれば少子高齢化で膨らむ社会保障費を更に圧迫する要因になる。ここ数年、人手不足で企業が採用意欲を高めていることもあり、政府は「就労を後押しする最後のチャンス」(内閣府幹部)と判断した。

 今回いくつか関連のニュースや論評を追っていて気がついたことがある。「就職氷河期世代」と呼ばれる言葉のコノテーションである。端的な例としては、9日のビジネスインサイドの『万人時代、中心は40代。家族が苦悩する「お金問題」』という記事だった。中高年の「ひきこもり」についてこう言及している。

なかでも中高年当事者の4分の1を占める一大勢力が、40~44歳の「ポスト団塊ジュニア」だ。彼らは「就職氷河期」の2000年前後に大学を卒業し、就活の失敗などを機にひきこもり状態となった人が多い。

 非常に興味深い言及なので、裏付けとなる統計が知りたいが、該当記事にはない。ただ、「就職氷河期世代」が「中高年のひきこもり」にアソシエイトされている文脈は読者に理解できるはずとして示されている。なお、同記事では就職氷河期の人たちを「2000年前後に大学を卒業」としていて間違いではないが、いわゆる「就職氷河期」の後期にあたる。というか、就職氷河期の無定義性が有効に文脈化されている例にもなっている。
 同記事は、しかし、「就職氷河期世代」が社会保障の問題となることの文脈的な移行を容易にしている。このような展開も興味深い。

だが、自治体のひきこもり支援策の対象者は、多くが「39歳未満」。40代の当事者が支援を受けられないままに年を重ねれば、親が死去したり要介護状態になったりした時、共倒れしてしまいかねない。

内閣府の調査によると、40歳〜64歳のひきこもり当事者の推計数は、部屋から出られない人から、趣味に関する用事の時だけ外出できる人までを含めた「広義のひきこもり」で推計61万3000人。2015年度にほぼ同じ条件で出した15~39歳の推計値は54万1000人で、合わせて100万人を超える当事者がいる計算だ。

中高年の当事者のうち25.5%が40~44歳だ。このうち33.3%が大学卒業と就職が重なる20代前半に、初めてひきこもりとなった。

 ここからは、実際には「ひきこもり」にアソシエイトされた「就職氷河期世代」の実態は見えてこない。とはいえ、誘導されている文脈を追うと、100万人の25%でその33%ということなので、記事では8万人くらいと想定されている。当然ながら、「就職氷河期世代」がイコール「ひきこもり」ではないので、今回の経済財政諮問会議の対象者の実態はよくわからない。
 他方、時事ではあっさりと数字を示している。「就職氷河期世代」の用語解説より。

この世代のうち35~44歳の非正規労働者や仕事がない人は計400万人前後に達し、相当数の人が正規雇用への転換を望んでいるとみられる。

 数値の出処や他世代との比較についても気になるので、また調べてみたい。
 あと、おそらく、この問題は、「就職氷河期世代」にかこつけられているが、社会保障というよりも、構造的には経団連の就活ルール廃止の動向の余波ではないかと私は疑問に思っている。

 

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2019.04.09

[書評] 少女たちの明治維新: ふたつの文化を生きた30年(ジャニス・P・イシムラ)

 私は五千円札が好きだ。一万円持つなら、五千円札2枚がいい。樋口一葉が好きなのである。彼女が紙幣のデザインになっていることに、喜びというのか誇りというのか、これがあるうちは今の日本も悪いもんじゃないなと思う。そして今日、新札のデザインが発表された。今度は津田梅子の五千円札だ。いい。嬉しいような感じがする。まあ、なにも五千円札のポジションがいいというわけでもないが。他二人は渋沢栄一と北里柴三郎。まあ、それもいい人選じゃないか。

 津田梅子について、この機会にもう少しなんか知りたいという人がいたら、『少女たちの明治維新: ふたつの文化を生きた30年』をお勧めしたい。というか、普通におもしろい本だ。

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 明治4年、岩倉使節団の一行として近代日本の女性のモデルとなるように米国に送られた三人の少女の生涯の物語である。米国に渡る年齢は、11歳の山川捨松、10歳の永井繁子、6歳の津田梅子である。小説ではないが、小説のようにおもしろい。そのままアニメの原作にしてもいいし、大河ドラマにしてもいいだろう。

 そのおもしろさの一端には、人間とは何なのだろうという普遍的な問いかけも含まれる。前近代の日本に生まれた少女たちは、米国社会で教育を受けることで、内面は米国人となっていく。著者はこう言う。

これは、ひとつの社会に生まれて、自分たちのあずかり知らない力によってすべてが異質な別の社会に送り出され、成長した三人の少女の物語である。子供が皆そうであるように、少女たちはそこで周囲からさまざまなことを吸収した。それぞれが生粋の侍の娘だったが、養育環境により、少女たちの中でふたつの要素が入り混じった。そして十年後、母国を離れて暮らすうちに異邦人に成長した娘たちが帰国した。

 若い人間のもつ驚異の可能性の物語でもあるし、現実の日本社会と理念的な日本社会の相剋をもつ現代日本人の原型、特に現代日本人女性の原型の物語としても捉えることができるだろう。

 また、「侍の娘」とは何かという、モラルの問いかけもあるかもしれない。本書のオリジナルタイトルは『Daughters of the Samurai: A Journey from East to West and Back』である。すぐに分かるように、これは、『Daughter of the Samurai』のオマージュである。訳本はちくま文庫から『武士の娘』として出ている名著である。なお、『少女たちの明治維新』という書名では別の子供向けの啓蒙書があるので間違わないように。

 岩倉使節団で送られた少女は、5人いた。年長から2人脱落する。そして、捨松と繁子の2人は、梅子と4、5歳の年差があり、人格形成での日本文化の影響が異なることになる。もちろん、彼女たちの固有の個性の差もあるのかもしれない。捨松と繁子は後年、日本社会に組み込まれていくかにも見える。が、梅子は日本社会に対峙した。

 その差異は、言語のあり方にも関連する。捨松は英語の能力を維持したが、夫の大山巌との夫婦生活で欧風の家庭文化で保護された形になった。繁子のほうは、程度の問題でもあるが英語の思考を失っていった。二人は年齢が近いことから、米国でも対話しつつ育ち、日本語が維持されていた。他方、梅子はたった1人、英語のなかで自我を確立したことから、帰国時には、日本語がほとんど話せないまでの状態になっていた。

 こうした3人の物語ではあるが、その活躍からも捨松と梅子の2人に焦点が当てられていく。捨松は美しく知的な女性であった。が、その絢爛さと対処的な悲劇性の叙述も興味深い。著者はこうつぶくやく。

 今日、日本の小学生は、社会回の授業で「津田梅子」について学ぶ。だが、捨松と繁についてはほとんど知られていない。

 梅子の帰国後の人生には、2人と異なり、結婚がその選択になかった。明確に独身者として生きる決意があった。そこから後に津田塾大の原型となる私学を生み出すのは、まさに彼女の意志の結果である。渋沢栄一が一橋大学の前進創立に関わったというのとは意味合いがかなり異なる。彼女は国家が求める学校とは異なる学校を明確な意志で創り出そうとしていた。明治33年9月14日にできた梅子の学校は生徒14人。うち3年間学ぶ生徒は10人ほど。教授陣は梅子を含めて3人。学校といっても小さな一室といってもよいものだった。

 梅子の意志は日本近代史のなかの奇跡にも思える。1870年代の初め、彼女たちが米国に渡ったころの日本は西洋近代への熱意に溢れていた。天皇家も欧風のいでたちに変えた。ところが10年後、日本には反動の波が襲う。教育勅語はその一環である。これは日本の文化でもなんでもない。近代西欧化に向かう反動分子の活動の成果にすぎない。

 本書を読んで学んだことは多い。ここまで私は「梅子」と書いてきたが、米国に渡った少女の名前は「うめ」であった。彼女は後年、父親の戸籍から除籍して単身の戸籍を作った。独身女性が単独の戸籍を作るというのは前例がなく、そのおりに名前を「梅子」とした。先祖との縁を切りたかったわけではないのは、士族の身分の残存も新戸籍に残るようにしたことでわかる。クリスチャンである彼女としては、身分制の郷愁というよりは、武士の娘の内的な自覚に関連していたのだろう。梅子と限らず、捨松も繁子も、侍の娘であったという人格の芯を持ち続けてはいた。



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2019.04.08

日本人男性4人に1人は童貞的な何かについて

 共同配信のニュースで「性交渉、経験なしが25% 日本の18~39歳男女」という記事を見かけた。これは、概ね、日本人男性4人に1人は童貞的な何かについてということかなと思った。実感としてはどうかというと、そうなのかそうでないのかピンとこない。共同がこのネタを引っ張ってきたのは、いわゆる「草食男子」的な文脈にあると踏んだからではないか、と思いつつ、記事を見る。

 ネタ元は、東京大学とスウェーデン・カロリンスカ研究所のチームよる8日付英医学誌BMC『パブリックヘルス』。2015年時点の推計である。

 25%の童貞は多いかというと、記事では、「23年前の20%から増えていた」としている。つまり、だいたい四半世紀かけて5%増えたということだ。童貞率、5人に1人が、4人に1人となったということで、さて、これが多いかというと、よくわからない。

 年代別に見ると、20歳で童貞処女が80%くらいになっている。これが25歳で半減、30歳で20%くらいに見える。


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 これは単純に、結婚の標準的な年齢が30歳ぐらいという私の社会認識とさほど食い違わない。ということで、まあ、そういうものかなと思う。

 記事では、経済状態が不安定な男性の童貞率が高いが結婚願望はあるので、「性交渉がないのは本意ではない可能性がある」というところをオチにしている。

 元記事は全文公開されていた。"Trends in heterosexual inexperience among young adults in Japan: analysis of national surveys, 1987–2015"というものだ。共同記事と多少印象が違っていて、対象期間はほとんど平成に重なる。

 個別に見ると、1987年と2015年では、30代前半の童貞が6.2%から11.9%、喪女が8.8%から12.7%。30代の童貞が増えたふうではある。

 論文には他国との比較の話があり、アジアではこの手の統計がよくわからないとし、西洋先進国の話を引いているが、概ね、18歳もすぎると童貞・処女は10%くらいのようだ。初経験年齢が成人年齢に重なるように思える。ということで、ふと思ったのだが、成人年齢というのは童貞・処女率に合わせてもいいんじゃないか……いや、それはないな。

 元論文では同性愛への記述もあり、日本だとこの年齢間だと5%くらいのようだ。これも多いのか少ないのかよくわからない。まあ、多いとはいえるだろうか。

 共同の記事では、童貞率の高さを収入と関連させようとしているし、元論文もそうした基調なのだが、収入が高ければ結婚できるという関連だけとも言えない。論文からうまく読み取れていないのだが、専業主婦との関わりがありそうだ。はっきりと言えないのだが、専業主婦を養えるだけの男性の収入があれば、未婚率は減るというか、童貞率は減るというか、そうなりそうな印象はある。

 こういう研究の読み取りは難しい。率直なところ、私がシンプルに読み違えているかもしれない。

 ただ、雑駁な印象としては、経済的な影響より、文化的な影響がかなり大きいように思えた。専業主婦というのもその日本の文化に含めてよいのではないか。それで、そうだとして、専業主婦という文化をどう考えるかというと、これも一概にどうとも言いづらい。

 

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2019.04.07

「就職氷河期」なんてあったんだろうか?

 このブログを事実上お休みしている間、『とある私の平成史(仮)』という本を書いていた。まだ書き上がっていない。いつ書き上がるかもわからない。そもそも書き上がるかどうかもわからない。書き上がったら、出版したいとは思っている。ありがたいことに期待してくれるお声もあったりする。

 で、まあ、とりあえず、執筆は「平成5年」に入ってきたのだが、そこで「就職氷河期」が項目になる。そこで、あらためて「就職氷河期」を考えてみたら、これって本当にあったんだろうか?と疑問に思えてしまった。

  「就職氷河期」なんてあったんだろうか?

 ないわけないでしょ?と言われそうだが、就職しづらかったとか、正規雇用になれなかったとか、そういう個別の状況がなかったとは当然、言わない。それはあった。そうではなく、「就職氷河期」という言葉でまとめられる事態があったのかということだ。いつの時代にもどこの社会にある「就職難」というだけのことではないだろうか。つまり、一般的な「就職難」とこの時代特有の「就職氷河期」はどう違うのか?

 当然、定義を見つめ直したい。と、そこで、壁にぶち当たる。定義がないのだ。いや、それもないことはない。例えば、デジタル大辞泉にはこうある。

日本のバブル経済崩壊後、大規模な就職難が社会問題となった時期。特に、平成5年(1993)ごろから平成17年(2005)ごろまでを指す。長期的な景気の冷え込みを氷河期(氷期)にたとえたもの。

 これ、定義になってないでしょ? 「大規模な就職難」が社会学的に定義されていない。ほかに、朝日新聞はこう説明している(2010年5月21日夕刊)。

バブル崩壊後の1990年代半ばからの10年ほどを指す。この時期に就職できなかった世代が、フリーターや派遣など非正規労働者の増加の一因になった。2000年代半ばには、輸出産業の好転や団塊世代の定年退職に伴う求人増でいったん終結。しかし、08年秋のリーマン・ショック以降の景気低迷で多くの企業が採用を減らした。就職先が決まらないまま4月を迎えた学生もおり、氷河期の再来といわれる。

 これも、定義とは言いがたい。しかもこっちは、期間が「1990年代半ばからの10年」と更に曖昧。

 どちらの定義も、リーマンショック後は「就職氷河期」に含まれない。実際に雇用はリーマンショック以降が深刻だが、それが「就職氷河期」とは区別されるのは、リーマンショックの余波は、「就職氷河期」をもたらした要因とは区別されるから、ということなのか?

 わからない。

 ということで、執筆中の本ではこんなふうに書いてみたものの、やはり判然としない。

 ということで、ブログのネタっぽく、執筆中のちょっと引用してみる。これをきっかけに、自分の考えが変わるといいなと思ってもいる。考えが変わったら書き直す。

 


平成5年(1993年)

就職氷河期

 平成5年(1993年)に入り、「就職氷河期」という言葉が聞かれるようになった。雑誌『就職ジャーナル』平成4年(1992年)11月号で提唱された言葉で、この平成5年から平成6年に広まり、平成6年(1994年)に新語・流行語大賞で審査員特選造語賞となった。一気に広まったというより、平成5年から実感されるようになったということだろう。そこで一般的には、有効求人倍率が1を割った期間として、平成5年(1993年)の0.76から平成17年(2005年)の0.95までの12年間を指しているようだ。

 この時期に就職した大卒者の像を描くと、平成5年に大学を卒業した22歳をまず想定してみるといい。すると、1971年生まれ。平成が終わる時点では、47歳。これが最初の像で、その終わりは12年後なので35歳ということになる。

   *    *

 就職難というのは、この12年間で終わったわけではなさそうだ。有効求人倍率の統計値を見ていくと、この期間の最悪年が平成11年(1999年)の0.48だが、その後の平成21年(2009年)が0.47である。就職氷河期と言われる時期より低い。また、有効求人倍率が1を超えたのは平成18年(2006年)とその翌年の2年だけなので、より安定的に有効求人倍率が1を超えるようになったのは、平成26年(2014年)以降のことである。そうしてみると、小康期間はあるにせよ、就職氷河期は20年続いたと言ってもいいだろう。

   *    *

 平成時代の就職氷河期が非常に特異な現象であったかというと、昭和時代後期を含めるとそれほどでもない。

 昭和時代の後期、有効求人倍率が1を超えたのは、1962年に一度、1967年から1974年、1988年から1992年である。ちなみに、私は大学を卒業した1981年の有効求人倍率は0.68で、大学院を出た1983年は0.6で、平成の就職氷河期とさほど変わらない。実感としても、それほど差があるようにも思えない。

 もっとも、就職氷河期を考えるなら有効求人倍率より、新規求人倍率で見たほうが実態に近いだろう。ということで、新規求人倍率の統計値を見ていくと、就職氷河期では平成11年(1999年)の0.84がもっとも低いが、1983年でも0.89であり、大きな差があるわけではない。全体傾向としては、新規求人倍率は有効求人倍率と相似なので、昭和時代後期から見ると、平成時代に特有とは思えない。

 ただ、さすがに平成21年(2009年)の4月から6月期の新規求人倍率0.77は低いと思えるが、前年のリーマンショックの影響だろう。

   *    *

 大卒求人倍率という視点で見ていくとどうだろうか。

 これについての統計値は政府によるものはなく、リクルート社によるものなので、同社以前の昭和時代後期との比較ができない。昭和62年以降のグラフを見た印象では、大枠では有効求人倍率と相似になっているように思われる。

  *    *

 「就職氷河期」と呼ばれる期間を振り返って見つめていると、その捉え方が正しいのか疑問が湧いてくる。

 まず、平成時代を通して大卒生もまた増えたことだ。大体1.5倍ほど増えている。この増加は人口増加に比例しないから、そもそも大学生が増えた分、就職先は争われるようになるだろう。

 「就職氷河期」は非正規雇用者の増加とペアで考えられがちだが、非正規雇用者は雇用の定着率や再雇用などにも関連しているで、分けて考えたほうがいいだろう。

  *    *

 思い返すと、私が子供のころや青年期でもいつも就職しやすかったわけでもない。当時、就職できなかった人はどうなったかというと、おそらく自営業になっていたのではないか。そう疑問に思って、総務省の雇用統計を見ていくと、自営業者の減少が見て取れる。1968年を100として見た場合(非農林業)、雇用者は平成5年166、平成16年で170.8と増加。他方、自営業は、106.9から88.5と減少している。

 こうして見ると、「就職氷河期」とは、安定雇用を求めて増加した大卒者と、自営業の衰退が引き起こした社会構造的な現象ではなかったかと疑問がわく。



 

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2019.04.06

令和は霊和

 新元号「令和」の「令」について、「命令」の「令」として捉える人が多いように思えた。確かに辞書などを引くとその意味が最初に来るので自然な理解とも言えるだろう。私のように昭和と平成を同じくらい生きた人だと、この字は、「年齢」の「齢」の代用字として以前使っていたことなども思い出す。戦後、日本はGHQの指導で漢字をできるだけ減らし、また簡易化する流れにあったが、パソコンが普及してからは、漢字利用が盛り返してきた。年齢を示す「歳」の字も、以前は代用字の「才」がよく使われていたものだった。

 さて、「令」という漢字自体の意味は何かだが、まず、これは会意字として理解されることが多い。会意というのは、その漢字を構成するパーツが意味を持ちそれを組み合わせたものだ。基本的に、パーツは音声に関係しない。

 会意字として「令」は「亼(逆さまの口)」+「卩(人の跪く姿)」として、「逆さまの口がひざまずいた人に話す・お告げを聞くこと」と理解されることが多いようだ。白川静もそれに近い解釈をしているようだ。そして、「お告げ」から、「おふれ」「いましめ」という意味を捉え、さらに「よい」「めでたい」から、使役の「させる」まで関連されているようだ。

 私が漢字を考えるときに使う山田勝美他『漢字字源辞典』では、形声字としている。「卩(人の跪く姿)」に「亼」で「キョウ」の音を与えている。意味は、音が担っている。そこで、「教(キョウ)」と「叫(キョウ)」と同じ意味だとしている。同辞典ではこれが「レイ」に音変化したとしている。が、音変化についての詳しい説明はない。

 同辞典での「令」の原義だが、「跪伏している者に向かって叫び教える」としている。基本的には、白川静などの解釈と違いはない。

 だが、今回の新元号「令」は、「よい」「めでたい」という意味を担っているが、同辞典では、この意味は、「令」の原義からではなく、「靈」(レイ)の借用だとしている。つまり、「令」の字は、音が「キョウ」から「レイ」に変化したので、同音の「靈」の代用として使われるようになったということである。当然、「よい」「めでたい」という意味は、「靈」が担っていたことになる。

 「靈」は、「霊」の形で書かれることが多い。日本人は「霊魂」の「霊」を連想しがちだが、「霊物」「霊妙」のように「よし」の意味がある。なお、同辞典には説明がないが、「靈」は音から「零」の同義でもあるので、「令」の音が靈の借字となったことも関連しそうだ。

 まとめると、「令和」の「令」は、一種の宛字なので、本字として使うと、「靈和」あるいは、「霊和」というほうが漢字の本来を伝えているだろう。

 関連して、中国語での字解を見ていると、「令」の本字を「命」としているものがあったが、先の辞典では、「命」は「令」と同字同義としている。形の違いだが、「令」に意符として「口」が「加えられたにすぎない」とある。とはいえ、「命」は「レイ」の音価から「ベイ」に変わったとある。それ以上の説明は同辞典にはないが、音価が変わった時点で別字として認識されるようになったのではないか。

 

 補足だが、『漢字字源辞典』の考え方は、清朝の朱駿声の『説文通訓定聲』に依拠している。朱駿声は『説文通訓定聲』において、「轉注者、體不改造、引意相受、令長是也」(転注なる者は、体は改造せず、意を引き相ひ受く、令長是なり。)という説明をしている。まさに、「轉注」つまり、借字のもっとも代表的な例として、「令」の字を挙げている。

 

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2019.04.05

ウルトラマンとULTRAMAN

 Netflixを開くと、ウルトラマンを見ろというので、ウルトラマンを見た。いや、ウルトラマンではなく、ULTRAMANとなっていた。やばい、と思った。これ、やばいよ。がち、そう思えたのは、一話を見終えてからだ。

 最初はなんの事前知識もなく、開いた。3DCGアニメである。ああ、僕が嫌いなやつだ。以前『亜人』を見ようとして、なんとも船酔いみたいな気分になったことを思い出す。これも無理だろうなと思うが、出て来るオヤジは「ハヤタ」と名乗っている。なるほど、中年のころの黒部進である。二瓶正也も出て来るじゃん。懐かしの地球防衛軍本部もある。石坂浩二のナレーションはないが。

 なんだこれ? 懐メロじゃないけど、俺たち爺ホイホイってやつじゃないかと構える。そのうち、黒部進は今の白髪の黒部進になっていて、高校生の息子がある。俺じゃん。これって、息子がウルトラマンを継ぐという話かといぶかるに、そういう話だ。ギャグ?

 とか言ってるうちに、諸星弾と名乗る若い頃の森次晃嗣みたいのが出て来る。もうすでに爺さんの俺、ホイホイとはまる。3DCGにも慣れてくる。これで、アキコ隊員と菱見百合子が出てきたら、おっとぉアンヌ隊員ができたら、これはちょっとしたおかずだ。が、その期待は叶えられず(実はアキコさんは出て来る)。代わりに、ケムール人が出てきた。いや、ゼットン星人ということか。ダダの人が出てきた。ピグモンの人も出てきた。

 僕は懐かしいものが嫌いだが、ツンデレ心理みたいなもので、きちんとスイッチ押されるとやばい。今川泰宏の『鉄人28号』もスイッチ入った。やばい。地球防衛軍の建物だけじゃなく、あちこち、半世紀前のオマージュもある。音声効果もいい。泣ける。マジ、感動した。

 僕がウルトラマンを見ていたのは、リアルタイムである。1966年から1967年。9歳。小学校3年生である。うへ~、軽く半世紀前じゃん。けっこうビビッドに覚えていてやばい。全部見た、と言いたいところだが、ドドンゴの回だけは見逃して、ウルトラマンがメディア化されて見直したことがある。

 自分、まじ子供だったなあ。こんなのマジ、興奮して見ていたからな。

 『ULTRAMAN』のウルトラマンは、というと、まじ着ぐるみだった。仮面ライダーG3じゃん。デザイン的には、そこはちょっと俺ホイホイとはいかない。僕は、新幹線ゼロ系が好きなのだ。鉄人28号も好きだ。流星号も好きだ。丸いデザインが好きなのである。

 『ULTRAMAN』を見ていると、新ウルトラマンはサイズも巨大化しない。まあ、ウルトラセブンも等身大だったから、それはよし。で、ウルトラセブンの新デザインは悪くない。そのうち、もう一人出て来る。が、このデザインがわからないというか、北斗星司って誰?

 というところで、これウルトラマンAじゃないかと気がつく。第2期ウルトラシリーズは全然見てないのだ。『帰ってきたウルトラマン』も見ていない。中学生になってから、この手のお子様番組は見なくなった。仮面ライダーもほとんど見ていない。見始めたのは平成になってからで、つまり、子供と一緒に見ていた。沖縄に暮らしていたころだ。そういえば、砂漠のような天久にウルトラマン小屋ができたときも連れ行ったな。

 かくして、爺さんホイホイでもいいじゃないか、と、『ULTRAMAN』にハマり黒歴史を更新するうちに、さらに3DCGのたて(殺陣)にはまる。美しい。これは、美しい。諸星弾のちゃんばらは、さいこーぞい(子供とカービーは見ていた)。これは、スターウォーズのちゃんばらより美しい。日本スゲー的な?わけもないが。ウルトラマンのたても、オリジナルをよく活かしたアインクラッド流みたいなのでよかった。このありもしないマーシャルアーツの美しさというのはなんなんだろうと思う。

 そういえば、円谷プロといえば、『SSSS.GRIDMAN』も見た。こっちは、僕は旧版を見てないんで懐かしい壮大なるウルルはなかったが、単独で話は面白かった。ただ、花澤香菜かなと思ったら上田麗奈だった。我ながら声優の聞き分け能力は低い。小清水亜美を沢城みゆきと間違えてパニックったこともある。

 

 

 

 

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2019.04.04

新元号ボツ案「英弘」について

 新元号の候補は6案あり、ボツ案については建前上は秘密のはずだが、昨日中に全部バレた。「英弘(えいこう)」、「久化(きゅうか)」、「広至(こうし)」、「万和(ばんな)」、「万保(ばんぽう)」である。

 関係者から聞き出したものだろうから、漏らした識者は口が軽いと非難する向きもあるだろうが、私にとって興味深かったのは、バレるプロセスだった。当初は、「万和」「万保」の読みがわかっていなかった。朝日新聞は、こんな感じ。2日「新元号、政府提示6案に英弘・広至など 日本書紀も典拠」より。

朝日新聞は複数の政府関係者の証言に基づき、「広至」「万保」の読みを「こうじ」「ばんほ」と報じましたが、その後の別の関係者への取材で「こうし」「ばんぽう」だったとわかりました。

 朝日がソースとして握っていた識者はそういう読みだと思っていたのだろう。

 そして、最後の一個がわからなかった。各報道者が探ろうとして、全部が同時に出たわけでもなかった。私が漫然とこの間の報道を見てきた印象では、最後を突き止めたのはNHKだったと思う。おそらく、現在の日本でもっとも報道機関として能力が高いのは、NHKなのではないかという印象をさらに深めることになった。それで、ようやく出てきたのは「久化」だったように思えた。

 こうしてボツ案に関心が注がれるのは、誰も「他のメニューはなんだろう」くらいの思いがベースにあるからだ。そして例えば、結婚候補が6人もいてそこから一人選んでも、「他の人と結婚してたらどうだったか」みたいな思いはわくもの……おっと、やばい比喩になってしまいそうだが、いずれ、「令和」よりこっちがよかった、みたいな思いもあるかもしれない。

 ボツ案を見てたぶん、殆どの人が、「万和(ばんな)」、「万保(ばんぽう)」は「ねーわ」と思っただろう。これについてくだくだと書く意味もない。「広至」「久化」はともに語頭音がローマ字でKなんで、Kオシだった私は、やっぱなと思った。

 残る「英弘」だが、これも概ね、「ねーわ」と思った人が多いだろう。普通に「ひでひろ」になる。私が私淑した、いや、直接学んだ歴史学者・岡田英弘先生を連想した。報道を見ていると、歴史学者の本郷和人さんはこれを推していたようだった。

 この「英弘」だが、当初、こんな報道が多かった。たとえば、2日TBS「「令和」以外の候補は「英弘」「久化」「広至」「万和」「万保」」より。

政府関係者によりますと、このうち「英弘(えいこう)」は奈良時代の歴史書「日本書紀」、「広至(こうし)」は「日本書紀」と中国の詩集「詩経」が出典元だということです。

 当初、私も、「日本書紀かあ」と思った。古事記はどうだったかと連想した。現代日本人にすると、古事記は、本居宣長の『古事記伝』以降、まがりなりも日本語のような装いをしているので、漢字二文字の元号の典拠はちょっとないんじゃないかとも思った。

 「英弘は日本書紀?」 と、日本書紀を調べると、ない、いやないわけじゃないが、「英公」のような人名は除くと、同段くらいで「英弘」が見つかる部分がない。しいていえば、武烈天皇紀。説明は省くけど、これは、ねーわ。

 で思った。「じゃあ、やっぱ、古事記? 古事記ったって、漢籍的な文は、偽書の序文くらいだぞ」と。でもまあ、序を見てたら、あるじゃん。普通に。ってか、古事記から典拠っていうとこの、やっべー序文になるなあ。

 該当は、「設神理以奨俗、敷英風以弘国」である。下すと、「神理を設け以て俗を奬め、英風を敷き以て国を弘め……たまふ」あたりだろう。「英風を敷きて国を弘む」は、字面の「英風」がちょっと笑える。今回の新元号発表で欧米のジャーナリズムに日本文化の教養がないことがわかったが、「英風」なら"British style"になったかもしれないな。

 この「英弘」、つまり「英風を敷きて国を弘む」の主語は誰?というと、序を見るとわかるように天武天皇である。で、話端折るが、天武天皇というのは、兄とされる天智天皇の子の弘文天皇から帝位を壬申の乱と言われる反乱によって簒奪した天皇である。やっちまったなあという感じは日本書紀からも伺え、戦前の日本の史学では、壬申の乱は事実上タブーだった。とはいえ、日本書紀がそもそもこの簒奪正当化の文書でもある。

 ちなみに、この弘文天皇ができたのは、明治3年(1870年)である。歴史学的には即位したかわかんないが、天皇は万世一系とか言ってとなえるマントラに含まれている。「神武綏靖安寧懿徳孝昭孝安孝霊孝元開化崇神垂仁景行成務仲哀応神仁徳履中反正允恭安康雄略清寧顕宗仁賢武烈継体安閑宣化欽明敏達用明崇峻推古舒明皇極孝徳斉明天智弘文天武持統文武元明元正聖武孝謙淳仁称徳光仁桓武……」と、中二病的に暗証したくなるが、ここに弘文天皇はいる。ざっくばらんに言うと、天皇家の万世一系は明治3年に出来たのである。「いや万世一系とはうんたら」というなら、「じゃあ、その一系を言ってごらん」。

 話を戻す。このご時世で新元号を「英弘」ってやると、天武天皇を褒め称えることになり、日本史のやっばいものが出て来る。ただ、今回の「令和」でも長屋王の変っていうやばいもんが出てきちゃったんで、識者の先生がた、お若い感じがする。

 ああ、ここで余談したいぞ。「令和」を決めたとされる中西進先生は、1973年4月から9月までNHK教育テレビでNHK市民大学講座『万葉の世界』やっていて、高校一年生の私はこれ受講していたんですよ。当時、中西先生は43歳でかっこよかったですよ。

 つまり……、「英弘」はねーわと思う。さらに、出典の古事記序文は、偽書だろうと思う。昨今では、古事記偽書説はとんでも扱いされているが、先の岡田英弘先生は、古事記を明確に偽書だとしてしていた。その典拠の多くは、民俗学者・鳥越憲三郎によるものだった。ちなみに、私が古事記偽書説になったのは、大学院生時代、古代日本の音韻関連の論文を見ていて、甲類乙類ってallophone(異音)じゃねと思って、簡単に分布を書いてみると、complementary distribution(相補分布)なんで、へーと思ったことだ。で、思った。古事記がこの規則性に従い過ぎなのは、これって、偽書作家がよくやるやつじゃんか。で、その後、鳥越憲三郎の著作を読み、岡田英弘先生に学び、古事記は偽書じゃんと思うようになった次第。

 「英弘」が元号になることで、古事記偽書説が盛り返すのもいいんじゃないかとも思うが、逆に、ますます古事記が日本の原点みたいな風潮になるかもしれないなとも思った。

 

 さて、古代史だの万葉集だのに関心をもっていたのは、私が若い頃だ。今の私としては、古事記が偽書でも偽書でなくてもどうでもいいやというふうに関心が薄れている。万葉集についても関心が薄れていたが、先日、古典の参考書みたいのを書きながら、後撰和歌集に関心を持ち、撰和歌所について関心をもった。

 万葉集というのは、明治時代の復古ブームで、なんというか、西洋のギリシア文明に負けない日本の古代精神みたいな流れでナショナリズムとも合致していた。そういうのも今の私はさほど関心ないが、後撰和歌集の時代にすでに万葉集がわからなくなっていたことは興味深かった。

 そういえば、平成時代になって公開された廣瀬本万葉集についても、長く関心を持ってこなかった。私の万葉集の知識は仙覚本のままであった。定家が実朝に贈った万葉集も廣瀬本の系統らしい。

 「令和」のお陰で世の中、というか、出版界は降って湧いた万葉ブームになりそうだ。私も、廣瀬本以降の研究を勉強しなおしたいなとは、この機に思った。

 

 そういえば、当時の、中西進先生の市民大学講座はその後、中公新書になった。見るともう絶版のようだ。中古ならまだ買えるようだ。昨今のブームで再版になるとは思うが、そうでなければ、再版しとくといいと思う。良書である。

 

 

 

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2019.04.03

「令和」の違和感

 「令和」の違和感について、2点ほどブログに書きこのこしておきたい。最初に言っておくと、この新元号をくさす意図はないので、ご安心をというか、ご期待に添えずというか。

なぜ、「令和」は「れいわ」で「りょうわ」じゃないのか

 まず第一点目に、なぜ、「令和」は「れいわ」で「りょうわ」じゃないのか? 自分も当初疑問に思ったし、ネットでも疑問の声があるわりに、解答がないので、解答を書いておこうと思った。では解答。

  「令」の字に「りょう」という読みはありません

 というのは、ブログっぽい釣り風味なんで、正確に言い直そう。

  「令」の字に常用漢字表では「りょう」という読みはありません

 そう。ないのだ。

 日本の政治制度の基本となった「大宝律令」は、「たいほうりつりょう」。これは、小学生でもそう学ぶと思うので、「令」は「りょう」という読みがあるのは知っている人が多い。

 しかも、万葉集の時代、奈良時代の漢字は、呉音で読むことが多い。余談だがブログをおやすみしている間、古典文法の参考書のようなものを執筆していたが(初稿はできたが出版予定なし)、そこで説明したが、日本で使う漢字には、音読みが原理的に3つある。呉音、漢音、唐音である(強いていうとさらにある)。基本的にこれが古い順になる。で、「令」だが、呉音だと「りょう」、漢音だと「れい」になる。唐音はなさそう。

 呉音は日本に仏教が伝わったころの用語に多い。平安時代以降は、漢音が増えてくる。

 ここでちょっとしたクイズ。

  「食堂」はなんと読み、その音は呉音か漢音か?

 答えは、普通は「しょくどう」と読む。「しょく」は漢音である。この読み方は、現代的な食堂ができた明治時代以降の読み方だ。お寺で食事をするところは、「じきどう」である。「しょくどう」と「じきどう」の見分け方は、後者には仏像がある、はず。

 で、「堂」は、呉音か漢音かというと、呉音。唐音では「トウ」だが、わかりやすい熟語はない。

 つまり、「しょくどう」は、漢音と呉音を混ぜている。混ぜが起きるのは、呉音と漢音という意識が日本人に薄れてできた熟語だからだろう。実は、「令和」もその混ぜでできている。「和」を「わ」と読ませるのは、呉音である。

 話を戻すと、常用漢字表というのは、「1 この表は,法令,公用文書,新聞,雑誌,放送など,一般の社会生活において,現代の国語を書き表す場合の漢字使用の目安を示すものである。2 この表は,科学,技術,芸術その他の各種専門分野や個々人の表記にまで及ぼそうとするものではない」というものなので、公用文書に適用される。だから、常用漢字表に「令」で「りょう」の読みがそもそもないのだから、「りょうわ」というのは、元号としてはありえないのであった。

万葉集では「令」はなんと読んでいたか?

 「令和」の読みが「れいわ」しかない(正確には「和」は「お」の読みがある)として、当時はなんと読んでいたか? だが、「令和」の出典は万葉集だが、万葉集にはべたに「令和」という言葉はないんで、わからない。では、万葉集時代、「令」を「りょう」と読んでいたか「れい」と読んでいたか?

 時代的には、「りょう」と読んでいたと思われるが、今回の新元号の由来となったのは、これ。

  于時、初春令月、氣淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香

 これを、菅官房長官のように、次のように読み下すことが多い。

  初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫す。

 つまり、問題は、「令月」を、「れいげつ」と読んだか、「りょうげつ」と読んだかだが、いや、呉音なら「正月(しょうがつ)」のように、「りょうがつ」である。

 これについて私はわからないが、同時代の漢詩集『懐風藻』の押韻構造から、当時詩文に呉音が使われていることが伺われるので、万葉集のこの部分も読み下すときは、呉音で「りょうがつ」ではなかったかと思う。あるいは、下しはなく白文で読むとしても呉音でなかったか。

 もっとも、「令月」という言葉は、「れいげつ」として普及してくるし、どうやら、「文選読み」と呼ばれる「文選(もんぜん)」ですら平安時代には「ぶんせん」であったようなので、平安初期には「れいげつ」が定着していのではないか。

なんで外国人は「令和」の意味を取り違えるのか?

 新元号「令和」は国際的にも注目されたが、その意味にはけっこう間違いがあった。「令」を"order"のようにする類である。たぶん、字引を引いただけか、記者の知り合いの日本人に日本文化の素養がなかったか、といったものだろうが、そもそもわかりづらいのは、この疑問である。

  「令和」の意味って何?

 これが「令和」という元号への、私の違和感の2番目でもあるのだが、たいていの漢字二文字熟語は、読み下せるのである。「勉強」なら、「強いて勉める」である。

 で、結果的に困ったことに、「令和」は、普通に読み下せてしまうのである。読み下すと、「和令む(わせしむ)」となり、意味は、「和にさせる」ということになる。隠された主語は、元号の手前、天皇だから、「天皇が国民を和合させる」ということになる。

 つまり、「令和」というのは、読み下して意味をとってはいけないよということだ。

 じゃあ、この元号の意味はなんだということだが、「初春の令月にして、気淑く風和ぐ」という他はない。あえて現代語にするなら、「旧暦の2月は、生命エネルギーがよく風もおだやか」ということになる。

元号というのは、読み下せないものだ

 まあ、「で、結局、なんだ?」としか言いようがないが、とはいえ、元号というのは、そういうものだ。読み下せせないのである。

 考えてみれば、他の元号もそうであった。

 「明治」は、『易経』の「聖南面而聴天下、嚮明而治」(聖人南面して天下を聴き、明に嚮むかいて治む)からなので、「明(めい)にむかいて治む」と簡略化できる。大正は、『易経彖傳』「大享以正天之道也(大いに亨りて以て正しきは天の道なり)」で、「大いに正しき」と簡略化できる。昭和は『書経・尭典』「九族既睦平章百姓。百姓昭明協和萬邦(九族既に睦まじくして百姓を平章す。 百姓昭明にして、萬邦を協和す)」で、「昭明にして和す」と簡略化できる。平成は『書経・大禹謨』「地平天成(地平(たいら)ぎ天成る)」でそのまま簡便だ。

 同様に簡略化すれば、「令和」は、「令月、風和ぐ」となるだろう。
 と書いてみて、「令和」は、「令月、風和ぐ」でけっこう違和感ないなと気がつく。

 「令和」という元号は、つい読み下せてしまうから、おっとどっこい、間違える。これが「令和」の最初の違和感だったのだろう。

 

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2019.04.01

新元号決まる

 毎年4月1日のブログには馬鹿話を書くのが恒例だった。今年も結局そんなことになるだろう。
 さて、新元号が決まった。蓋が開いてみれば、なるほどという思いと、意外という思いがあいなかばというところだった。
 予想していたかというと、予想できなかった。新元号名はローマ字でKで始まる音から選ばれるとして絞り込んでしまったのが、敗因というか、失敗だった。明治・大正・昭和・平成としてM・T・S・Hなので、濁音は嫌うだろうし、Nは紛らわしいので、KかRだろうと予想したが、Rは日本語になじまないだろうと思ってしまった。
 まったく予想できなかったかというと、蓋を開けてみればわかるが、出典に万葉集が来ることは予想可能だった。3月19日朝日新聞『新元号、初めて日本の古典由来に? 漢籍とのダブル説も』のような誘導はあった。

 今回の改元で政府は、複数の国書の専門家に内々の考案を依頼。政府が数案に絞り込む前の段階の20案程度の中にも、国書に由来する案が含まれている。13日の参院予算委員会では、内閣官房の担当参事官が「考案者は国文学、漢文学、日本史学、または東洋史学等についての学識を有する方に委嘱する」とした。安倍政権の支持基盤である保守派にも、日本文学など国書に依拠した元号を期待する声がある。
 しかし、国書を典拠にするのは簡単ではない。日本最古の和歌集「万葉集」で有名な万葉仮名は漢字だが、日本語の音を表すために漢字を当てはめた表音文字で、漢字それ自体には意味がない。政府が要件とする漢字2文字で良い意味をもつ元号にするにはむかないとされる。政府内でも「当て字のような仮名からとるのは難しい」(政権幹部)との見方が強い。

 そして、なにより、徳仁親王の誕生日、2月23日の2月は、「令月」である。万葉集と「令」まではリーチできた。が、「和」はさすがにまるっきり想像もつかなかった。そこは予想外としていい。
 もう一つ、予想できなかったのが、『万葉集』巻五「梅花の歌三十二首、并せて序」である。蓋が開いていうなら、『文選』巻十五の張衡『帰田賦』「仲春令月、時和氣淸」としてもよく、新元号の考案者はそこまで考えてのことだろう。が、これは漢籍の専門家というより、契沖を経由しているので、国学者だろう(中西進であろう)。
 ただ、私は、まさかこんな不吉な故事を引くとは思わなかった。
 この序は、天平2年(730年)1月3日、大宰府の大伴旅人邸の宴会によるもの。漢文の執筆はおそらく山上憶良であろう。
 この宴会で、なぜ旅人が九州にいるかだが、関連する旅人の経緯を見ておく。
 旅人が権力中枢に上がるのは、この宴会の6年前、神亀元年(724年)、聖武天皇即位に伴って正三位に叙せらてからとしていいだろう。すでに60歳になろうとしていた。そして、神亀5年(728年)頃、大宰府に赴任にした。
 これが旅人が九州にいる理由だが、なぜこの年齢で赴任かというと、概ね2説ある。一つは九州の治安維持。彼は50代に隼人の反乱鎮圧で九州に赴任したことがある。この説だと、そうした重要性がこの時期にあったかということが問われる。もう一つは、長屋王を謀略に落とし込もうとする藤原不比等の息子たち・藤原四兄弟による左遷あるいは隔離。私はこちらが真相に近いと思うが、四兄弟が一枚板であったかはわからない。
 私の考えでは、旅人と藤原四兄弟には密約があっただろうと思う。つまり、旅人は長屋王が謀略で暗殺されること是認していたのではないかと思う。そう思う理由は2つある。一つは、長屋王暗殺後1年して京都に復帰して大納言という高位に就いていることだ。先の宴は、この間、長王暗殺と京都復帰の間で開かれている。
 もう一つは、太宰府にまだ14歳ほどの息子・大伴家持を連れていることだ。嫡子を赴任先に連れいっても不思議ではないとも言えるが、治安維持の赴任に嫡子を連れてくるのはそう合理的ではない。むしろ、若い嫡子を長屋王暗殺にまつわる政争に巻き込まれないように配慮したものではないかと私は考える。
 長屋王が暗殺されたのは、天平1年(729年)2月。つまり宴会の前年の令月。歴史用語では、長屋王の変とされ、長屋王は自殺ということになっているが、状況からすれば暗殺と理解するほうが正確だろう。
 この宴の主人としての旅人の歌(822番)は、不吉だ。前年の長屋王暗殺に関与せずに逃げ切った裏切り者としての大伴氏の鬱屈と安堵が暗喩されているのでないか。

   わが園に梅の花散る久方の天より雪の流れくるかも

 「梅の花散る」は長屋王の命、「天より雪の流れ」は藤原四兄弟の権力治世ではないか。
 「令和」号について、安倍首相は、「春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように一人ひとりが明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる、そうした日本でありたいとの願いを込め、決定した」と述べているが、出典の宴では、少なくとも主人である旅人の目からは、梅の花は散っているのである。桜のように満開の頂点で散るようなイメージを持つ人もいるかもしれなが、梅はそういうふうには散らない。旅人のやるせない心中を汲んで、表向き華麗な序を書いたのは山上憶良の心遣いではなかったか。
 旅人はその翌年死んだ。
 藤原四兄弟は天平9年(737年)みな天然痘で死んだ。世の中は、長屋王の祟りを思ったことだろう。
 さて、歴史の真相はなんであったか。旅人の息子・家持が万葉集を残さなければ、旅人についても知られず、「令和」もなかっただろう。
 それでも確かなことは、権力中枢で謀略事件が起き、そう長く日も隔てぬときに、この「令和」の宴が開かれたことだ。
 私たちは政治権力のぶつかりで何か起きているかを知らず、梅を愛でながら宴を開くことができる。そして、宴に醒めて恐るべき政治権力の惨状を、家持が見たであろうように、見ることもあるだろう。

 

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